強くなるために

 ちょ〜っ長文なので暇と勇気のある方だけどうぞ!
 負けたから言うのではない。
 「自分たちのしたいサッカーを考えたこともない国が、本当に強くなれるわけがない。」
これは、主に4年前から、もう少し遡ればJリーグ発足以後だが(偉そうなことは書いているが私は「通」ではない)、自分の目で日本の試合を見てきて、ずっと考えていることである。大分前にも、マスコミへの疑問と絡め、ブログに書いたことがある。そして今大会でも、あらためて同じことを思ったのだ。
 日本には未だに、
「日本人らしくって、こういうサッカーで勝ったら嬉しいよね。」
と選手も大多数の国民も思うサッカーがない。
 選手同士では勿論話し合っているだろうし、評論家も個々では「日本のサッカー」を考えているだろう。だが、未だに、国民のコンセンサスがないのだ。
 そもそも4年前。
 私には、協会もマスコミも、日本が負けた原因も強いチームが勝った理由も、正しく捉えているとは思えなかった。
 日本の弱さは「決定力不足」?強い国のサッカーは“攻撃的”?攻撃的なサッカーだけが“楽しい”?“確実な”サッカーは“つまらないからやってもしょうがない”?
 前監督と協会の確執は周知の事実であり、新監督の人選も感情と縁故が最も優先した。しかも”攻撃サッカーにしたい”という建前にすら根拠があったとは思えない。マスコミも、こうした動きに何の疑問も呈さなかった。前回大会で日本が得たものは、感情と戦略をごっちゃにした批判と(守って勝ってベスト16のどこが悪い?)、自国開催かつ幸運な組み合わせという好条件を忘れた思い上がりだけであったのかもしれない。
 監督によって戦術や陣容はある程度変わるにしても、お隣の国にしろ世界の強い国にしろ、監督の名前や実績より先に、「したいサッカー」がある。特に前回大会で有名になったが、お隣の国では、負け続け、かつ「俺たちのサッカーじゃない!」と思えば、国民も運動して監督を代えたこともあったという。前回大会での監督(言うまでもなく今回日本が負けた!)も、成績以上に、その国らしいサッカーを強くしたと認められたから英雄になったのかもしれない。
 クラブチーム全盛の現在のサッカー界でも、W杯には「お国柄」を見る楽しみがある、と言われる。
 「お国柄」=その国らしさのうちでも、やはり魅力的なのは強さであり、強い国のそれは、「それによって勝てる」から有名なのである。そして、「勝てる」お国柄は、選手も国民も「こうやって勝ちたい」=メンタリティに合い、勝った時のカタルシスが最も大きいサッカーを求めなくては出来上がらないものではないだろうか。
 ドイツの確実性と本番での強さ(前回、決勝でドイツが負けたのも、「ドイツの守備が2度ゴールを許した」のであって、「ドイツサッカーが負けた」のではない。決勝戦の翌日のスポーツ新聞に「やっぱり攻撃的サッカーが一番ですね」などと書いた国営放送の某Hアナ―今回も私は彼が出ている「ハイライト」は見ない―にも象徴される通り、全くもって日本のマスコミは軽薄である。こういう奴はどうせドイツが勝てば、「やっぱり基本は大事ですね」とか書くのだ)。
 イタリアの堅守(攻撃に転じたとはいえ勝つためには不可欠、今大会でも健在だと思う。だがイタリア人の性格故かどうかは知らない(笑))。
 ブラジルの個人技。
 エトセトラ。
 だが日本には、「日本はこうやって勝つ」がない。だから、名前のある監督を連れて来ようが、代表の何人かは外国リーグでプレーしていようが、技術力も上がろうが、グループリーグが限界なのだ。「したいサッカー」を求めて初めて、かつ一番確実に、本当に“楽し”く、強くなれるのではないか。
 話を、例に挙げたドイツに戻すと、偶々今日読んだ『TIME』最新6月19日号に、クリンスマン監督についての記事があった。監督曰く、
「We sat down many times with the players and asked,”What kind of football is it we want to play? What will be our identity? What do we stand for?”」
そしてこの話し合いの結果、出た答えは、
「We identified that [identity] as an attaking style,a very aggressive style.」
例え伝統的な「確実サッカー」を捨てた、と言われようと、今のドイツの「攻撃的サッカー」は、あくまで「自分たちのしたいサッカー」だったのだ。堅守は健在、しかし得点が取れずユーロ2004で惨敗。ならば点を取ればいい。その決意の上に、得点力は強化されたものの、監督のDFへの若手起用の方針は結果に繋がらず、負けるたびに監督は批判された。だがその批判は、「ドイツの伝統的なサッカーの方がいいのではないか」という意味であって、比較対象のある批判なのである。ドイツの「決定力強化」は、あくまで伝統の守りあってのことであり、元々まだ力自体がない日本のそれとはレベルが違う。
 日本が負けた時は、どうしてまずいのか、どうしたらいいのか、較べる対象すらない。
 “点が取れる”“楽しい”サッカー?「本当にわかってんのか?」と、私自身サッカーのことはよくわかっていなくたって不安になる。
 しかし、今大会も、「1勝もできずに終わるW杯」になることも十分考えられる組み合わせなのに、楽観的な報道が目立った。フランス大会では1勝もできなかったのは「初出場だから」か?いかに前回大会が幸運であったか?今後あれほどの好条件が揃うことは望めない以上、良くて前回並み、常識的には前回より下がると考えるのが当たり前ではないか?(騒いでいたのはマスコミだけで、大部分の人は冷静だったのではないかとも思うが…)そして今回も、前回より強くなったという保証はどこにもなかった(引き合いに出されるのはアジアの大会ばかりだ)。日本だけが頑張っているのではないのだ。事実、このままなら前回大会の成績を下回る。
 悲劇ではない。見事に現実を突きつけられただけのことである。
 あの、結局は“世界のスポーツ”だからサッカーはカッコいい、野球や日本的なものはカッコ悪い、という舶来志向が大部分だった「Jリーグブーム」から、何が変わっただろう?
 サッカーは確かに外国のスポーツである。しかし、世界に「追いつく」とは―明治の失敗同様―世界と「同じになる」ことではない。「ベースボール」ではなく「野球」がある、とまで言われるほどスタイルを確立した野球よりもまだ歴史も短いが、そろそろサッカーも他の「西洋文明」同様、「日本らしさ」を目指せないものか。
 そもそも日本人には、「どんな国でありたいか」が欠けているのだから、永遠に無理なのかもしれないが。
 「日本人らしからぬ」がまだ褒め言葉であること自体が問題ではあるが、所謂「世界レベル」の選手は確かにいい。監督も、それぞれ誠実にやってきた(現監督の何度かの「解任説」も、協会もそれなりに総体的に判断した結果だろうから、一概に協会が無能とも言えない)。
 あとは、国民もマスコミも日本の実力を冷静に判断し(本当のことを書いたら売れないのかもしれないが)、日本のプレースタイルを考え、発信していってもいいかもしれない。他のジャンルでも同様だが、羞じるどころかもっと堂々と押し出していい日本の素晴らしいところは沢山ある。それをサッカーに生かして何故いけないのだろう。どこかの真似をして潰れる必要はない。堅実で真面目で働き者な性格ならそれを極めればいい。言われたことを確実にやれるのが特技なら、そういう監督を連れてきたっていい。協会などお偉方も、日本らしいサッカーを求めながらスタッフを考えて欲しい。