あいづ・そうかつ・8

 今年も押し詰まって参りました(笑)
 ということでやっと会津若松観光です(笑)
 循環観光バスが「ハイカラさん」というネーミングからしても、この町は「戊辰戦争」と「明治のレトロ」が売りです。もうちょっと遡ると信長の娘婿・蒲生氏郷なんですが…具体的な歴史ってそれぐらい後からしかないようなんですね。
 尤も、「会津」という地名の由来は、『古事記』にある「四道将軍」(そういやいたなあ)のうち2人だか3人だかがこの地で「会った」=合流したからだそうですが(確か会津武家屋敷の展示にそう書いてあった)。
 「若松」は、氏郷が自分の故郷にちなんでつけた地名。
 どこを回るかというと、5時間もかかって時刻表とこのバスの時刻表と首っ引きで計画を立て、相方にも意見を求めたところ、
「ラーメンと若松城野口英世でいいや」
だったので、他は全部私の趣味。
 ということで、最初は七日町へ向かいます。駅で言うと会津若松から1つ東京寄りです。ハイカラさんだと10分ぐらいで着きます(喜多方まで延長運行することに気づく前は、先にこの駅で降りる計画もありました)。
 元々七日町だの十日町だのというのは、その日に市が立つ場所という意味ですから(東京にも「五日市」や「十日市場町」がありますし、「十日町」は新潟などにあります)、この七日町も、現地レポートにも書いたように、そのまま今でも突発的に賑やかな、小さい商店街になっています。
 で、降りたバス停は「阿弥陀寺東」。斎藤一のお墓があるお寺です。バス停はお寺の真正面なのですぐわかります。
 会津に着いた当初は、「おお、そうでもないじゃん」と油断していたのですが、もう15:00近くともなるとそろそろ風も寒く、マフラー登場。
 会津30阿弥陀寺2.JPG
 …さびし〜。
 えー、フツーのお寺です。
 ついつい東京近辺だと、有名人のお墓のあるお寺=でかい、有名、宣伝バリバリ、という思い込みがありますが、この阿弥陀寺は、本当に、普通の田舎の家(だから都会の一軒家よりはやや大きい)に庭がついた、という程度。(長岡の、山本五十六のお墓のあるお寺もこんな感じでした。河井継之助のお墓のお寺はすんごい記念注が立ってたんですが)
 しかも、暗い。
 誰もいない。
 枯葉舞う、誰も出てこないお寺…
 ヒュルル〜〜〜。
 バスの中での案内放送でも、「新選組三番隊隊長斎藤一の墓がある」と言っていたのですが、あまりに意外にさびし〜。
 でも、その方がいいや。
 何か京都は、口にするのも憚られるようなひどいことになってた(今もか?)らしいですからね。
 あるかなきかの参道の後、門をくぐってすぐ右手に、門に背を向ける(つまりお寺の内側に向かっている)形で、「藤田家」というお墓があります。これが斎藤一藤田五郎以下ご一族のお墓です。(クリックで拡大)
 会津31斉藤一墓案内板.JPG
 あんましヘンなことにはなってなくてほっとしましたが、やっぱり近藤勇の写真を模したイラストのついた小さな四角いピンバッヂが2つ置いてありました。
 関係ないつーの。
 ここで手を合わせて、私が何をお願いしたかと言えば、簡単に言うと、「悪いとわかっていて悪いことをしないように」ということですね。知らずにやってしまう悪もあるけれど、少なくとも、そうとわかっていても敢えて私欲のために悪いことをするような人間には、これからもならないように、と。(まあ無理だろうけど)
 あと、「藤田勉」さんの、法事があったばかりらしく、まだ新しい卒塔婆がありました。この方は、斉藤一のご長男。現在のご当主は恐らくひ孫さんあたりでしょう。時代は移りにけり、という感じがします。
 ご一族は藤田五郎の代から東京にお住まいなので、五郎どのが「会津に葬ってくれ〜」と希望したばっかりに、お墓参りや法事も大変だろうなあ(^^;)。もしかしたら東京のお寺に分骨など始まっているのやもしれません。
 奥にある、お寺の本殿らしきものは何か普通の家で、その手前に「御三階」という建物が。これは若松城から移築されたので無事にここに残っています。外から見ると三階建てですが実は四階建てという忍者屋敷のようなもので、秘密会合が行なわれたとか。(クリックで拡大)
 会津33阿弥陀寺御三階.JPG
 この御三階の左手前、藤田家のお墓の斜め左前に、狭い墓地があります。つまり藤田家だけ別の所に立っているわけです。(山本五十六のお墓だと、こういう墓地の中の山本一族のお墓が並んだ中に、五十六の、遺言によって養父より小さい墓石があります)
 藤田家の右隣には、「東軍墓地」。これ、以前参照したHPでは、
「なかなか埋葬を許してもらえなかった死体を、ようやっと疫病防止を理由に許され、積み上げてそのまんま土をかけたもの」
「掘れば今でも骨が出るようなもの」
とあったので、どんなもんかと思ってたのですが…
 思いっきり、掘り返してる真っ最中でした(^^;)(クリックで拡大)
 会津35阿弥陀寺東軍墓地.JPG
 その日は祝日のせいか作業はないようで、掘り返す什器(名前何でしたっけ)の小さいのが土の上に置きっぱなしでした。見たところ土だけでもう特に何か覗いているということはなかったです(あったら困るよ!)。
 あとは、供出されて土台だけ残っている大仏の跡や、お寺と戊辰戦争の由来を示す説明板。(クリックで拡大)
 会津34阿弥陀寺案内板.JPG
 これで、私が会津に来た目的は半分は済んだことになります(笑)
 このお寺参りはほんの10分もあれば終わってしまい、バス停に戻っても次のバスまで時間がありすぎるので、大通りまで歩いて戻ることにしました。(大通りから右に折れて阿弥陀寺だった)
 この、戻る道は、珍しく観光地らしくもあり、いかにも地元の商店街でもある通りで、「会津中将」の鶴乃江酒造や、「七日町白木屋」というレトロなお店(何を売っているのかはよく見えませんでしたが)もあります。そうそう、「レオ氏郷記念館」という小さいレトロな建物も(氏郷は洗礼を受けたキリシタン)。
 七日町白木屋。(クリックで拡大)
 会津40_2七日町白木屋2.JPG
 この提灯は、会津のどっこに行ってもあった…。そんなに他に売りがないんか?と流石に辟易。
 会津37七日町新撰組ちょうちん.JPG
 この通りには、「清水屋旅館跡」もあります。土方歳三やら吉田松蔭やらも泊まった由緒ある宿ですが、今は銀行になっています(ちなみに、こちらは架空ですが、「ベイカー街221b」も今は銀行)。土方歳三はここで静養していたのですが、医者の勧めで東山温泉で傷を癒すことになったそうです。私たちのコースと一緒です。(クリックで拡大)
 会津39_2清水屋旅館跡2.JPG
 ということで、続く。