図書館の不思議な話

 「書物の王国」という、アンソロジーのシリーズがある。国書刊行会から出ている(いかにもだ)。
 このシリーズの第8巻、ジャン・コクトー他「美少年」を先日読んだ。吉田健一さんのお名前で検索したら出てきたので。冒頭の1作、シェイクスピアの、美少年を讃えた有名なソネット(故にシェイクスピアはモーホーだったのではないかという噂もある)を吉田さんが訳されていた。
 そのほかには、主に日本と中国の、美少年をテーマにした短編が揃っている(『ドリアン・グレイの肖像』の翻案版というのには驚いた)。
 で。
 巻末に、この「書物の王国」のラインナップが載っていた。曰く「美食」、曰く「吸血鬼」、曰く「植物」…
 ところが、図書館で「書物の王国」と入力して検索してみると。
 9巻と10巻だけない。
 「両性具有」と「同性愛」である。
 試しにこの2語で検索してみても、どちらも所蔵されていない。
 この2冊が駄目なら、白洲正子『両性具有の美』や、原田武『プルーストと同性愛の世界』(『失われた時を求めて』を読むのには必須)は何故所蔵されているのだろうか。著者名は忘れてしまったが『美少年づくし』とか、色々も。
 グレアム・グリーン他のゲイ文学アンソロジー『ご主人を拝借 男と男官能の選集』(心交社)だって、オスカー・ワイルド他『ゲイ短編小説集』(平凡社ライブラリー)だってあるのだが(ちなみに2冊とも内容はそんなにすごくない(笑))。
 ドミニック・フェルナンデス『薔薇色の星』(早川書房)も、マイケル・シェイボンピッツバーグの秘密の夏』(早川書房)も、デーヴィッド・レーヴィット『ファミリー・ダンシング』(河出書房新社)だってあるぞ。(以上ゲイ文学)
 エドマンド・ホワイトだってエルヴェ・ギベールだってフィリップ・ロスだってデニス・クーパーだってフツーに所蔵されてるぞ。(以上ゲイ及び性愛文学)
 マヌエル・プイグだってアントナン・アルトーだってあるどー。(こちらはゲイというか耽美というかシュールというか)
 ゲイが駄目ならペトロニウス『サテュリコン』(岩波文庫)なんてどうするんだー。
 (以上全部読んでます、ハイ)
 中身読んだら凄いのは他にももっとあるぞ(笑)
 …話を戻すと、この「書物の王国」の9巻と10巻については、タイトルが余りにもそのまんまだったんで、偶々、購入時にバカな職員(本の選定をするのはバイトの窓口職員ではなく正規の公務員である)に引っかかったとしか思えない。
 でも、それ以前に、同性愛とか、両性具有って犯罪なんですかね?
 そういうテーマの本って、必ず読者に悪影響を与えるんでしょうか?
 …。
 しかも、タイトルだけなら、嵐山光三郎『おとこくらべ』(恒文社21)なんて相当あぶないのだが、あったんで大昔に借りて読んだ。神坂次郎『千人斬り』(新潮文庫)なんて考えようによっちゃあぶないが(笑)これもあったので読んだ。
 七北数人編のアンソロジー『監禁淫楽』、『人獣怪婚』、『人肉嗜食』(猟奇文学館1〜3、天下のちくま文庫)だって、タイトルも中身も凄いけどちゃんと所蔵されている。(U能鴻一郎さんの文章には感動したなあ)
 でも、山口瞳さんの『男性自身』はない。これは、連載「男性自身」の記念すべき単行本第1作である。
 これは明らかに、何か勘違いされているようである。その後の巻はほぼ揃っているのだが、誤解が解けてももう既に第1作は入手不可能だったということだろうか。
 そういえば、澁澤龍彦だと、サド翻訳の何冊かは勿論、『快楽主義の哲学』すら所蔵されていなかった。
 ちょっと探してみると、明らかに単なる誤解で外れた本というのは結構あるので、ヒマな方はご近所の図書館の蔵書でも検索なさってみてはいかがだろうか。
 お上はバカである。
 しかも「馬鹿」じゃなくて、カタカナで「バカ」と書くに値するような。
 と、言いたいだけであって、「何故そうなるのか」については詳しくは述べる気はないのだが、少なくとも1つ言えるのは、別に本を選ぶ人間は全部の本を読んでいるわけじゃないのである(当たり前だが)。そもそも公務員として図書館に配属されただけで、本好きというわけではないし、その上とにかく忙しい。普段利用者が目にする「図書館員」はカウンターや書架整理、書架戻しをしているアルバイトである。実際の「図書館の仕事」は、扉の奥で行なわれている。正規職員は本の選定にレファレンス(質問回答)、様々なイベントと仕事はいくらでもある。これが本好きでもない人間がしなくてはならないとしたら、その苦衷はお察しする。「図書館長」なんてものは公務員の世界では名誉職のようなもので、何だかんだ会議で飛び回っていて、図書館実習をしていた時、とうとう一度も目撃することはなかった。
 また、図書館にいるのは全員「司書」だというおめでたい誤解が一般化しているようだが、「司書採用」など区レベルにはない(横浜市だけが唯一やっていたが、今はなくなったらしい)。図書館に勤めたい!という熱意があって司書の資格を持っていようが、公務員試験を受け、運良く図書館に配属されるほかはない。故に、大学で司書の資格を取る時にも、「就職には役に立たない」と必ず釘を刺される。司書採用がないのだから当然図書館に司書の配置は義務付けられていず、1館に1人もいない。窓口や書架整理はみんなバイト(うちの区では派遣会社に一括委託した)。国立国会図書館も、窓口職員は派遣社員である(その代わり、正規職員は特別な公務員試験をパスした超エリートであり、一般向けでなく議員向け図書館なので、館長の権限は国務大臣に匹敵すると規定されている)。
 上記のように、どういう本なら所蔵していいかという基準はバラバラである。
 ある時はタイトルだけではね、ある時はタイトルも中身も凄かろうが(そして多分中身までは呼んでいないだろうが)文学作品だからというだけで絶対に入れるという職員もいるだろう。
 それには本の選定と提供の専門家を重視しない日本という国の姿勢も関係している。
 ここで、テーマの特殊さ以前に本の内容としてクズ、というものをどうするかについては述べない。
 結局は、基準なく不所蔵になった本の存在を知ると、非常に不快になる。それだけである。なるべく、「読みたい本が所蔵されていない」という状況には遭遇したくないものである。