Everyman has his dream.

 山口瞳さんの続きを読み続ける。
 愈々今年も終わりということは、もう今週あたりから、図書館で借りる本の返却期限が正月休み明け、という、心浮き立つ時期。(そんなのアタシだけか)
 ということは、正月休みに読む本を厳正かつ慎重に選ばねばならぬ、という時期である。
 特に今度の年末年始は、都合で多分ほとんど横になって過ごすと思うので、寝ては読み、そしてウトウトといける本がベストである。
 よって、以前書いた通り、山口さんと吉行さんで行こうと思っている。(但し、古い本が多く当然汚いので、「そんな本を布団に持ち込まないで」と相方に嫌がられるが)
 吉田健一さんの真面目な評論の本は数冊読んだには読んだがどれも難しくて理解できず、この調子ではとてもとてもということで「お休み本」からは外した。英国文学、つか、文学のことは全くわからんのよね。
 ということで、山口さんの「男性自身」シリーズを少しずつ借りているのだが…
 結構、ポツポツと、所蔵されていない巻がある。
 絶対、何か最初に誤解されて、しかもそれが尾を引いていると思う。
 もしくは、70年代に、うちの区の図書館職員に狂信的なまでの「山口瞳嫌い」でもいて、何冊かは購入阻止したのではないかとさえ思ってしまう。
 だって、恐らくはずっと人気シリーズなのだろうし、図書館に入れても全く問題のない、鋭い大人のエッセイ集である。
 何故、時々抜けている巻があるのか、誰か説明できるもんならしてくれ、うちの区の図書館。
 そりゃあ、第1巻がそのまんま『男性自身』だったのはよくなかったのかもしれないさ。世の中には好んでヘンな誤解をする人の方が多いからね。
 で、困ったことに、このシリーズは、『山口瞳大全』(全11巻)には10巻に「男性自身傑作選」として収録されているだけなのである。
 なので、仕方なく、予約カードに書いて(所蔵されていないとネット予約はできない)チマチマとリクエストすることにした。恐らくは、残念ながら到着するとしても年明けだろう。
 しかも、何と、あの『江分利満氏の優雅な生活』まで、単独では所蔵されていない。
 この作品は言うまでもなく、デビュー作であり、直木賞受賞作である。山口瞳といえばエブリマン。
 それが、『山口瞳大全』第1巻に、『居酒屋兆治』と共に収録されているからやっと読めるのである。
 やっぱ、絶対何か陰謀があるだろ。
 しかも何故か、『江分利満氏の華麗な生活』、『江分利満氏大いに怒る』は所蔵されている。
 マジで、強硬な山口瞳嫌いでもいたんじゃないのか?図書館職員は公務員だからな。サラリーマンに偏見でもあるのかもしれない(いや、あくまで私の推測です)。
 その割には、ここ数年で出た、「男性自身」の単行本未収録作品集2冊は入ってたりするんだな。
 絶対、職員が、最初は山口さんを見くびってたね。
 とまあ、憤懣はこれぐらいにして。
 『江分利満氏』シリーズ。
 面白い。私が女でしかもまともに働いたことがないし、日本という国も会社も大分変わった。それでも、何かサラリーマンには普遍的なところがあって、今でも読み継がれているのだろうということはわかる。
 私にとっては、全体として感慨を覚えるということはなく、細かいディテールのあちこちで面白がり頷くという姿勢である。例えば、江分利満氏と父との関係には氏の立場になって口惜しがり、関西人と関東人の違いの分析には頷き、どういうものが東京人で、東京に住んでいてもあるいは東京生まれでもどんな人間が田舎者なのか、という見分け方にも共感する、といった具合。
 社宅族の付き合いというものは、一応参考としておく。
 我が一族の女性では、「サラリーマンの妻」は私1人である(あとはみんな夫が医者なのだ)。「勤め人の妻」としては他に1人伯母がいるが、夫は公務員。しかし、今時は思っていたほど会社の人間関係はウェットではなく、家も社宅ではなく、中元歳暮のやりとりも廃止されているので達筆で礼状を書かなくてはいけないということもない。夫の上司や同僚からの電話も今は直接携帯電話に入るから、私は静かにしていればいい。しかし典型的サラリーマンの生活を描いたこの作品は、色々参考にはなる。
 江分利満氏が苦労の末に引っ越してきた社宅のあるニュータウン、つまり団地族がワッと入ってきた街の変貌ぶり(学校増築、美容院がやたら増える、どの店に行ってもまともな店員がいやしない、など)は、今の我が家の近所(戦前の工場地帯、戦後の公団住宅ブームを経て今マンションブーム)と全く同じだった。こうして町のそれまでの歴史が消えて、町が駄目になっていくのだとあらためて裏付けられた気分。何が下町だか。ただの場末である。
 と、それぞれに読み方があっていいと思うので、サラリーマン人生をわかることはできなくても、面白い。戦中派が色々のごたごたの末に迎えた30代、40代、マイホーム。何とはなしの哀しみの描き方が上手いのだろう。
 「男性自身」シリーズ。ずっと面白く読んでいる。戦中派から見た若い者への不満や怒りが、今の私から見た20代の若者に対するそれとほとんど変わらないのだから、世の中というのは変わらないものなのかもしれない。
 しかし恐ろしいのは、戦中派が既に祖父母の代だということである。
 大分前に何かで読んだのだが、「おふくろの味」も、既に親ではなく実質的には祖父母の代の味なのだそうだ。我々団塊ジュニアの親、つまりベビーブームの母親の頃は既に大人になるとインスタント食品が出回っており、本当に手をかけた料理を作ったのは祖父母までなんだそうである。確かにそうかもしれない。親の世代も今ほど手抜きではなかったが、既に祖父母の世代から親の世代が意識して味と家事を受け継いでいなかったら、我々がおふくろの味を知らず、作れもしないのは当たり前である。一応私は作るものは母の味付けだが、考えてみれば、母に教わったのは炊飯器でお米を炊く時の研ぎ方と水加減と、お味噌汁の作り方ぐらいである(ちなみに、米に掌をつけて手首までの水、というのは祖母に教わって、ずっとそれでやっていて問題はない)。お味噌汁だって、出汁の取り方は母に教わったのか家庭科の教科書で初めて見たのか忘れてしまった。その他の料理も、つきっきりで教えてもらったことはなく、見よう見まねかつ味付けを記憶の通りにしたから母と同じものになっているし、母よりもレパートリーを急激に増やしたので、母が作れないものの方が今は多い。尤も、母に言わせれば母は祖母にくっついて料理やお菓子の作り方を憶えたそうだから、悪い方ではないのだろうが…(私が子供の頃はインスタントラーメンやマックなんて、親は滅多に食べさせなかった。私はF田田なんてのは国賊だと思っている。)
 些か話がずれたが、本当に昭和は遠くなりにけりである。
 『居酒屋兆治』。これも山口さんだったのを初めて知った。結構インパクトのあるタイトルなので、昔ドラマになったのは憶えている。これも、江分利満の同類が主人公の伝吉。彼の、山口さんが繰り返し書いている戦前の東京の人間の「人に迷惑をかけない」を地で行く生き方故に、却って面倒を招いてしまったり誤解を受けたりという面を見事に描いている。同時に、TVドラマでは上手くこの感じが出なかったろうなと思う。