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ずばり東京―開高健ルポルタージュ選集 (光文社文庫)
ずばり東京―開高健ルポルタージュ選集 (光文社文庫)開高 健

光文社 2007-09-06
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 随分と猥雑な分野だったり、一般人は余りお世話になったりしない世界の、正にルポである。初版は1982年。昭和38年=1963年からのルポである。私が生まれる大分前ではある。あるが、この本を読んでいて、書いてあるような状況は多分1980年代半ばか、遅い所では90年代初頭ぐらいまでは変わっていなかったのではないかと思った。
 例えば渋谷。
 1980年代半ばまで、つまり私が小学生の頃は、銀座線の線路のすぐ下に大勢人が住んでいた。
 車道を挟んで向かいにあった、歩行者天国の時に使われる臨時のバス停(当時、歩行者天国の時は、私の乗るバスは行きと帰りではバス停が違った。坂の途中の、2階にあたる高さであった)から、本当に線路の真下の小さい窓(線路と道路の間、高さにして1メートル程度の隙間)にかけられた様々な柄の布団や、洗濯物、時には人の頭が見えていた。
 詳しいことは検索してもわからなかったのだが、位置は、このページの最初の方の地図にある、銀座線の「2F引き上げ線」の下。東急東横店3Fにある銀座駅を通り抜けた後の場所ですね。
 http://www2t.biglobe.ne.jp/~odaiwa/page53.htm
 今でも、あれは何だったのだろうと思う。多分あの窓は天井近くの明り取りであって、実際にはもっと下に床がある造りだったのだろう。しかしいずれにしても、どういう人たちが住んでいたのか。そして今はどうなったのだろうか。そのバス停は東急東横店から渡り廊下を抜けて井の頭線の方だったから、今の位置で言うと渋谷マークシティか。その5階にある長距離バス乗り場に先輩を送っていったことがあって、ああ(高さは違うが)正にこのあたりだと思った。そして今でも、銀座線の下あたりというと、かなりごみごみしているのではないかと思う。
 上野も、私が中学生の頃、90年代初頭あたりは、まだ地下鉄からの出口は暗く、じめじめしていて、崖の崩れ止めのような波打ったコンクリートがむき出しだったか、ペンキでも塗ってあったか、とにかく汚かった。元々上野は博物館にしか用事がないので、公園口しかほとんど使ったことがなかった。銀座線日比谷線の方面は怖いというイメージがあった。しのばず口が綺麗になったのは本当にここ数年のことであって、公園口から降りていって、広小路の店を使うことも、本当に大人になってからのことである。
 今の若い人で、東京に出てきて10年もしないなんて人は、多分こうした、東京のダークな歴史を、知らないんだろうなあ。私だって40年代末生まれだから、そうそう知ってるわけじゃないが、30数年でも大変な変わり様で、特にこの4、5年の変わり様も激しいのではないだろうか。(私は詳しくないが、六本木なんかも昔は全く違ったそうだし。)