あらまーくらまー

t_masamune2006-06-15

 昨日は長文でしたが、それがらみで。
 今日職場で『健康保険』という雑誌の最新7月号を読んでいたら、毎号1ページだけあるスポーツコラムにこんなことが載っていました。W杯ではまだ新参者の日本も、何故か五輪では毎度すごいことをやっている、という話の流れです。

 64年に東京大会の開催が決まると、日本サッカー協会は海外からコーチを招聘した。ドイツ人、デッドマル・クラマーである。特別なことは何も教えなかった。基礎技術の習得と精度の高さを徹底して練習した。日本人の気質に合わせて日本の目指すサッカー像を丹念に植え付けていった。東京大会では強豪アルゼンチンを破り、ベスト8へ進出した。続くメキシコ五輪でも、クラマーのスタイルを踏襲した日本は銅メダルに輝くことになる。クラマーが日本サッカーの父と呼ばれる由縁だ。

 サッカーファンの間では有名なことでしょうが、そう、元々は、「ベルリンの奇跡」(36年ベルリン大会)などもありながら、2次大戦を挟んで低迷期が続き、再び復活したのはやはり「日本の目指すサッカー像」をしたからだったのですね。
 これがあって、しかも、やっと国内リーグも発足したなら、愈々…のはずが…
 思えば、Jリーグ発足で「日本代表の戦い」がやっと注目されるようになっても、むしろその後、国民の関心事になっても全く上の方は変わっていないというか。監督はコロコロ代わるし、それはまだしも、問題は、勿論その間、国民には、「日本がどんなサッカーがしたくてその監督にしているのか」が伝わらないこと。これは広報の問題ではなく、試合にはぽつぽつ勝っても、「こういうサッカーをしたくて、して、勝った」という実績、広く国民に与える実感がなかったということでは。大体一国の代表が予選を戦っている途中で監督を代えるハメになるなんてのも(代えること自体は仕方ない場合があるとしても)、まずどんなサッカーをしたいかもわからないで人事をやってるからでしょうね。
 何がしたいかも決まってないのに方法を考える人はいない。でも日本のサッカーって、近年はまさにそれをやってる。
 日本ってホントに、江戸から明治への変化でもわかるけど、日本人自身をしっかり見つめた時に物凄い独自の発展をする力があるのに、下手に「世界スタンダード」を知るとボロクソになるのね。
 このコラムにある、アルゼンチンを破った時の写真に、現「キャプテン」が写ってますよ。日本のしたいサッカーをやるために、本来一番ちゃんとしなくてはいけないのはこの人のはず。
 こんなこと書いて、もし決勝Tに行ったらどうするんだって?いいえ、勝ったって、問題は一緒です。