小菅繁治『兄 藤沢周平』(毎日新聞社)

 

兄 藤沢周平
兄 藤沢周平小菅 繁治

毎日新聞社 2001-02
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 しまったああああ。年末だというのに更に暗い気分になるような本を読んでしまったああああああ。
 何かっつーと、藤沢未亡人・義娘(前妻の子)と、周平氏実弟・繁治(この本の著者)とは、周平氏の生前から壮絶なバトルを繰り広げていた、という話である。そして死後は、いや死後こそ、互いに著書を繰り出してまだ戦っているのである。
 少し前に、福沢一郎『知られざる藤沢周平の真実 待つことは楽しかった』(清流出版)についての記事で、やっぱりあの作風の藤沢周平でも聖人君子ではなかったのだなぁ(主に女性関係の面で)、などと書いていたのだが、コトはそんなレベルでは済まなかったのである。あな恐ろしや。
 前半は、幼き日から青年期ぐらいの、兄との郷里でのエピソードと、「次兄の妻」(つまり現未亡人。彼女のことはとうとう名前すら一度も書かれていない)と母や郷里の姉たちとの不仲。嫁姑バトルはこれはまあ母親と言うものは、ましてや年を取れば…ということだし、周平氏も決して円満な人柄ではなく、未亡人や娘が「カタムチョ」(郷里の言葉で「頑固者」)と評する以上のものであったことも知られつつはあるのでまだよしとしよう。
 だが、これが後半、兄が受賞し作家として有名になっていくあたりからは、ひどいもんである。著者と「次兄の嫁」との確執、のみならず、自分自身と妻との不仲に苦悩する周平氏が描かれる。
 ここで、アレ?と思われる方、それは当然です。世間ではあの作風からして、繁治氏も言うように「藤沢教」のような聖人化が行なわれておりますね。更には娘・展子氏(彼女に対しても、繁治氏は一切敬称略である)の立て続けのエッセイによって、父周平氏はもとより、義母についても神と女神のような書き方をされ、それが世間に浸透しております。
 ところが、繁治氏に言わせれば次兄の嫁は(この、あくまでも「嫁」という表現に拘るあたり田舎というかアレだとは思うけど)とんでもない悪妻。確かに、この本に書いてあることが本当なら(いちおう、「なら」としておく。本当なんだろうけど)、この義理の母子はどんだけ世間を欺いているんだ、と…
 中でも、周平氏の最初の入院中、病室の中、当の病人の前で、(著者が興した会社の借金で兄に世話になったことは確かにあったにしろ)、恐らくは一方的に義母の言い分だけを吹き込まれていたであろう展子氏が(これは借金問題以外でもそうだろうが)、著者の妻をいきなり長々と面罵する場面には、他人とはいえ身に震えが来るような嫌悪感で、本を閉じたくなってしまった。
 この展子氏という人は(図らずも私もこの方の「美談本」を2冊ほど読んでしまったわけだが)、不仲の実父と義母の間で、一時は著者夫妻に預けられ、特に叔母にあたる著者の妻にはひとかたならぬ世話になったはずなのに、である。
「団地住まいのころには壁一つしか離れていない隣近所の噂になるぐらいの折檻を今の兄嫁から受けていたという姪が、いつの間にかその相手と妥協したのかは私らには知る由もないが」
とそのページにはある。
 展子氏の著書では、この義理の母子は最初から折り合いがよかったかのように、義母が聖女のように描かれているのだが、である。
 恐らくは、夫が、父が、「直木賞作家」となり、どんどん公人となっていく過程で、それぞれに外面をよくしているうちに、いつの間にか、義母と娘というよりは、藤沢周平という1人の男をめぐる女同士として、妥協か、もっと言えば口には出さない冷たい同意が成立し、実は未だに全く仲はよくなくても、外に対しても、著書の中でも、理想の義母子であるかのように装うようになっていったのだろう。これはこれで全く、展子氏の著書の中ですら語られないそして永遠に表には出てこない、別の恐ろしい側面である。
 だが、彼女らの肩を全く持つ気はないが、1人の有名人の後に残された人間には、その有名人の評価を守り抜かなくてはならないという義務もある。そのために自分たちの姿をあえて偽ることも必要である。尤も、著者の言い方からすると、単に義兄の嫁と姪の性格の問題かもしれないが。
 この恐ろしい親戚バトル―他の親戚は郷里にいるだけに一応手紙だけでの登場である。やはりヘタに同じ東京に住んでしまったがゆえに壮絶な争いになった二家族なのだ―は、とうとう、兄嫁が義弟に、夫の再入院は知らせず(郷里の長兄にまで「義弟に知らせるな」と口止め!)、おかしいと思った著者が訪ねても電話しても兄嫁や姪に罵られ、決定的な絶縁を迎える。最初の入院では兄弟の情から足繁く見舞っていた著者に冷たく当たる次兄の嫁と姪で、著者夫妻は辛い思いをしていたのだが、その挙句にこの仕打ち。
「次兄の死は翌朝のNHKのニュースで知ったが、通夜も葬儀の通知もついに私には届かなかった。」
 著者は「あとがき」で、「誰からも好かれ反感をもたれない人間の方がおかしい」「人間の評価は、見る人によって全く違う」旨の山本周五郎(藤沢周平が尊敬した作家でもある)の言葉を引き、
山本周五郎のこの言葉に出会った時、正直なところ私はぎょっとした。マスメディアに誘導された死後の兄留治(藤沢周平)への世評がまさしくその通りだからである。しかもその対象が当人ばかりか、兄の家族にまで及ぶとあっては沙汰の限りだと思った。」
としている。ははん、つまりこの本1冊で著者が言いたかったのは結局この最後の一文なのだろう。
 どうにも収まらないのはよくわかる。最後の言い争いの中で著者が、
「俺たちのことを何か極悪人のように触れ回っているみたいだが」
と兄嫁に言っていることからしても、「藤沢周平の唯一の公式後妻」(『知られざる〜』で明らかにされたように、実は最初の妻の後、藤沢周平は2度短い再婚をしている)として、生前夫のスケジュールを管理し、出版社などとの交渉も一手に引き受けていた(このことが娘の著書では美談とされているが、こうなってみると果たしてどうだか?)この兄嫁は、ことあるごとに自分の”勢力範囲”に義弟を悪し様に言っていたのであろうことは容易に推測される。(もっと言えば、もしかしたらこの親戚バトルは、出版社の間でも有名だったかもしれない。いい大人が、一方的な言い分だけを信じるとも思えないから。人の悪口を言えば自分も恥をかくのだ)
 著者の目的は、この本でほぼ達成されただろう。初めは、「こんな内輪の恥を、大出版社から、しかも藤沢さんの本の装丁をしていた人の装丁で出すなんて…」と思わないでもなかったが、最後まで、特に「あとがき」まで読むと、この、「同じ装丁で、ドーダ!」という「ドーン」感がばっちり迫ってきた。
 私自身も、藤沢作品のあまりの美しさに、作者まで神格化することはすまいと、自らを戒めつつ過ごしているので、著者の言わんとすることはよくわかる。
 しかし、同じ「あとがき」に、
「文中には家族にとってあまり触れてもらいたくない部分もあるかも知れない。しかし奈良東大寺の大仏像が(注:「あとがき」は、大仏を実際に見た時とそれまでの想像とのギャップについての話から始まっている)、いかなる賛美の中にあっても、その実態は等身大以上でも以下でもないのと同様に、兄の作品の価値がそれによって毫もゆらぐものではなかろう。」
とあるように、そう、家族のドロドロと作品は関係ない。…「ゆらぐものではなかろう」とか、ここまでドロドロを書いちゃった本人が言っても、些か言い訳めいているのは確かだが。
 まあつまり、いい気分になる本ではないけれど、確かに、バランスを取るという意味では世に必要な本かもしれない(一応、大手出版社から、しかも藤沢周平本人の著書と見紛うような装丁で出されたのだから、表立った地位もある本だということだろうし)。しかし、初めから、藤沢周平周辺人物の言い分に一切興味がない人は読む必要がない。ただ、(私も含め)偶然にも、娘の書いた美談本(ということはつまり、義母賛美本でもある)を先に読んでしまった人は、読んでおくべきかもしれない(しれない、としておくが、できれば読んだ方がいいと思う)。
 「読者それぞれが描いている藤沢周平像の視座に、ブレの無い新たな一片を加えるきっかけになってくれれば、私としても望外の喜びである。」(「あとがき」より)
はぁそうですか…望外っていうか、それこそが著者の望みでしょ(笑)。そもそも、「ブレのない」視座なんてものは、ほとんどの読者には必要ないものだし。
 しかし、「新たな」と言っているということには、既に出ている展子氏への美談本に対する並々ならぬ対抗意識がこめられているのは確かだ。その気持ちもわかる。
 それにしても、私は好きな作家のエッセイまでも欠かさず読むのが好きだが、好きな作家でもそこまでにしておくべきで、未亡人だの何だのの言い分まで知る必要はないのだと、これほど思わされた一件もなかった。