P.D.ジェイムズ再読⑦―『死の味』上・下

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おすすめ平均 star
star下巻だけ繰り返し、という味わい方

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 さあ、長くなってきましたよ(笑)。この作品から、ポケミス班でも文庫版でも上下分冊が普通になっていきます(笑)。「重い、長い」ジェイムズの始まりです。
 でも、長いけど楽しかったですね。下巻を開いてなおワクワクしますね。

 この『死の味』は、今回読み返して、そうだそうだ!何でこんな大事な作品をほとんど内容忘れてたんだろう!とちょっと自分に腹を立てました。
 マシンガム警部に続き、新たにダルグリッシュの班に加わるのが、女性警部ケイト・ミスキン。
 そう、このミスキン警部、推理小説の中で私が一番好きな女性キャラクターなのです。(ちなみに一番嫌いなのはレジナルド・ヒルのダルジール警視シリーズの、部下の妻エリー・パスコー。賢しらで最低のでしゃばり女)
 本当に好きで好きで、こんなちっぽけな私の感想の中なんかに固定してしまいたくなどないぐらい、様々な言いたいこともイメージもあるのですが、やると決めたからにはやらなければ先に進まない。
 ミスキン警部は、貴族であるマシンガム警部とは正反対、貧しく育った叩き上げ。私生児として生まれ、母の母である祖母に育てられたのですが、住んでいたのは、もしかしたら本物の貧民窟の方がましかもしれないというぐらい、政治家の気紛れで作られた、治安も風紀も最悪な集合住宅。そこから出て独立したい一心で、若くして警察に入り、丁度10年目だと言いますからまだ20代(彼女もそのまま齢を取りません(笑))。
 かといって、ぎらぎらしているわけでもなく、賢く冷静、「褐色の前髪」「端正な顔」、知性があり、すぐにダルグリッシュの捜査方法になじみます。
 私は推理小説の女性ハードボイルド探偵が、嫌いではないですが得意ではありません。どうして、フィクションには、働く女性というのは男性とやたら張り合うか、媚びるタイプしかいないんでしょうねえ。そこへいくと、このミスキン嬢は、表向きは男性と張り合うことなく、かといって裏での立ち回りが上手いというタイプでもない。裏表なく真面目に働き、それで認められなくても熱くならず、また働く。彼女もまたダルグリッシュ同様、ジェイムズ女史独特の、「ただそこにいて、必要な仕事をしているキャラクター」です(ファラミア大公殿下といい、私、こういうキャラ好きよね…)。仕事というのは、いるべき時にいるべき場所にいて、すべきことをする。結局それに尽きる、ということを、同じように高卒で公務員の世界に入り、それなりの地位に昇ったジェイムズ女史らしく、あるがままに描いているのです。見習いたいです。長くもない社会人生活でしたが、立派に失格だったので(^^;)
 ”自然体”を謳うとそれ自体もう自然体ではないと思うのですが、ジェイムズ女史の作風、ミスキン警部というキャラクターは、押し付けることなく、なすべきことをなしているから、本当の意味でカッコイイ。素敵です。だから大好きなんです。
 (彼女ほど淡々としてはいないですが、近いと言えばイアン・ランキンのジョン・リーバスシリーズの部下、シボーン・クラークも、非常に優れた女性刑事です。ミスキン警部から見るとダルグリッシュは範疇外のようですが、クラーク刑事とリーバスはさて、どうなるのでしょう…?)

 さて、今回の被害者は…嫌われ者ではなく(笑)、まあいい人か悪い人かはわかりませんが、大臣を辞任したばかりの准男爵。しかも何故か、教会の聖具室で、浮浪者と一緒に喉を切り裂かれて…
 この謎だらけの事件に、ダルグリッシュ警視長登場です。ダルグリッシュは偶々被害者と面識もありました。また、以後も「デリケートな事件」となると、ロンドン警視庁きっての紳士ダルグリッシュにお呼びがかかります。それ故に、彼を「お上品」「鼻持ちならない」と揶揄する向きもありますが、彼の実力は誰もが認めており、本当に嫌われているわけではありません。やはり人徳というものでしょうか。しかしそういうところが、好きでない人には「可愛くない」ということにもなるのでしょう。やはりいい齢食った人間の、安住の地でしょうか、ジェイムズ女史は(笑)
 被害者が名門出身なだけに、大きなお屋敷には母親、妻、その兄、使用人、運転手などなどがおり、前妻との間の娘は父に反発して別居中。で、またこの人間関係がいかにも爛れてるんですよね。妻の従兄弟の医者だってあやしい。
 
 今回も、犯人の登場のさせ方、描き方、クローズアップの段階の取り方、本当に見事なのですが、さて、犯人が「意外な人物」か「予想されうる人物」かを書いてしまえないのが辛い所。犯人を誰にするか、ではなくて、決められた犯人をどんなに風に描いているかが、読み終わってみるとあー凄かったなと思う作家なのです。

 話をミスキン警部に戻すと、この『死の味』は、彼女の話と言ってもいいのではないでしょうか。
 全く、あのラストシーンを忘れていたなんて!いかに推理小説とは、読み終わった次の瞬間に犯人を忘れられるかが勝負とはいえ、この作品は…
 リアリティ、というと本当に安っぽい言葉になってしまっていて残念ですが、この作品もまた、結婚、出産といった、まあ一応普通とされる女性のステップを一通りやってからあらためて読むと、リアルですね〜。
 ミスキンは、育ての親である祖母には、感謝しつつも、その世話をしなくてはいけないことをどうしてもうとましく思ってしまう。それは、感謝とはまた別の問題。彼女が自分の努力で頑張れば頑張るほど、どうしても、いつ休職に追い込まれるかもしれない、目の放せない祖母は邪魔になってしまいます。でもやっぱり、育ててくれた人。
 彼女が漸く手に入れた自分の城、テムズ川を見下ろすアパート。1人暮らしをしたいと思う人は(私は思ったことがありませんが)、一番の理由は、家の中を自分の思う通りにしたいということだと思います。ミスキン警部も、自分の城の中を自分の好みのインテリアで揃え、一日の終わりにテラスでグラスを傾けることを無上の喜びとしています。でも、毎週実家に行って、祖母のために買出しをしたり、普段も電話で、環境最悪の家に住む祖母の愚痴を聞いてやらねばなりません。
 一方、マシンガム警部もまた、衰えが急に目立つようになった父の老醜がうとましい。家を出ている兄の代わりに、自宅でのそんな父との付き合いを引き受けねばならない。
 と、それぞれのうとましさが描かれますが、ミスキン警部とマシンガム警部は、当然、出身と経歴の違いから、すぐに上手くいくわけでもなく、そして感情の面でまで上手くいかなくてはいけないわけでもなく、嫌い合っているわけでもなければ仲良しでもなく、ただ一緒に仕事をこなします。このあたり、すぐに「何か」起きてしまう凡百の小説とは違います。
 ただ、プライヴェートについてはお互い話したがらない故に、ミスキンはマシンガムを、貴族の父を持ち気楽なものだろうと思っているし、マシンガムもまた、ミスキンは独立を果たしてさぞや気分がいいだろうと思っている。仕事の上ではむしろいいコンビになれそうな2人なので、わかりあえるかと思いきややっぱり、少しの誤解も含めてどこかしこりというか、わかりあえない部分は抱えている―――ということも描かれているのです。このへん、表面では何らお互い問題なく見えても、自分の抱えている問題に関してだけは、互いを比べ、相手の方が楽だと思ったり、思いたかったりする…という、非常にリアルな場面です。
 そして、このミスキンというキャラクターの登場と人間性が、大詰めのドラマに絡んでくる。
 プライヴェートの部分を公の仕事の結末に絡ませるのは、ジェイムズ女史とはいえ些か無理があると言えないこともないですが、それでも、彼女と祖母の会話は胸を打ちます。ジェイムズ女史、冷静なだけじゃないじゃないか、こんな熱いドラマを書けるじゃないか!と読んでいて嬉しくなりました。
 この作品が、何と『黒い塔』に続き、またもEWA賞を受賞したのは、あくまでも謎解き小説としての腕だとは思いますが、私にはやはり、このラストのドラマが一番印象に残ります。
 
 派手な殺害現場、”ダルグリッシュ向き”の事件、ドロドロ一家、2人の魅力的な部下。要素がどんどん出揃って、愈々ジェイムズ女史、ノッてきました。