クリスマスのシリウス

 『火口杯』(注:この作品の中国語版のタイトル)に続き、また例によってばかでかい『不死鳥』を読む。(子供も持ち歩くんだろうに、何でこんな体裁にするかね、本当に)
 いや…
 めっちゃ重かった…
 最初の数行読んだだけで、もうやめようかと思ったぐらい暗かった。冒頭からずーんとくる重さである。(本じゃなくて、中身が!)
 前作とて明るいばかりの話ではない、どころかそれまでの3作よりはずっと暗かった(結果的には、確かにターニングポイントではある)が、これほどではなかった。この第5作は、何かもう、キャラクターだけ同じで、別のシリーズが始まったのかと思ったぐらいトーンが暗い。曲りなりにも前作が一応希望を持たせて終わっていただけに、のっけから暗い冒頭の数ページでがあんと来てしまったのだ。元々、いい主人公が辛い目に遭うのが可哀相で読めないという性質なので、それでも読みたい作品に出会うと葛藤がある。前作と今作の間に横たわる、驚くほどくらーくてふかーい溝が胸に居座ったままページをめくった。読むのが辛いのだが読み進まずにはいられない―――これまでで最も辛い作品だった(次の『プリンス』がもっと暗かったらどうしよう)。
 特に、主人公の「人間の世界」と「魔法の世界」が初めて繋がってしまうくだりでは、主人公と全く同じように、「こりゃやばいよ!!」と思った。人間界というのは逃げ場でもあって、そこで叔父さん一家にいじめられているうちが花だったのだ。もうのっけから、「逃げ場がない!!」と思わされたのが一番キツかった。人間界でこうなったら魔法界では当然もっとひどいことになった。もう大変である。
 まだ1作も読んでいない人、あるいはまだ3作までしか読んでいない人には、「このシリーズはそのままのノリではいかないからね、覚悟しといてね」と言いたい。
 5作目ともなると、次々と繋がっていく事実と意味が明らかになる伏線にはただただ面白く、びっくりするばかりだ。(謎解きの要素がある物語の場合、結末を決めてから書くことの重要性は繰り返し説かれているが、このシリーズも正に、結末がもうあるからこそここまで緻密に書けるのではないか)
 元々このシリーズは、今年第1作を読むはるか前に、映画第1作で先に物語を知った。その映画で私は、このシリーズを「非常によい大人に囲まれた少年の物語」と思った。その印象は原作を読み、読み進んでも変わらなかったし、むしろ確信は深まった。そして、巻が進むにつれ、徐々に碌でもない大人たちの存在も明らかになる(しかも結局は、少年の活躍に対して、むしろ足を引っ張っているのが碌でもない大人たちというパターンが続く)。この齢になると、このシリーズを主人公の少年の気持ちでは観ないし、読まない。やはり彼の周囲の大人の立場で読む。主人公の気持ちで読まなくても楽しめるのは、このシリーズがひとり主人公の物語ではなく、立派に二世代に渡る「大河ストーリー」であるからだろう。私には主人公たちの活躍(キャラクターの造型がうまい!)は勿論、善悪それぞれの大人たちの在り方や、善い大人たちのネットワークや、過去の物語により惹き付けられるので、3作あたりからぐっと明らかになってくるそうした前世代のエピソードが楽しみで楽しみで読んでいる。私同様、「親」の見方でこのシリーズを読んでいる人たちは、多分同じ気持ちだと思う。
 人の人生というのは、「来し方、行く末」という表現に尽きるのだなと思う。
 読み進めば進むほど、前世代の造型がいかにしっかりしているかを思い知らされる。前述のように、「親世代」の読者は親世代の物語に思うところが多いのではないだろうか。彼らの過去が、現代の命懸けの冒険に一層深い感動を与える。
 このシリーズの良さは、「愛」を、あらゆる手を尽くして、あらゆる方面から描き出していることだ。これについては読者の誰もが理解し感動していることだからこれ以上は述べない。魔法は愛に勝てない、あるいは、愛は最強の魔法である。はっきり言えばこの非常に古式ゆかしい真実が今時大真面目に、真っ向から描かれていることには称賛のほかない。こういう製作姿勢はとても私の好みだ。そして強い愛は、必ず、何があっても、どんな手段であろうと伝わる、という叫びが全編に溢れている。その叫びは、非常によくできた前世代の物語あってのものだ。
 勿論、友情の素晴らしさも、言うまでもない。子供世代の読者はもしかしたら子供世代のそれしか感じられないかもしれないが、この齢になってみると、親世代の人間関係が今にどう影響しているか、という点が興味深く、魅力的だ。今の子供世代の読者も、いずれ読み返してもっともっと楽しめる部分だと思う。
 そして、「若さゆえの過ち」が今作では、物語の深化とダーク化に伴い、大人たちによってより明確に指摘される(これは、本当に、大きくなればわかることなのだが、その真っ最中の世代にはなかなかわからない!)と同時に、「大人や老人であるがゆえの過ち」もまた隠さず描かれているからこそ、「行く末」を持つ主人公たち「子供世代」の苦悩も鮮やかに伝わってくる。善き大人たちゆえの過ちが、物語の根幹である「愛」の難しさを何と切なく描いていることか。「愛」を知らない者の過ち。「愛」を信じる者の過ち。そして「愛」の余りにも深い人間の過ち。主人公もまた、これまで知らされてきた愛の素晴らしさだけでなく、それに伴う過ちも知ることで、これからどんな風に成長していくのか、とても気になる。人の成長とは、つきつめればそういうことかもしれない。疑い、信じ、また疑って信じて、「親離れ」もその延長だ。結末を迎える頃には、主人公は、愛をしっかり信じながらも、ある意味ひとつの親離れをして、大人になっているのではないだろうか。
 更には、これは前作ラストから引き続けていることだが、「死」とは何かという領域にも、今作では本格的に踏み込んでいる。この点については、私は恐ろしく想像力が乏しい人間なので踏み込まない。
 最初から色々と一筋縄では行かない物語が、だからこそ、急速にまとまり始めているのが、実に小気味よい。
 主人公、どんどこどんどこ苦しみが大きくなっているけど、見てる分には先が楽しみ。済まん。でも、試練はそれに耐えられる人間にだけ与えられるというのも本当だと思う。決して潰れない子だというのがいい。それに、どうにもこうにも彼からはいい仲間も大人たちも離れそうにない。どころか仲間は増える一方だ。今回の大詰めは実にエキサイティングかつ切なく、前作同様、ラストシーンの「光」は見事だった。
 次の巻は…700人以上待ってるんだが(笑)
 そうそう、映画で先に物語を知ったのだが、そもそもは、最初から(魔法を知る前から)、主人公がただの「可哀相な子」ではなく、自分をいじめる叔父一家にしっかり仕返しや反抗も忘れない少年だというところが気に入ったのだ。それでいて物の考え方はおそろしく素直で真っ当であるというのが、一番、この物語でありえない部分だ(笑)いくら亡き両親を愛していて、その両親がいい人であろうと、赤ん坊で孤児になってはその影響を受けてはいまい。今から考えれば、初登場時10歳という設定(イギリスの学校制度と関連があるのだとしても)が、何も知らずにいるのは10年が限界という、うまい計算だったのだろう。結果的には、あれ以上何も知らずにいれば本当にぐれるだけだった、というぎりぎりの年齢。そして今作では15歳になり、持ち前の負けん気を残しつつもいい部分も着実に伸びている。
 ただ、叔母が母の実妹とはいえ、冒頭とラストのように、余り魔法界から叔父一家に力を及ぼさないで欲しい気もする…明確な区別がないとちょっと幻滅してしまう。まあこういう展開を見ると、意外とあっさり主人公は、全てが終わればマグルの人生をまっとうするんじゃないかという気がする。
 言葉遊びについても今更言うまでもないが、「普通レベル」=「OWL(ふくろう)試験」なんてのは(同様に、「E」も)、イギリス人なら思わずニヤリだろう。イギリスの推理小説を読む人はご存じだろうが、「Oレベル」といえば、「普通レベル」のことで、高校卒業というか大学入学資格というか、学力のレベル判定試験のレベルの1つである。その年代になると「Oレベル」が頭から離れない、先生も必死、という感覚は、大学を個別に受験する日本の子供世代読者にはちとなじみがないので、大人になってからニヤリして頂きたい。
 えー…お亡くなりになられた方。哀しいことに、前作読了後に予想した2人のうちの1人だった。むしろ、「誰かが死ぬ」という噂が出た時に真っ先に挙がったキャラであってくれた方が、私には有難かった(済みませぬ)。
 クリスマスでのあなたの姿を忘れ…ううううううう(以下号泣のため聴き取れず)
 謹んでここにご冥福をお祈りし、今日一杯ぐらいは哀悼の意を捧げる。
 そして、予想したもう1人のキャラクター(主人公ではない。彼を殺したらこのシリーズの意味がなくなる)には、こうなった以上、何が何でも最後まで生き延びて頂きたい(笑)
 この彼と、亡くなられた方とのやり取りが、「大人」の目で見れば、どうにも子供っぽくて好きだった。彼には、どんなに年を取っても克服できない思い出があったっていいじゃないか、と言ってあげたい。