いたいはいったい―倉田保雄『ナポレオン・ミステリー』(文春新書)

ナポレオン・ミステリー (文春新書)
ナポレオン・ミステリー (文春新書)倉田 保雄

文藝春秋 2001-08
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 えー、最初に言っておきますが、「ナポレオンについてのミステリー」を、解決した本ではありません!(笑)。ナポレオンについての2つのミステリーを「紹介」しているだけの本。
 だから…本当は、このレビューを読んじゃったアナタ!もうこの本を買わなくていいのですっ!!(んなアコギな)
 相方の影響で西洋史も多少は齧るようになり、鹿島茂さんの本が読んでみたら面白かったことなんかもあって、このへんのフランスについての本も時々読みます。これも何となく手にとって…実際その程度の本だった(笑)
 ただ、実際行ったことのある場所が出てきてて、なつかし〜く思い出したりしたので、こうしてわざわざブログにしてみる次第。
 本の話というより思い出話になっててすみません。(写真は全てクリックで拡大されます)

 「ミステリー」の1つ目は、砒素による毒殺説。2つ目は、ナポレオンの遺体は実はパリのアンヴァリッド(廃兵院)にはない、という話。
 確かに、砒素で毒殺ってのは有名な話なんで聞いたことあります。服の胃のあたりを押さえてるのは胃がんで痛いからで、死因は胃がんに伴う消化器系の病気と言われているが、実は毒殺だったってやつ。でもこれって、否定する考えとかもあるんですよね(遺体の髪の毛から砒素は検出されたが、当時、砒素は「強精剤」(きゃ♪)としても使われていた、という話とか)。でもこの本では、研究の状況を紹介し、実際に毒を盛った人の日記が発見されたことを最終的な証拠として、「ナポレオンは砒素を少しずつ盛られて殺された」という結論にしてます。ま、それもどっちでもいいんですけど。
 もう1つの方は、これはホントに紹介するにとどまってるんですけど、ナポレオンの死体はアンヴァリッドではなく実は、ウェストミンスター寺院にある!!!!という説。ウェストミンスターっつったら、言うまでもなくロンドンのあそこですよ。ええ、行きました。ってゆーかパリに行った時も、相方の強い希望で、着いて最初に行った所がアンヴァリッドだったし。
 遺体がパリにない、というのは、砒素で自殺した従者の遺体とすりかえられた、という説なんですが…。遺体をパリに運ぶために墓を掘り返して棺の中を見たら、埋葬した時とは、服や勲章などが変わっていた、というんです。うーん。
 うーん、あの、小男にはでかすぎる巨大な棺の中に、肝心の遺体はない!?
 一方で、あの、有名人だらけの、床に墓標を埋め込むタイプでうっかりすると踏んづけたり、あるいは生前の姿の像が棺の蓋の上に寝かせてあってちょっとキモいウェストミンスターに、かの ナポレオンが、無名のまま納骨堂のどっかに眠っている!?
 死せるナポレオン、生ける研究者を走らす。
 
 アンヴァリッド。かなり立派な建物です。確か雨が降っていた。パリに着いて最初にルーヴルに行ってみたら、ガイドブックの情報と違って夜間開館の曜日ではなかったので、予定を変更してここへ。今でも軍関係の病院だし(窓からチラリと見えた、リハビリをしていた人は、まさかイラク戦争に行かれた方…!?)、現在ではフランスの軍事博物館(華やかなりしフランス騎兵隊の制服とか、沢山の展示があります)も兼ねていてそれなりに面白い所。相方がちょっとマニアックじゃなかったら行かなかったと思うので、ちょっと得した気分。
 ナポレオンの巨大な棺は、丸い吹き抜けのホールになっていて、見学者は上からぐるぐると降りていって同じ高さまで降りられます。この中に遺体はない…?
 ロンドンのウェストミンスター寺院は、見学の時の入り口はこっち側ではなく脇っちょにある。中の写真は撮ってないということは、もしかして撮影禁止だったのかも。いやとにかく有名人のお墓だらけでした。生前死ぬほど仲の悪かったエリザベス1世とメアリー女王姉妹が仲良く隣同士の棺で、蓋の上にはそれぞれの像が横たわって並んでいるのはかなりシュールな光景でした。
 紹介にとどまっているとはいえども、結局は、イギリスが、何でそこまでしてつまり遺体を盗んでまでロンドンに持って来ちゃったのか…ってことですよね。
 この本、実は、前半の5分の3はナポレオンの生涯や戦役について書いていて、ナポレオンのことをある程度知っている人には何ら目新しいことはないんですね。
 でも、何と、現在でも、ナポレオンをめぐる英仏の感情っていうのは複雑なんだということが強調されていて、その上で、遺体すりかえにまで及んだ、というくだりを読むと、つまりはナポレオンってのは、いろんな意味で大物だと、あらためて思うわけです。
 ぶっちゃけ、未だにフランス人にとってはナポレオンは最大の英雄で(著者は実にまめにフランスで古書店などでもナポレオン関連著書を探して読んでるのですが、フランスでは未だに、ナポレオン批判の本は少ないのだそうです)、イギリス人にとっては物凄いトラウマなんだそうです。
 だからもう、ナポレオンが負けた時には嬉しくって嬉しくって、みたいな(笑)
 何たって駅名が「ウォータールー」ですよ、「ウォータールー」!!Waterloo、つまり、「ワーテルロー」。実際にはベルギーにあるんですが、それをロンドンのど真ん中に作っちゃってる。日本人にはあんまり馴染みのない感覚ですが、ロンドンや、特にパリなんかでも、地名(関係ない場所の)や人名がどんどこ駅や通りの名前になってしまいます。でこのウォータールーといえば、テムズ川のサウスバンク(南岸)、最近再開発されてて目の前にあの観覧車(BAロンドン・アイ←高い所が嫌いなので乗らなかった)なんかがあるところにある、今じゃでっかい国際駅。そう、「ユーロスター」の発着駅です。
 私は、2度目のロンドン旅行でこの「サウスバンク」を偶然2日続けてうろうろするはめになってしまい(ぶっちゃけバス乗り場がわかんなくなって迷った)、非常に思い出深いのです(笑)。迷って、あー観覧車ここにあるんだーとか、駅の裏にずらりと車が止まってるのを見たりとか。駅の裏?というか表?の目の前がテムズ川で、再開発であの色々できてて、そうそう、「ダリ・ユニヴァース」という、ロンドンなのに何故かダリの美術館があって、閉館前ぎりぎりだったのですが入ってみたりしました(彫刻中心でした)。このサウスバンクが私は大好きです。丁度夕暮れで。街の中心を川が流れている…パリも。日本の川とは性質が違うんで街中を貫いていても大丈夫なんだそうですが、何とも、そぞろ歩きには最高です。北岸の、「エンバンクメント」(堤防)あたりをぶらぶらして、ウェストミンスター橋(このたもとにボウディッカの像があった、確か)の周辺を眺めたり、「タワー・ヒル」駅から眺めるタワーブリッジやロンドン塔の夜景も素晴らしい!!
 話がずれましたが、このウォータールー駅は、ガラス張り天井の未来っぽい大きな駅で、大陸に向かうユーロスターに乗れます。当然ここで通関があって、それを過ぎると半分国外みたいな感じ。待合室や駅のホームも、英仏併記になっていて、嫌が上にも気分が高まります。
 …が…
 今回の本にもあるように、フランス人からすれば、ロンドンへ着いたその駅が「ワーテルロー」!!
 いやー、何とも、シブい顔になっているフランス人が想像できます(笑)
 大陸とイギリスを結ぶその最初の駅が、ワーテルロー
 うーむ、ナポレオン、恐るべし…
 日本では赤穂と吉良の和解するしないの(ちなみに山口県会津は未だに和解していないそうな)という話ですが、英仏ってのは、まあもともとライバル関係ですが、特にナポレオンをめぐっては、今でも何ともなまなましい状況にあるということが、ホントに、行ってみると実感されます(笑)
 しかも、地下鉄ベイカールー線で2駅北上すれば、「トラファルガー」広場!そう、トラファルガーですよ、あのトラファルガーの!ネルソン提督の像がたっかーい柱の上に乗っかってるあそこです!これまたわざわざここにこう名づけるとは、この界隈を歩きながら、「イギリス人、よっぽど嬉しかったんだなー(笑)」と思いましたよ(笑)。いわばつまり、このトラファルガー広場からぷ〜らぷ〜らと南へ歩いてみる、という界隈は、「イギリスの勝利ストリート」。フランス人には、全く持って胸塞がる場所でございます(笑)
 そうそう、ネルソンはトラファルガー広場のなんのと称揚されること昔からですが、今回の本で面白かったのは、シドニー・スミスについてのくだり。この人のことは相方も知らなかった(おい!)のですが、ネルソンは実際にはナポレオンとは対決していない一方、このスミスさんはナポレオンと四つに組んで戦い、ナポレオンの「東方への夢」を阻んだのはこの人だったんだそうです。ところが、パリに入城してからは、生涯ここで静かな暮らしを送り、お墓もペール・ラシェーズ墓地(これまたパリの、有名人の多い墓地。オスカー・ワイルドやプルーストのお墓が有名ですが、パリの端っこにあるので残念ながら行けませんでした)にあります。著者が一度行ってみたらスミスの墓は荒れ果てていて、ところが翌年に行ってみたら、何と丁度故国でスミスさんが見直されて、お墓も新しくなっていたそうな。偶然ってあるんですねえ。まあこのスミスさんとネルソンとナポレオンの艶福ぶり比較なんてのはいかにも新書っぽいところですが(笑)、こういう人がいたんだということは勉強になりました。ホント、フランス人は勿論、イギリス人にもこの人のことはあんまり知られてないんだそうです。かわいそう。
 まあ何でも、読んでみるもんです。
 遺体のすりかえなんてな、あんまりキモチのいい話じゃあありませんが、やっぱり死んでも物議を醸すのは、大物の証拠ってことでしょうか。大事なのはやっぱり、誰の死体かどこにあるのかではなく、名を残したということそのものです。