井上祐美子『柳絮』(中公文庫)

 

柳絮 (中公文庫)
柳絮 (中公文庫)井上 祐美子

中央公論新社 1999-12
売り上げランキング : 408395

おすすめ平均 star
star考え抜かれた東晋の歴史物語
star華麗なる貴族の才女の一生

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
 南北朝の初め、東晋の名家−あの王義(本当の字は出ないのでこれで代替)之の息子!に嫁いだ、実在の才女の物語。
 同じく実在の才女の話といえば『非花』にも収録されていますが、これは長編ということで、「え〜、才女の長い話かあ〜、どうしよっかな〜^^;」と思い、敬遠して、同じ日に借りた中では一番最後に回してしまいました。後に借りた本を先に読んでしまったりもして。
 才女の話って、気後れするんですよね〜(^^;)。何つったって、「何故我が家にこんなにもアホウが…」と恐らく親を嘆かせたであろう愚鈍な娘ですんで。ご先祖様もさぞやお嘆きであろう、ってかそんな暇もないか。あの世でも忙しそうだもんなぁ。
 井上さんの歴史ものの例にもれず、この本も淡々とした話なので、どこがよかった!と具体的に説明できないのが口惜しいところ。史料を実にきちんと読み取った上で綿密に構成され、かつ読みにくくない清涼さと味わい。
 あと、「女性が女性を描く」パターンで、この井上さんの作品はギリギリ嫌味じゃないですね。
 この作品も、主人公の女性の視点なんですが、まあ何とか、才女であることは自他共に認めている人だけれども、それに対するコンプレックスも持ち合わせている。何というか、女性が女性を描くことについて、女性だからこういう風に描けるんだ!!!っていう自負みたいなのが強くない。
 私は、女性が女性に関する歴史を研究することや、女性が歴史上の女性について書くものは、基本的には好きじゃありません。
 自分の大学の出身学部(史学部)の紀要で、後輩たちの卒論の題目一覧を見ても、女の学生は大抵歴史上の女性や女性の何かについての歴史をテーマにしているんですが、「何で…」っていつも思ってしまいます。
 「女性のことは女性が一番わかる」という考えが、大嫌いなんですね。
 女性だからこそできる!とか、そういう気負いがプンプン臭ってくると嫌になるんです。
 女性史だとか女性の権利を研究してる女性たちって、どうしてああもカリカリするんでしょうね。
 そんな気負いで鼻息荒くされるぐらいなら、ちょっとぐらいズレてて不満はあろうが、男性に、客観的に研究して欲しいです。勿論、女性の健康や身体についての研究や、これからの医学にはどんどん女性が表に立ってかつ長く続けてほしいと思いますが。そういう分野以外だったら、男がやっても女がやってもそう変わらない。女が男っぽいことをするのが嫌い。あんまり男性に女性を理解されても困るけど(笑)。
 要は、女でなきゃできない、と思うことは、男が男にしかできないことがあると思い込むのと同じぐらい無駄なんですよ。
 だから私は所謂フェミニズムとは遠い所にいるし、狭義のフェミニズムっていうか、「女性のことは女性が一番わかる」という考えに固執することが嫌いなんですわ。
 …とブッてみましたが、結局、私は「照れ」があって正面から女性史を見られないだけなんでしょう。
 やや話がずれましたが、この作品のヒロインは、これまた東晋の滅亡前夜という激変の時代で、更には実家・謝氏と婚家・王氏(瑯〔王邪〕王氏。ヒロインの伯母らは同じく瑯〔王邪〕の名門諸葛氏に嫁いでいる。この家は言うまでもなく三国志で有名ですね)両方もまた、名族であることよりも実力の世に移る中でゆっくりと滅びようとしていく中、現実を見つめつつしなやかに強く生きていく女性です。あの当時の女性の常識は頭ではわかっているけれど、持ち前の才能に対する自負もあり、少しだけ女性らしい女性とは違うけれど、主張はしすぎない。うーん。上手く言えないけど微妙な線を守ってるっていうか。最後には、孫恩の乱で屋敷が襲われ、夫が自害しても(王氏の面々はよく言えば優しすぎ、悪く言えば動乱期に向かない人だというのがヒロインの評価であった)、自分は長刀を持って抵抗し、捕まってしまうけれども、腐りきった東晋の朝廷が王氏が名門であるがゆえに出した軍に助けられ、東晋滅亡寸前の世で以降は悠々自適の余生を送る。
 読んでて面白かったんだけど、やっぱりあっさり読みやすくて、あんまし突っ込みたいところがない…(^^;)
 あとは、ヒロインが一番尊敬した叔父・謝安、弟で名将と謳われた謝玄、その孫で文人だが後に性格が災いして刑死した謝霊運など、ああこの人もこの人もそういえば習ったなあという人がボンボコ出てきて、いかに謝氏や王氏(王義之、献之父子は世界史の資料集にも出てくる有名人ですな!ただ献之は悲劇の人ですが…)が名家であるかがわかる。まあ元々六朝文化っていうのは独特にいいもんなんですよね。思えば後漢末以来中国は長い戦乱に入ったわけで、でも南朝の追い詰められた中でバカバカと生まれた文人墨客や学問はかなり見所が多いと思います。
 で、この場合の名家というのはヒロインの言う「北から移ってきた西晋の名家」という意味ではなく、やっぱりこれだけ偉人を出せば立派なもんだと後世の人間が思う意味での名家です。
 ヒロインは、身内が次々と死に、かつ東晋が傾いていく中で、名族というだけで出世する時代ではなく(晋は九品官人法=曹操の部下陳群が定めた=による所謂門閥政治で、その行き着くところ実力のない人間の跋扈だったと一般には言われる。また、東晋では西晋八王の乱に懲りて皇族の力を削ぐことに熱心だったとも)、実力や人望がものを言う時代になったと言うけれど、むしろ謝氏にしろ王氏にしろ、文人武人としてそれなりに優れた人(確かに西晋時代のご先祖様はもっと凄かったようだけど)を出していて、そんなに悲観することもないんじゃないかと思わされ、でもそういう家が淡々と斜陽を迎えるというストーリーが無情を感じさせます。とにかく、みんな早死にだし(笑)。
 で、これらの有名人に対するヒロインの評価も面白く(身内だから色々言ってる)、よくよく史料を読み込んでいるなと思いました。主な史料は『世説新語』だそうですが、確かにこれ、ネタの多い史料です。有名なところでは三国志の登場人物もかなり採り上げられているので、三国志ファンの方でも元ネタがこの本というエピソードを沢山ご存じでしょう。
 有名人と言えば男性ばかりですが、2つの名家を繋いだ女性もまたいた。女性の、繋ぐ、見つめ続けるというポジションの面白さを非常に感じました。見過ごされてきた女性に大きく光を当て、かつしみじみとさわやかな物語。