いそ散歩・市川菅野

 今日はもーおー。
 疲れたなんてもんじゃないす(笑)。ほんと疲れたんでもう寝ますっす。
 今日は、本八幡で映画を観た後(武士道がフルスロットルなアレですな)、駅の北側大散歩をして参りました。
 別に1日でも早く観たい!というわけではなく(新宿か市川かしかやってなくて、実は市川の方が近い)、主目的は菅野歩き。
 …えーしかし、何だか今日は迷ったなー。
 道路地図も何度も観たし、関連HPも巡って、位置関係はちゃんと憶えて行ったのに…
 私は「方向音痴」なのではないのです。方角はちゃんとわかるのです。そして地図も憶えているのです。なのに思い込みで脚が勝手にちょっとずれた方向に行くというか、つい大通りがあるとそのまま真っ直ぐ行っちゃうとか。何とも妙な。でも方角はわかるからカンで歩き回って、結局、行きたかった所は全て回れました。
 それに今日の最終目的地、
市川市菅野4-3-3」
は、元々なーんにもない所です。幸田露伴終焉の地が現在のこの番地にあたるわけですが(しかも引っ越してきたのは丁度居間の季節、1月28日!!!)、純然たる住宅地であって、ほんっとうに何もない。ただただ、この所番地を探して、本八幡(とその北にある京成八幡)から北へ北へどんどん離れていく。
 住んでいる人しか通らない、ほんっとうにほんっとうの住宅地というのは歩いてて申し訳ないような気もするし、方角はわかっていても目の前の道が昔のまんま湾曲していたり行き止まりだったりすれば、行きたい場所には行けない。そんなこんなで、高い建物の全くない、私が一度も住んだことのない「住宅地」(実家も大通り沿いのマンションで、実は実家周辺でさえ、通りから一歩入ると迷うことがある)というものを…死ぬほど歩き回りました。2キロ以上は歩いてる、絶対。
 何もないとわかっている所に行ってみて、本当に何もないわけですから、正になんともはやなんですが、まあ趣味で行ったんだから仕方ないや(笑)。
 では順を追って。
 京成八幡駅のすぐ北東にある、「葛飾天満宮」。何と平安時代創建。しかしこのあたりは(うちの周りも含めて)、平安時代なんてのはザラ。本当に住民の多い土地だなあ。
 
 結構大きい神社です。(ちなみに、「八幡の不知藪(やぶしらず)」は、この向かいにあって、帰りに旦那と合流して車で通りました。名前は知っていたのですがここなのねーと)
 え?葛飾葛飾区じゃないのに?
 ちっちっちっ。
 かつての「葛飾郡」は、今の葛飾区よりも遥かに広かったんですよ。ウチのあたりもかつては「西葛飾郡」でした。だからここの「葛飾」が本家本元…ということになるのかな?
 よく考えてみたら、「市川市」とは言うものの、市役所、市民会館、中央図書館などは全てこの「本八幡」(京成八幡)にあるんですね。そもそも「八幡」の地名の由来も「葛飾八幡(天満宮)」。元々はこのお社を中心に賑わっていたのが現在の市川市中心部の発祥なのでしょうか。有名な「市川」駅は西隣です。
 無事にお参りをし、ご朱印を頂いて、更に奥へ。
 今度こその大通りを北へ北へ。記憶通りの距離を歩いて左折して、かなり半信半疑で、電柱の住所表示をにらみながら、何とか辿りついたのが「白幡天神社」。でも裏から見つけた(笑)。ここは幸田文の文章にも出てくる所。小さいんですがここもかなり古く、何でも源氏の旗揚げの際に「白旗」をここで掲げたとか。
 
 さてここからが問題。
 いくら大体の方角も距離も理解していたって、実際立っているのはどう考えても見通しのきかない住宅地。
 この、住宅地の「見通しのきかなさ」が怖くてしょうがないっていう。お前は本当に都市育ちなんかと。マンションにしか住んだことないからなぁ。
 迷ってしまって、一度ぐるっと回って天神社に戻ってしまい、なおもとにかく適当に歩き続け、いや本当に怖かった、だって人が通らないんだもん!
 ところが、何故か、
 
 おーおーおーおー!!!
 実はこのへん、「東菅野1丁目」と「菅野1丁目」が接しており、「菅野1丁目」の北がすぐ「菅野4丁目」という、現在の地図で見る限りではちょっと変則というか、昔ながらの斜めの道が多かったり、住んでなければわかりにくい。
 ちなみに、電柱の広告にあった歯医者さんこそ、「菅野4-4-3」でした。恐らくこの区画にはこの歯医者さんのほかは普通のお宅が何軒かあるものと思われます。
 しかし本当に何もありません。
 ないとわかっていながら…というか、わかるものを何も作っていないけど、「文豪の町」を主張する市川市八幡&菅野…(笑)。まぁ今更何も作れませんが。本当に家が密集し、車の通れない道や行き止まりも多い場所です。
 適当に菅野4-4で撮影。
 
 さて。 
 ここからが更に問題。
 駅、どっち?????
 ここに至るまでに、大通りを離れ何度も斜めの道を通ってしまったため、方角がわからなくなり、携帯のナビで確認し、南北はわかったものの、通りかかったお婆さんに「駅はどちらでしょう…」と訊いてみました。
 大通りに出ることができ、更に歩いて、行きに通りかかったコンビニに到達。そして…
 ありましたよ、前に拝見したHPにあった、「荷風の散歩道」。
 
 本当にここも…狭い道の商店街。交差点もギリギリ人を巻き込むか巻き込まないかと…あちらこちらに「事故多発」の看板が。仕方ないです、古い街ですから。
 この通りを歩いていくと、左手に市立八幡小学校。東菅野と八幡を転々とした荷風の終の棲家。
 ですがここにも何も石碑などはないようです(見つけられなかっただけでしょうか。小学校の一部は工事中だったので)。
 思えば、確かに露伴荷風を偲ぶ「形」はここには何もないですね。
 露伴の「蝸牛庵」は犬山の明治村に移築してあってそこへ行けば漱石の家なども一緒に見られるし(行きたいのですがまだ…)、荷風に至っては本当は良家の子で麻布に家があっても下町場末を歩き回った人(『荷風!』という雑誌はどちらかといえば下町巡り雑誌ですが、現在配布中の無料版『ミニ荷風!』は、白金特集です)。
 ホントに、何でそっちでなくなにもない方かって…
 家からち・か・い・か・ら♪
 文学碑とか記念碑はよく探して歩くのですが、今回はそういうものがないとわかっていて、趣味の神社めぐりとただ「その雰囲気」探しだけ。
 雰囲気と言えば確かに、露伴終焉の地は、今も本当に静かな所ですね。夜なんか出歩けない感じ。いわゆる住宅街です。確かに、疎開してきたり別邸を構えたりには、東京をちょっと出て、でも交通は便利な所ってやつですね。いやー、ビルのない場所って久しぶりだ(^^;)
 そしてやっと、京成八幡駅にリターン。
 思えばここは、私にとっては海外への玄関口。結婚してからなので3回だけですが(最初の海外は実家にいた頃)。
 成田空港へは、ここから京成線で行きます。え?スカイライナー?そんなオシャレなもん使いません(笑)
 そして、永井荷風最後の食事のお店、大黒家。左側から。本当に線路際です。
 
 荷風関連の展示も。
 
 荷風はここで、いつものようにかつ丼と酒をしたため、帰宅して胃潰瘍の大出血による心臓発作で亡くなったそうです。え…?ということは、胃潰瘍の人がかつ丼を…!?
 今度はここで何か食べてみたいです。また映画を観に来る用事があれば来るかな。
 …いやあ。1時間半、ひたすら歩いた歩いた。
 長くはないかもしれないけれど、迷いながらそしてほとんど人の通らない住宅地というのは…昼間でも怖いもんなんですよ!(T_T)
 JR本八幡駅近くで旦那と合流、車でお買い物をして帰宅。
 最後は結局普段の土曜日でした(笑)
 ただ、ホント、昨日足の裏が擦れて痛いのもそのまま(ブーツが緩いので中で足が動いてしまう)、とうとう、旦那と待ち合わせる頃にはもう腰までズキズキと。今日はもう寝ます。
 (今日のお散歩には以下のHPを参考にしました。)
 荒川ゆらり
 http://www.ma-museum.com/arakawa/0605-3-kafu-katudon.htm 
 市川市ホームページ
 http://www.city.ichikawa.chiba.jp/shisetsu/tosyo/kyo/kahuyukari/rohan-aya.htm
 http://www.city.ichikawa.lg.jp/cul01/1421000003.html
 http://www.city.ichikawa.chiba.jp/shisetsu/tosyo/ref/ref0305.htm
 白旗天神社
 http://www.h4.dion.ne.jp/~sirahata/index1.htm
 Googleマップ
 
大きな地図で見る