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 阿川佐和子ほか『ああ、恥ずかし』(新潮文庫)
 ああ、恥ずかし
 女性ばかり70人が、自分の「恥ずかしい体験」を赤裸々に語る。
 こういう話は面白いし…面白い話を実に面白く書ける人、淡々と書く人、色々といるものだと思ったり。
 ただ1人の人の文章を除いては、実に笑えた。自分も似たようなことをやった、ということはないが(特にストッキング、下着がらみでは)、似たような精神構造だと思って笑えた。
 が。
 その問題の文章というのは、自分が恥ずかしかった話ではなく、
「自分がしていることが恥ずかしいことだと気づかない人を恥ずかしいと思う」
という話だった。
 既にしてこういう考え方が、この本の空気を読めてないと思うのだが。
 その上、その「恥ずかしい人の例」というのが、電車に乗ろうとして、
「臨月ほどの大きさの腹ボテ女性に露骨に押しのけられた」
時だという。
 バカかお前は。
 書いたのは自称「作家・女優」なる女。まあ、この本読むまで聴いたことないから、恐らくその程度の作家で女優なんだろうけど。
 その女性がアンタを「押しのけた」のは、そもそもアンタが、妊娠している女性より先に電車に乗って自分が先に座ろうとしたからだろ。
 おお押しのけるとも。腹がでかいということは、マジで身体が重いのだ。後述するように、30分と立ってはいられない。どうだ、妊娠してないアンタとどっちが座るべきだと思う?
 大体同じ女性が「腹ボテ」なんて差別用語を使うか。昔ならまだしも、今の時代に。
 で、その臨月間近の腹に、アンタは近くにいて気づかなかったか、そういう女性がいるのに無視して先に乗ろうとしたんだろーが。
 正に、こういう、人のことを恥ずかしいと言う資格の一番ない人間ほど、人のことを恥ずかしいという文章を書くという、いい例である。
 その上、この「作家・女優」、この文章を書いた時点で、出産経験がある。正に自分の体験は忘れたか、それとも、自分もした辛い思いを、人にはさせまいと思うより、人もしろと思うタイプなのだろうか。さぞやご自分の時は大きなお腹を抱えて耐えていたのだろう。
 妊婦がこういうことを言うと、こういう女はまた、「だから妊婦は恥ずかしい」とか言うんだろうけど(そんなことアンタに言われなくても、妊婦は自分の姿が自分で十分に恥ずかしい)、はっきりいって、もう腹が臨月近いということは、
「重力が1.5倍」
なのである。自分にかかる重力が増えたんじゃないかというぐらい、動けない。一旦寝たら起き上がるのに時間がかかる。だから疲れているけど横になるのは自分でもめんどくさい。
 30分ぶっ続けで立ったまま料理をする、ということすら、ここ数日キツくなってきたなあと実感している。正確に言うと、まだ新米「腹ボテ」なので、普通に生活していたら今までできたことができなくなっていることに次々と気づき、「あら?」ということが、ここ数日特に激しくなっているのである。
 (と言いつつ、こうしてキーボード打ってる間って、結構腹を机との間に挟んでる気がするけど)
 確かに公共の場で人を押しのけるのは、(程度にもよるが)よくない。今の私だって、この腹にベビーカーを押した母親が突っ込んできそうになって戦慄したことは何度もあるし、つまりは自分が妊娠していたって、子連れの女性の傍若無人さには、本当にぶっ殺してやりたくなる。某ベビー用品量販店(外資系)では、抱っこしていた子供の汚れた靴を人にすりつけておいて気づきもしない。その店の巨大なカートも、もしそんなもんでぶつかられたらと思うと最高に恐ろしい。…と、子供がらみの女性にも各段階があるわけだが。しかしそれにしても、流石は、
「ロマンポルノに主演し自己破産で免責を受け三度目の結婚をし生い立ちを綴って新人賞を頂」
いた女だけはある。おお、こうなったらこっちだって思い切り差別してやるぞ。 
 ああ、腹立つ。
 って、これは次の本だった(笑)
 阿川佐和子ほか『ああ、腹立つ』(新潮文庫)
 ああ、腹立つ
 『恥ずかし』の方でも、アガワ文章は70編のうちの1つ。この『腹立つ』に至っては、アガワ文章は連載時からあったのではなく単行本化にあたり書き下ろしたもの。こうなると、著者名が「阿川佐和子ほか」なのは、五十音順というよりはやはり、2冊とも、彼女のネームバリューで売ろうということだろう。彼女にケチをつけたいのではなく、他に有名な女性作家も沢山書いているので、最初からどういう企画意図だったのかわからん、ということ。
 この、『腹立つ』になると、男性陣も多く書いている。女性男性どっちのお腹立ちも面白い。大きなことから小さなことまで、大体共感できて、かつ、そう書いている人もいる通り、何だか世の中自体、腹を立てるだけ馬鹿らしいものになっている…のが余計よくないのだろうか。