内田康夫『記憶の中の殺人』(光文社文庫)

 記憶の中の殺人 (光文社文庫)
記憶の中の殺人 (光文社文庫)
 これは重かった…
 先に概略。珍しく、浅見光彦の一人称(他に一人称は『坊ちゃん殺人事件』がある)。そして「お兄ちゃんと僕」シリーズ、というか、これも『江田島』に続く、兄弟の語り合いのある作品。この兄弟好きには非常に重要な作品です。
 更に言えば、今回は『江田島』よりももっとお兄ちゃんの心が複雑です。犯罪について語り合う『江田島』と違って、これは正に、20年以上前の軽井沢、お兄ちゃん青春真っ盛りの頃に起きた悲劇に端を発した物語ですから。作中で浅見が言うように、昔軽井沢で蒔かれた種は見事に大輪の犯罪の花を咲かせ、浅見に、兄への疑いすら懐かせ、兄の秘密を窺い知ることになるのです。
 その、昔の軽井沢で浅見がなくした記憶が、モロに真相への鍵なのですが、流石名探偵ともなると、自分の小学生の頃の記憶までもが現在の犯罪を解き明かしてしまうとは…大変な人生ですね。
 重い、というのは、個人的に女性がどうこうされる話が好きではないのと(そりゃ好きな女性も少ないでしょうけどね)、お兄ちゃんの苦悩ってのが見てて嫌なのと、あと、浅見(つまり作者)と意見が合い過ぎて息苦しくなるっていうのもあるかなあ。具体的に言うと、この光文社文庫版の95ページですね。「人を殺す時には、自分も死ぬ気でやれと言いたい。」。本当にそうだと思います。人は死んだら絶対に生き返らないのに、人を1人ぐらい殺しただけでは、犯人には「改悛」する機会が与えられるというのはどう考えてもおかしい。罪刑法定主義の問題以前に、常識で考えてそうじゃないでしょうか。人を殺しておいて1人も2人もないはずなのに、実際には何人以上殺せば死刑という基準がある。これは最終章で浅見の言う、「法律は犯罪者をも守る」ということにも通じてますし。
 えー、重い話なのですが、一人称なので、浅見の内面をずっと見つめながら読めるわけで、距離がすっごく近づいたようでウハウハな作品でもあります(笑)
 最後に、「ニューヨークにいる妹の佐和子」って…やっぱりあの人がモデルでしょうか(笑)。エピローグで電話のみ登場するのですが、喋り方なんか何となくそんな気がします。尤も、あの人が留学という名の放浪?をしていたのは、ワシントンでしたが。