早乙女貢『沖田総司』上・下(講談社文庫)

 沖田総司 上 (1) 沖田総司 下    講談社文庫 さ 5-4
 気の迷い。
 この作品の斎藤一が面白いという噂だったので。で、確かに斎藤一はちょっと変わっててよかったですね。考えてみればこの人はちゃんとした御家人の子で、江戸っ子。しかも彼の実家は確か神田の猿楽町だから、モロに下町っ子。武士と町人の接する街で育ち、粋で伝法でやや捨て鉢、という性向が江戸時代が末期症状という状況と相俟って極まった状態。未だによくわかっていない彼の「キャラ」を、こうしたバックボーンに沿って好きなように描いた感じ。
 で、こういうことを知ってる人は、某大河で、
「江戸には他に知り合いがいない」
には、
「嘘コケ〜ッ!!!!」
とTVを指差しただろうな(笑)(勇の結婚式の回ね)
 さて内容ですが、…
 …まず、文章が説明臭い。読んでてつっかえる。あと横文字の使い方も嫌。時代劇だから使うなとは言わないが、使わなくても書ける所だからこれが説明臭さに拍車をかけもする。幕末を私心なく生きた夭折青年の爽やか物語、という評価はわかりますが、現物を見るとどうも、そういうよさを文体が殺いでいる。
 小説というのはまず、日本語として正しくさえあれば、あとはその上での読みやすさ、勢いがあることだと思います。
 永倉の回想録を、言及するたびに切って捨ててるのはいい(笑)。本人の書いたものだからって正しいとは限らないという姿勢はいいですね。確かにあれは後世にいくらでも自分たちを美化できる状態で残したものだから、今ではかなり誤りも指摘されているらしいし。
 沖田総司池田屋で喀血、というのはこの作品にもありますが、どうもこれも子母澤あたりの創作って話も(斎藤一の左利きは本当にこの人の創作だし)。大分前ですが、『日経Medical』の連載「医学史探訪」に、沖田の回があって、沖田が池田屋で倒れたならそれは喀血のせいではないとありました。その頃喀血するほど悪化していたら、それから後あんなに生きてないし近藤勇が道場を託すわけもない、という根拠があります。ただ、倒れて運ばれたのは事実で、そうすると体力低下による熱中症ではないかという結論でした(同じ気候条件でも他の連中は斬られた以外は倒れたって記録がないので、確かに疲れてはいたんでしょうな)。まああくまで沖田を美化したい人は私じゃなくて雑誌の方に抗議して下さい。
 あと、わかっちゃいたけどこの人、明治の功臣になった人たちをホントに嫌いね(笑)。書きようがひでえや(笑)。明治維新は正義でも何でもないしクーデターでどっちが勝ったかだけだってのは私だってわかってるけど、それでも引く。まあ、ホントに会津人なんだからしょうがないけど。
 会津でこの人お奨めという「会津士魂味噌」ってのが売ってたけど、もうこの説明臭さと目一杯の佐幕史観、『会津士魂』もこのノリだと思うと、別に読みたくないやと思いました。
 でも、それぞれに史観があることは別にいいんです。会津行ったらホント会津史観でしたよ。悪いのは、誰かが言った、わかったような大上段の史観を、それぞれがそれぞれの常識に照らすことなく信じ込むことです。いくら誰かが大きな視点で考察をして、それが正しいかもしれなくても、自分自身が史観を持っていなかったらそれは役に立たないはずです。まあこのあたりは会津編の続きでも書きます。