山田風太郎『昭和前期の青春―山田風太郎エッセイ集成』(筑摩書房)

昭和前期の青春―山田風太郎エッセイ集成
昭和前期の青春―山田風太郎エッセイ集成山田 風太

筑摩書房 2007-10
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 愛する君の町沖縄が/日本に戻った5月のこと/そっと話してた瞳/忘れない今でも
 (杉山清貴「OKINAWA IN MAY」)
 『わが推理小説零年』に続く、「エッセイ集成」第2弾。5冊出る予定で、今のところこの2冊。
 全体は3部構成で、第1部「私はこうして生まれた」は、子供の頃のことや学校生活での不良ぶり、そして故郷を思う気持ちなどを書いたエッセイ。第2部は「太平洋戦争私観」。そして第3部は「ドキュメント・一九四五年五月」と、自作の年譜。
 最初の方は、まず、本当に文章の上手い(というのは、衒ってる、凝ってる、華麗流麗、という意味ではなく…何というか、読みやすいし、言いたいことは上手に書かれている)人だな、とか、故郷の話は何とも切なく、どれもこちらとしては面白く読んだ。これだけのものがまだ発掘されるんだから、この世ってのは怖いもんだ…とも思った。(「未刊行」と銘打ってないし、一応これまでのエッセイも全部読んだんですがかぶってるかどうか思い出せないのではっきりしたことは言えないのだが。)
 だが、当然、第2部に入ってくると…。
 「雲行きが怪しくなる」というのは正にこのことで、段々、段々と、暗い気持ちに…
 エッセイが悪いのではなくて、私は戦争とか人が死ぬとか、可哀相で残酷な話はとても苦手だ(得意という人もいないか、公言はしないだろうが)。エッセイそのもの、つまり太平洋戦争についての考え方はむしろもうまるっきり私と同じなので、心の中で頷きながら読んだのだが。「明治から終戦まではひとつながり」「あの敗戦の原因は明治維新にある」、これは本当にそう思うのだ。
 そして、第3部などいったらもう…。
 1945年5月といえば、カンのいい人はおわかりになるだろうが、沖縄のあの惨い日々である。これは、かの名著『同日同刻』の沖縄版なのだが、単行本には収録されなかったのだそうだ。
 苦手も苦手の中、沖縄の事を思う時、心が重くならないことなどない。私自身は単に沖縄には旅行で出かけたことしかないが、リゾートを楽しめない私が何故2度行ったかといえば、沖縄の歴史文物(料理は特に!)がこよなく好きで、知れば知るほど辛くなるとわかっていても、名所旧跡も戦跡も行った。米軍の攻撃で琉球王国の貴重な文物がどれだけ失われたか、新装成った首里城の博物館で痛感し悔しくて仕方が無かった。南部戦跡に向かって走るバスから、今もあの時も変わらずに静かな糸満の畑と点在する家々を眺めながら、沖縄の5月といえば、もう梅雨に入っており、足元は、戦争さえなければ豊かな畑、土、泥。どれだけ悲惨な「行軍」であったかを考えると身震いがした。
 同じ筑摩書房の『天皇百話』(上・下、ちくま文庫)も最後の方がどんどこ重い話になっていって「うがががががが」だったのだが…
 こうして、”1945年5月”という、「コンセプトから外れるため」(「編者解説」)どころか、むしろこれ自体独立して広く知られるべきドキュメントに不意打ちを食らい、またも夜1人でずーんと椅子に根を生やしてしまった。
 この、『昭和前期の青春』という本は、山田風太郎が自ら「暗愁の時代」と名づけた青春時代が、その透徹した文章ゆえにむしろきらめくようなエッセイ集であると同時に、あの時代に、同じように青春を生きて多くは死んだ若者たちの青春を描いた本でもあるのだ。
 夜に居間で1人で読んでいたから(大抵本を読むのは1人でするものだが)、余計に暗い気分になり、しかも背後の、部屋の隅っこには子供が熟睡している。守るべきものが増えるたびに、生きていなくてはいけない理由という太い根が増える。戦争のような恐ろしい話を読むたびに、守るべきものがあるということは非常な弱みであると思ってしまう。守りたくても圧倒的な力の前には誰も大事なものを守れないことがひしひしと伝わってくるからだ。守れない弱さがよくわかるからこそ、戦争はあるべきではないと思う。