矢川澄子『おにいちゃん―――回想の澁澤龍彦』(筑摩書房)

 おにいちゃん―回想の澁澤龍彦
 著者は、澁澤殿の若き日に9年間を共に過ごした最初の夫人である。昨年出た、現未亡人たる龍子夫人の回想録との比較はやめる。これは少年と少女の、そして少年と、少年の母たることをも選んだ少女の物語。(龍子夫人の『澁澤龍彦との日々』のAmazonカスタマーレビューにある、本書の「龍子夫人を皮肉った箇所」っていうのがどこなのかわからなかった…こういうところ、ワシ鈍いからな…)
 いいところは沢山あった。出会い、そして初めてのこと、正に、少年と少女、ダフニスとクロエ。
 しかし、ある部分でのショックが読後感のほぼ全て。
 以下、ぜんぜ〜んずれた見方であることはご承知を。
 澁澤殿は2人の夫人と通算約30年の結婚生活があったわけだが、その中で、作品でも度々書いているように、子供を持つということは頑なに拒否していた。まあそれについては個人の趣味なのでとやかくは言いたくない。しかし、…そのために、相手にだけ負担を強いるというやり方はいかがなものか。
 この本の最終章は「K・Fへの手紙―――妊娠中絶は文化たりうるか・仮稿」である。最初の方の章にもぼかして書いてはあるが、この「手紙」で、矢川氏は、はっきりと、結婚生活の間、数回の中絶があったと記している。別に強いられたわけではなく、これもまた矢川氏個人の生き方であるので批判はしないが、しかし、一人の人間としては、愛する女性にそういう負担を一方的にかけ続ける、というのはどうだろう。しかも考え方の問題だけではなく、はじめの2、3年は本当に生活が逼迫していてのことだという。ならば尚更だ。
 欲しくないならいくらでも方法はあるのに取らなかった、ということは、明らかに男性の側の我儘の部分が多いだろう。で、できてしまったら「ごめんよ」であり、「大丈夫、平気よ」(本書、181頁)。
 …読んでぞっとするような話だが(子供というよりこの場合単純に母体が心配)、まあ何もかも、矢川氏ご本人納得の上だから如何ともしがたいし、そうである以上、いくら「女性の身体を何だと思ってるんだ!!」と怒ってみても、2人共への批判になっちゃうんだろうなあ。ご本人も、亡くなるまで、かつての夫の悪口を絶対に言わなかったそうだ。本書も、かなしみに満ちてはいるが、あるのは本当に少女と母の愛情だけである。
 でも…納得がいかんというか、普通に生理的にショック。
 こういう批判こそ、澁澤殿の嫌う「現実べったりの」批判なのだろうが…
 ただ、避け方ならいくらでもあるのに、夫婦でそういう話し合いはしなかったのね、と、驚くというか、わからないというか。これは少女の側に主張がないのではなくて、どちらにも主体性がないということだろう。こういう「子供っぽさ」だけは、いかがなものだろう。矢川氏は結婚生活を、「家庭ではなく、おうちごっこ」と本書に書いている。龍子夫人も、「夢の中のようだった」と記している。どうも、リアルな結婚(というのは、多分結局、子を持って家族になっちゃって、ドキドキはないってことだろうけど)のできない体質の夫だったようである。夢の中で暮らすのもいい、家庭なんでものを考える人間は「はじめからこの神聖自治領の一員としては失格」(本書、42頁)でもいい、だが、そのための方法だけはちゃんと男の責任でやれと(^^;)言いたいのはそれだけ。まあ…いるんでしょうけどね、こういう、社会的というか大人としての責任の取り方がよくわからないまま、頭はとてもいいって人が…やっかむわけじゃないが天才ってわからない。
 矢川氏は、澁澤殿の著書を「子」と言う。これは、ご本人が言うのならいい。でも、天才同士だから、才能のある同士だから、子供なんてどうでもよくて、2人にはこういう「子供」がいいんだよ、と無責任に大上段から、そして男性が堂々と言ったなら、私はとても腹を立てる。ご本人の選択だからいい。他人は迎合してわかったようなことを言う必要はない。 
 あと…この章の中心はあくまで中絶の権利の話だが、やっぱそれ以前の問題だろ、と思う。そこまで行く前に、ねえ。(以下略) 
 先日挙げた『KAWADE夢ムック 澁澤龍彦』の巻末年譜から矢川氏の存在が完全に「抹消」されているのは、この「秘密」をばらしたせいでは…まさかね。しかし何やら、思い切りスキャンダラスに穿ってみれば、全集の編纂から回想録から、澁澤殿の周囲で彼を愛した男性方にとってはどちらの夫人が「都合のいい人」なのか、そんなことまで考えてしまう(まあその1人と矢川氏は共訳作品もあるのでこれは多分私の穿ちすぎだろうが)。何があっても、人生の一番いい時期を愛する人と一緒に過ごせたことが幸せ、と言い切る彼女に対して、「その存在そのものがなかったことになる」とは、何と残酷なことだろう。
 矢川澄子さんと言えば、最近流行りらしい、『ぞうのババール』など児童文学の翻訳者として知られているらしい(私は全然その方面は知らなかったが、よく考えたら『アナイス・ニンの少女時代』などででお目にかかっていた)。調べてみたら、2002年、71歳で自殺なさっている。理由はどうあれ、この年齢にして自殺する力があるということ自体がすごい…
 関連)
 http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/4572/
 http://www.spacelan.ne.jp/~kamenaku/sousou/sou08.html
 http://www.cafeopal.com/diary/02/jun/diary020613.html