少しだけ、前の記事と関連して

 やっぱり、事実がどうとかというのもあるけど、「伝えられ方」というのも歴史だと思う。
 ちと話は離れるけれども、最近のやたらな徳川ブームも、大きな「揺り戻し」の例だよね。だって、「大徳川展」の次が「近衛家のナントカ」でしょ。こんなの完全に大河絡みの抱き合わせじゃん!去年の大河だって、99%意味なく、まだ何ともない立場なのに徳川家康徳川家康って連呼してたし。ワタクシ、絶対あのあたりもナニかあったと思ってます。
 それだけ、あの「朝敵」とされた時代は徳川家縁の方々には辛かったんですよ。しかも長い!こんなに長い間小さくなっていなければいけなかったほど、朝敵の汚名というものが重かったとは、若い私(一応)には想像もつきませぬ。太平洋戦争についてもやっと最近…みたいですが(そりゃそうだ)、そんなレベルじゃない。もう維新(という名のルサンチマン革命)から、100年以上ですよ。明治終わって戦争終わって、平成も20年近くなってやっと…ご苦労のほどそして、こちら側のルサンチマンのほど、お察し致します。
 そういやあ、おタキさんがあの店の遊女ではなく、出島に出入りするための方便として遊女の籍に入り、実際には養女分であった(と、店=現在は料亭らしい=の持ち主が、昔の、シーボルトを特集した番組ではっきり証言していた)、つまり、客を取ったことはない、という説が本当だとすると(情報のソースからして、ウソとは思えんのだが)、うちの「汚名」も、ずっと雪げないでいるわけだし…
 某漫画では、遊女であったことが、ストーリーの演出上むしろ強調されていたし、幕末編でも、おタキさん自らがかつて「お職」であったことを持ち出して娘を叱咤するシーンまでありましたね。ほんとのところどうなんだろう。まあ遊女に関しては、私ら自身、勿論身内同士ではネタにはしてますがね。