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 永井路子『王朝序曲―誰か言う「千家花ならぬはなし」と』上・下(角川文庫)
 王朝序曲―誰か言う「千家花ならぬはなし」と〈上〉 (角川文庫) 王朝序曲―誰か言う「千家花ならぬはなし」と〈下〉 (角川文庫)
 「王朝三部作」の、私にとっては最後。この『王朝序曲』と、道長の『この世をば』(これが私と永井作品との出会い)、そして先日読んだばかりの『望みしは何ぞ』で、三部だ、というのは、3作とも読み終わった今日やっとよく意味がわかった。永井さんはこの3作で正に「王朝」というものを描ききったといえる。たった3作ながら、『序曲』の主人公が藤原冬嗣、そして道長、『望みしは』の藤原能信というのは、実にツボをついた人物選定なのだ。(で、平安時代そのものの終わりを描き、武士の真の意味での力強さ、本来の姿を明らかにしたのが『炎環』『北条政子』である。)
 藤原冬嗣は、藤原四家のうち、北家の隆盛を築いた人(以後の所謂平安朝において、歴史で習う「藤原氏」とはこの北家である)。いわば「藤原王朝」の創始者である。道長はこの北家の生まれで、永井さんの作品では、野心家と言うよりは偶々権力が転がり込み、その権力に苦悩した人間として描かれている。そして藤原氏専制消滅の端緒を作ったのは、道長の不遇な息子・能信。つまり、この3作は、「藤原王朝」の始まりから終わりまでなのだ。永井さんは『王朝序曲』では、
「『王朝国家』はむしろ『王不在』の国家ではないか。それとも、学者は『王朝』とは『藤原王朝』のことだと割りきっているのだろうか。」(241ページ)
と鋭い指摘をしている。実際に、恐らく、王朝とは藤原王朝なのかもしれない。
 冬嗣は、はじめは取るに足らない生まれで、出世するとはとても思われなかった家の、しかも長男ではないという点では道長と同じ(道長は北家の生まれながら、三男である)。そして、自らは意図せずとも一つの時代を終わらせ新しい時代を開いた、という意味では能信と同じである。つまり全員「弟キャラ」(永井さんって、結構「弟キャラ」好きかも?そういえば北条義時も!平時忠も!(笑))。
 特に、この『王朝序曲』での冬嗣と、『望みしは』の能信とは、キャラがかぶりまくりである。冬嗣と同母兄・真夏、能信と同母兄・頼宗の関係は、どちらも、真直ぐな兄(ある意味普通ってことかも)と、冷めていて、特に野心もないのだが結果的にはある程度の成果をおさめる弟(冬嗣の場合は大出世、能信の場合は出生はそこそこながら実は外戚政治消滅を齎した)である。いくら同じ作者でもこんなにかぶっていいんかい、というぐらいだ。
 そもそも、上述の通り、彼ら弟キャラってみんなそっくり…っていうか、
「ちょっと冷めてて、自分はなかなか表に立たず、野心もむき出しにせず、賢くて兄貴(義時と時忠の場合、姉貴)のことはよく立てるし仲も良い。けれど一世一代の大勝負には必ず勝つ」
というのが永井さんの弟キャラなんだろう(時忠の場合は、出世ではないが平家の中では珍しく生き残り、不遇にもならなかった)。
 まあ仕方ないか。人間は、自分の描きたいものを繰り返し描くのだから。
 で、冬嗣の場合は、それまではまあ着実ながら派手でもない官途だったものが、有名な「薬子の変」での一発大勝負に勝利を収め、あとはとんとん拍子に権力の階段を駆け上る。しかしその陰には、平城天皇の忠臣であった、仲の良い兄との別れがあった。
 この作品の冬嗣は結構私のタイプだが(というか、最後に勝つ人好きなんで、義時も好きだな…)、真夏兄さんの潔さも素敵だった。
 平安遷都を行なった有名で強力な天皇、というイメージのある桓武天皇の、結果として失政続きになってしまった治世、怨霊に怯える心、そして后の母である薬子に溺れる息子・平城天皇との確執も、この作品の一方の流れである。この作品の桓武天皇は、授業で習う事績からするとちょっと意外。同じく、大仏を作った天皇として知られる聖武天皇が実は無茶苦茶怯えまくりの天皇だった、というのに通じる。いかに、授業の日本史=事績だけ並べて表面を見ていては何もわからないか、ということである。
 また、この作品でも、薬子を通して、永井さんが口を酸っぱくして提唱し続けている、日本史における「乳母」という存在の重要性が描かれている。乳母とは乳を与えるばかりでなく、むしろ与えない乳母もいるぐらいで、養育係という意味である。それが色々な手ほどきを養い子にするうちに、”初体験”の方までお教えしてしまうこともある、ということも永井作品では繰り返し描かれている(特に鎌倉・室町時代)。実際そんなもんだったのだろう。つまり乳母とは母兼恋人。実の母親であるからこそなれない関係に、たやすくなれてしまう立場。男にとっては母親が永遠の恋人だというのはよく言われることで、実際に乳母というのは乳母制度のあった時代には本当に母親であったのであり(実の母親が子育てをしないのは上流階級のステイタスだから)、そのくせ実の親子ではないから睦み合っても(公然の秘密として)問題はない。正に究極の関係である。この『王朝序曲』では、乳母の立場にあたるのが薬子。安殿親王(=平城天皇)の後宮に入る娘の付き添いだった彼女に亡き母をみた親王は、忽ち道ならぬ関係に陥る。文字通りの「義理の母」との関係である。
 そして、天皇の純粋な恋、薬子の野心―父桓武と平城同様、平城と薬子も些か思うところはずれていたらしい―が絡み合い、平城再遷都へ。冬嗣の運命を変えたのは、この僅か数日間であった。
 この変の鎮圧のため、あるいはその後、官僚制度、天皇上皇の関係など、その後の時代に繋がる大きな変化を冬嗣は齎す。彼自身はそこまで意識していなかったにしても…
 正に「王朝の序曲」というタイトルはこの物語に相応しい。もう一度、『この世をば』を読み返してみたくもなる。
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