山口瞳「男性自身」シリーズ…など

 『週刊新潮』著者が亡くなるまで30年以上、1週たりとも欠かさずに連載を続けたもの。
 ああ、確かに名前は憶えてるわー。『江分利満氏』シリーズ同様、柳原良平さんのイラストもいいんだよね〜。
 と、思っていると、『文藝春秋』最新1月号の「新・がん50人の勇気」という記事を読んでいたら、山口瞳さんのことも書いてあった。見つかった時には既に不治のがんで、病室でも原稿を書き(口述筆記が嫌いだったそうだ)、「仕事を続けられるんだったらどこへでも行くよ」と、ホスピスに移り、結果的にはホスピスでは一晩を過ごしただけで亡くなったが、とうとう連載に穴をあけることはなかった。文字通り、「死ぬまで」書かれた連載だったのである。
 ご自身は、「平均寿命までは生きたかった」そうだが、70代に達することなく死去。これは読者としても残念である。
 好きな物書きで、「長生きしたなー」と思うのはホントにクリスティー田村隆一さん(彼だって80歳までは行っていない)ぐらいだ(笑)。
 この、「男性自身」シリーズは、意外と硬派、という印象である(初山口作品である『酒呑みの自己弁護』は、酒が主なのでむしろくだけていた方なのだろうか)。しかし言っていることは正しい。今日読んでいるのは比較的初期のもので、今から30年以上前のことなのだが、特に学生のドアホぶり、女性が主張する誤った平等主義などは、今読んでも全くご尤もである。
 今日読んでいるところに、高見順さんが出てきた。山口さんの小学校の先輩だそうである。この高見さんは田村さんがたびたび著書の中で引用している作家・詩人である。
 吉行さんもよく出てくる。こちらは山口さんの中学の先輩。
 要は、田村安岡吉行山口これほぼ同世代。いわゆる戦中派というやつか。そうそう、安岡さんの本にも吉行さんの本にも登場する開高健はやや若いが、軍隊で飢えるか子供で飢えるかの差しかない。(吉行さんの大正12年生まれに対して、山田風太郎も11年生まれだし)
 何だか、戦後60年以上経つのに、この齢にして、戦争に行ったような世代の書いた物に実に納得がいくというのもどうなんだろうかと思うが、人間なんて30にもなれば守りに入るのも個人の勝手である。自分が非常に古い価値観の持ち主であることは自覚している。そして勿論、古い価値観イコール間違っているとは誰にも言えない。変わらない物を見つけ大事にするのがモットーである。
 ちなみに、前の記事の吉行さんは、今年十三回忌だそうだ。早いなー。(そういえばここ10年そこそこで、「戦中派」がバタバタ死んだなあ)
 吉行さんの本は、小説が最初で、読んだのは『暗室』、『驟雨』、『砂の上の植物群』。このうちどれか1冊は、昔入院した時集会室のようなところに置いてあった。しかし結核で肋骨取る話が病院にあるってのもどうだろう(笑)。申し訳ないことに他の内容は全く憶えていない。ちゃんと読み返したいものである。
 他には、今週は吉田健一さんの『吉田健一・友と書物と』(清水徹編、みすず書房)、『本が語ってくれること』(新潮社)、『まろやかな日本』(原文は英文、幾野宏訳、新潮社)。…難しすぎる。難しすぎてわからない。そもそも私には外国文学の知識が全くない。それで、エッセイに味をしめて批評にまで手を出してしまったのがまずかった。いつか理解できる日がくることを祈る。
 さて、そろそろ「お正月本」を厳正に選定する時期である。
 今度のお正月は、「男性自身」シリーズと、吉行さんのエッセイ、吉田健一さんの続きで行こうと思う。
 と言っても、意気込んで借りてみても、通勤しないで家にいると意外と読まないまま貸出期限が迫ってきて泣きを見るのが通例だが、それでも休みの前には本を揃えておきたくなる。
 いつかは読みたい本が(読む本が、ではない)なくなるのではないか、と思うことはあるが、実際には何だかんだで次々と見つかるので、やっぱり心配にならない。
 この年末年始は、カレンダー通りだと昨年に続いて本当に休みが短い。土曜日の分も振替休日にしてくれないかと思うぐらいだ。しかし、もしかしたら最終日の28日と、年明けの4日5日も有休を取って寝ているかもしれない。となると…とんでもない休みだ(笑)
 それに相応しい本を探そう。