4/24〜28 猪瀬直樹『ミカドの肖像』(小学館文庫)

 ミカドの肖像 (小学館文庫)
ミカドの肖像 (小学館文庫)
 …やっと読み終わった〜。
 借りた時にその厚さに思わず「…こんなに厚い本だったのか…!」と口走ってしまい、ベビーカー連れだったので、カウンター係に「気をつけてお持ち帰り下さい」と言われてしまった(笑)
 猪瀬直樹さんというと、もう何年も前に『天皇の影法師』(文庫版)を読んだのが出会いだ。天皇の柩を担ぐために存在している人々―というものに非常に興味を惹かれて読んだ。その当時既に猪瀬さんは「TVでよく見かける人」(だが、まだ道路公団民営化には関わっていらっしゃらない頃だ)であり、申し訳ないが、これほど学者っぽい本を書く人だとは、『影法師』を読むまで知らなかった。
 先日の日記にも少し書いたが、この方の文章は非常に骨っぽい。そして日本語として間違った所がないので気持ちいいというのも有難いことだ。最近ではまず日本語として正しくない文章にばかり出会って、本題以前の所で嫌な気分になることが多いから。
 骨っぽい、というのは学者っぽい、とも言えて、しかも学者の書きそうな文章の中でも優れた部類に入る。学者が書いた、難しいばかりでひどい文章というものも存在するからだ。(ちなみに、学者の正しい骨っぽい文章を書くことに男女の差はないはずだが、大学時代にお世話になった女性の教授は、「男の学者のように文章が骨っぽい」と言われていた。)
 学者っぽいことの、文体の面では上記の通りで、内容について言えばつまり、いちいち論証を挙げており、非常に進み方が確実である、ということだ。余り飛躍がない。しかし私はこうした飛躍の少ない論文的な文章も、読みやすければ好きである。
 故に、長くて大変だったが非常に面白かった。
 この本は、
 ・西武が、旧皇族の土地を戦後に何故ここまで次々と手に入れて「プリンスホテル」を作れたのか
 ・オペレッタ「ミカド」と世界における天皇
 ・明治天皇の「御真影」をめぐる謎
の3つの柱を持って、近代天皇制下にある現代日本の「空虚な中心」のありようを描き出す。この3つのテーマを、「ミカドの肖像」という、非常にシンボリックなタイトルの下に無理なくまとめあげた力量は、今更私なぞが褒める必要もないが、すごい。
 「空虚な中心」は、正に私もその場で感じたことがある。
 ここ何年かは、丁度今頃―4月の20日前後―に満開を迎える八重桜(というのか、手毬のような桜)を見に、「大手濠公園」に行っていた。目の前の国立近代美術館に行くついでにもなる。その公園は、ちょうど皇居のお濠=大手濠に浅い三角形に突き出す形をしていて、和気清麻呂像がある。
 目の前のお濠の向こうには、くろぐろとした大内山が横たわる。
 なのに私の背後は、東京中で一番喧しいのではないかと思われるほどの凄まじい轟音。
 正に、台風のような、グルグル回る車の嵐と、余りにも音一つない大内山が、突如、橋と濠でぶった切られただけで向かい合っている。
 この光景は、この『ミカドの肖像』でも触れられている。
 文字通りの、喧騒の中に突如出現する、あるいは、ただただそこにある、真っ黒な山。
 この「空虚な中心」ということで、以前読んだ原武史(『大正天皇』の著者)『皇居前広場』(光文社新書)をも思い出した。
 外国における様々な「広場」は、「あれもできる、これもできる」というプラス方向で存在しているのに対し、日本の皇居前広場は、「アレをしてはいけない、これもしてはいけない」という、マイナスの思考で存在している、という本である。
 確かに、何もかもがそこでスパッと断ち切られてしまうような空気が、あの公園に立ってお濠の向こうを眺めると感じられる…
 あとは個人的な感想にとどめておく。
 最初の、プリンスホテルのくだりでは、私は、朝香宮邸を巡る「攻防」を非常に興味深く読んだ。
 元々、プリンスホテルというのは西武が旧皇族をだまくらかして奪い取った土地に片っ端から建てたものだというのは有名で、私も知っていた。
 もう10年以上前、私が大学生か大学院生でだらだらしていた頃、日頃観劇や旅行に一緒によく行く父方の祖母に、ある日、「東京都庭園美術館に行こう」と誘われた。その時、美術館では確か特別展はやっていなかったように思う。目黒の駅からタクシーで美術館に向かった。そこで、美術館が旧朝香宮邸であったことを知った。アール・デコの素晴らしい建物と広大な庭。なるほど「庭園」美術館だ、と私は思った。
 ところがふと祖母が言うには、祖父(祖母の夫。海軍軍医)は、舞鶴に居た時分(祖母も当然同行していた)、朝香宮付きであったというのだ。その朝香宮の一体どの王なのか、そもそもそれならば、この庭園美術館となっている朝香宮邸に祖父も伺候したことなどあったのか、などまでは祖母は言わなかった。という半端な話である。どの王なのかは調べればわかるのかもしれないがどうでもいい。まあそういう話で、関わりがなくもないということだ。この本によると、朝香宮邸は周囲の幼稚園などの反対があって西武はホテル建設には失敗したが、二束三文で買った朝香宮邸の土地を東京都に高額で売りつけ、別のホテルの建設費にした。斯様に、西武は借金経営で伸し上がってきたのだ、ということが、この本では詳しく明らかにされている。東京大空襲下で、片っ端から土地を買い漁る、創業者の姿は人間なのか、あるいは。
 「ミカド」。これはオペラの本でストーリーは知っているが、確かに、未だに日本ではほとんど上演されない。「蝶々夫人」がある意味”国辱オペラ”ならこの「ミカド」はどうなんだということになるが、それもさほど目くじらを立てるほどのことではないと思う。あくまでも架空の国の話だ。モーツァルトの「魔笛」だって、日本の王子の恰好をした王子がエジプトで道に迷って怪物に襲われてるのである(ちなみに、茅田俊一フリーメイスンモーツァルト』(講談社新書)によると、モーツァルト高山右近をテーマにしたオペラを作る予定もあったという)。西洋でのこのテのネタはスルーするほかないのである。但し、スルーしていいのは表面的な文明誤解の点だけで、勿論猪瀬さんは、ここに見事に近代天皇制の謎を読み取るのである。
 この本では、ギルバート&サリヴァンが「ミカド」の着想を得たきっかけを、従来の、ロンドンの「日本村」にインスパイアされた、という定説を丁寧に覆して明らかにしている。そう、ここでも、件の、「日本村」が登場しているのである。私はこの日本村のことを知ったのは高橋克彦『倫敦暗殺塔』によってだが(勿論、この話にも会津が絡んでいる!)、まあこの日本村というのも、今となっては何が正しい日本紹介なのだかと思う。この「ミカド」については詳しくはこの本を読んで頂くことにしよう。
 このくだりでの個人的チェックポイントは、「ミカド」のルーツがフランスの「古事記」というオペレッタであった、という所で、アルフォンス・ドーデ、ゴンクール兄弟といった、プルーストにかかずらわっていた頃には盛んに耳にした名前に再び巡り会い…
「彼(アルフォンス・ドーデ)はパリ滞在中であったドイツ人フィリップ・F・フォン・シーボルト博士(1866年没)と親しくなり」(508ページ)
 またかよ。(「SP」第1話の尾形さんの台詞でお願いします)
 ホントにアンタ、どこにでも出てくるね…
 ドーデと知り合いかいっ。パリにいたんかいっ。
 まあいいや。
 確か『失われた時を求めて』の誰かは、ドーデのお母さんだったか誰だかがモデルだったっけ。『失われた〜』にも、「ムスメ」という言葉が出てきてたなぁ。
 最後の、明治天皇の、やけに西洋的な御真影の件。
 この御真影というのが、キヨソネ筆なのである。キヨソネと言えば、シーボルトの、一番有名な肖像画(エッチング?のやつ)である。そういや似てるなぁ。
 著者も、キヨソネについて、気を抜くと日本人を描いていてもこれまで描いてきた西洋人の顔になってしまう、と指摘しているように、つまりは、同じ人間の癖というか画風というかで、目が実物より大きめ、顔はちょっと下膨れ気味、という特徴があるような気がする。明治天皇の実際の若き日の写真と有名な御真影シーボルトの若き日を描いた出島にある肖像画(ベンゲルさんそっくりなやつ!)と、晩年の、顔の下半分がヒゲの肖像画と比べてみるとそんな気がする。
 さて。
 この『ミカドの肖像』の西武のくだりにも、天皇の柩を担ぐ人々=「八瀬童子」が出てくる。また、御真影のくだりには三島由紀夫が登場する。
 続いて、「八瀬童子」についての、彼ら自身が受け継いできた一次史料に基づく初めての研究書である、宇野日出夫『八瀬童子 歴史と文化』(じゃあ猪瀬さんの『影法師』はいい加減かというとそうではなく、彼も一次史料を一部入手はしているし、『影法師』は、いつの間にか「昭和」という元号決定をめぐる話に発展していく話だった)及び、Akimbo様オススメの『ペルソナ 三島由紀夫伝』に取り掛かる予定。
 天皇の影法師 (朝日文庫)
天皇の影法師 (朝日文庫)