平岡梓『伜 三島由紀夫』(文春文庫)

伜・三島由紀夫 (文春文庫)
伜・三島由紀夫 (文春文庫)平岡 梓

文藝春秋 1996-11
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 1ヶ月近く前になるが、タイトルに惹かれて思わず借りてしまった。三島由紀夫の本名は平岡公威。お父さんが「梓」とは、官僚の家にしては随分風流。
 一言で言えば、父親の割には随分醒めている。文体も皮肉っぽい。息子に対しても息子の周囲の人間に対してもかなりそうで、特に自ら、「生まれた直後の光景を憶えている」という”三島伝説”を覆してみていたりもする。
 でも、こういう父親、つまり、本当はとても色々考えることも口惜しさもあったろうに、息子の死の直後に書いた文章がこんな風にちょっと斜に構えたようにならざるを得ない父親でもあるからこそ、ああいう作家が生まれたのかなとも思う。結果論かもしれないが。
 死んでから三島の名前に群がる人間への静かな怒りは理解できる。本当に嫌だよね、後から、さも親しかったように雑誌に文章を寄せる作家とか、自分があの作品にインスピレーションを与えたとか言い出す奴。葬儀に来る人来ない人。これは普通の死に方をした人にもある程度起こりうることだろうし、増してやああいう派手な(?)死に方をした人であれば本当に大変だと思う。
 この文章にはかなり母親の手記も引用されており(そしてその前後につけた父親の解説がまた皮肉っぽいのだが)、母親と父親の予感の違い、受け止め方の違いもわかる。しかし、解説の尾崎秀樹はこの点を指して、この手記は家族の物語でもあるとしているが、そんな単純なものではないような気がする。根本的には父親も母親と違わないように思う。だとしたら、それでもどうしても醒めた書き方をしてしまう父親の心理の方に私は興味がある。
 ちなみに、尾崎秀樹はこの父親の醒めた部分(特に、川端康成らが奔走した葬儀の準備を「茶番」だったか「喜劇」だったかとしているあたりなど)がどうもお気に召さないようで、解説者が解説で本文を余り褒めていないという、珍しい本でもある。
 私は三島作品の真面目な読者ではなく、その死にも興味はない。かの『金閣寺』を読んでいなかったり、他の作品も眼で追うだけで精一杯だ。しかし、この本を読んでみると、初期作品を読み返し、初めて『憂国』を読んでみようという気になる。今まで読んだ作品も十分好きで、『美徳のよろめき』とか『禁色』といったテイストの作品の方が好きなのだが…