8/16〜20、だったかな

 中野翠『迷走熱』(文春文庫)
 「超個人的年鑑エッセイ」第1弾。
 芸能人3人の、自身の妊娠出産に関する自己顕示欲についてのくだり。
 水○アキは、記者会見で胎児の超音波写真を発表…ということに、著者は、「やっぱり芸能人は、フツーじゃない」。
 が…
 今はこのネット時代、もう、自分の超音波写真をネット上で公開している人なんて何万人いることか(笑)。中野さんに先を見る力がないのではなくて、恐ろしいほどに、こうした個人の「これはおかしい」と立ち止まる能力を簡単に現実が凌駕してしまうという現実がまずいのだ。
 私も、もう他人の腹の中を何十枚見たことか(笑)。別にアンタの腹の中見せて説明しなくていーよ、と呆れること、同じ回数。自分の子供が他人様も可愛いと思うと勘違いするのと同様、超音波写真まで可愛いと思うんだろうか(笑)
 唯一弁護できるとすれば、ああいう超音波写真というのは、診察の後にもらったら(くれない病院もある)、デジタル化せざるを得ないってことなんだよね。
 何故なら、超音波写真は感熱紙なのである。だから、それ自体をデジカメで撮影しておいたり、スキャンしておかないと、折角の記念がいずれは真っ黒けになってしまうのだ。
 私も最初のうちは写真を携帯で撮影していたけど、病院を替わったら写真自体をくれなくなった(頼めばもらえたのだろうけど、頼まなくてもくれた最初の産院に比べると頼みにくいし、後期になると1枚に全身が収まらないのでもういいや、となった)し、いつの間にか…どうなったかなあ。
 とまあそういうわけで、スキャンなんかすると、つい公開したくなるのかしら(笑)
 この本には、「出産の様子を夫にビデオ撮影させた竹○景子」も挙げられているが…これも、言うまでもない(笑)。今じゃ当たり前。時代が人を通り越してしまったいい例。当時は、夫立会いなんて考えられもしなかったんだろうけどね。母の頃は、もし夫が近くにいても、看護婦さんに「男性は必要ありませんから」と遠ざけられてしまったそうだ。
 私は相方に、陣痛室から分娩室までずっと立ち会ってもらったが、人には勧めない。どういう感想を持ったか、怖くて未だにはっきりとは訊いていないのだ。子供というものがどうやってこの世に出てくるのか、目の当たりにするのは貴重な体験である、というのは事実だが、それと、実際立ち会うべきかどうかという点では、議論の余地があるだろう。もしかしたら、私をもう「女」としては見なくなった可能性も否定できない。そうでなくても、間に子供が出現すると、1対1ではなく、どうしても「共同体」「同僚」という感覚が強くなっているのだ。
 同じく、出産に友人、知人を集め「公開出産」した秋○リサ(確かにこうして見ると、竹○景子以外はよりによってこの2人か!(笑))。これは今でもやらないか…。今でさえそうなのに、あの当時認めた病院は凄いですね。ちなみに私が出産した病院では、夫立会いも、マザークラスの4回のうち、分娩について学ぶ1回に夫も出ないとできなかった。まあある程度覚悟は必要だわね。母は、夫は陣痛室まではいいけど、分娩室までは…とやや消極的。それも正しいかも。しかし私の場合も、カンガルーケアの後、スタッフが全員外してくれて、親子3人で絆を深め…のはずが、母、義母、更に妹夫妻もこっそり分娩室に入って、大撮影大会(ちなみに、カメラはいいがビデオカメラはダメ、と言われていたので、デジカメと携帯で撮りまくり)。感慨に耽るもクソもなかった。秋○リサの公開出産というものが果たして本人にどのような影響を与えたのか、そっちの方が気になる。
 なお、この本全体については…
 まあ言いたい放題言ってるな、と。
 まあいいけど。