Der Herr der Ringe DVD発売に寄せて

 いくつか私見をば。
 三部作としての問題は、第1部の成功に気を良くしたか、第2部はやや監督の趣味に走っていることと(クリーチャー好き過ぎ)。結局一番完成度が高く破綻ないのは、第1部ではないだろうか。
 もっとまずいのは、更なる人気にあぐらをかいたか、第3部になると、まるで全員が第2部完全版(SEE)DVDを観ているのが前提であるかのような編集になっていることである。これはよくない。
 欧米では回を追う毎に興行収入が上がっているが、唯一日本でだけは第1部から第3部まで興行収入は下がっているのである。日本についてだけは、監督のこの姿勢は裏目に出続けたように思う。
 日本でも非常に人気を博している原作とはいえ、やはり欧米との浸透度の違いが悔しい。基盤となる文化の違いは致し方なく、どうしても日本では人気があると言ってもカルト的にならざるを得ない。第2部、第3部から観てもなお楽しめるようにというのは難しいかもしれないが、日本人にはちょっと不親切だったのかも。
 また、日本での映画興行収入アカデミー賞次第という傾向が非常に強いため、第3部から観る観客が欧米に比べると多かったとすると、あの不親切なシーンの多い第3部では逆にファンがつかないだろう。恐らくは少なくはなかった興行収入は、私のようなリピーターによるものと思う(第1部と第2部もそうだと思う)。
 それからこの映画が興収でアニメに負けるのは、明らかに吹替版の上映が少なすぎるせいもあると思う。私が一度行った日曜の朝一の回では、字幕にも拘らず子供もずっと大人しく観てはいたが、やはり同時期のアニメ(モンスターズ・インクリロ&スティッチファインディング・ニモ)に比べれば吹替の回が明らかに少ない。子供向けではないというマーケティングなのかもしれないが勿体無い。 
 この吹替えの問題も含めて、ファンから何度も反発を買った配給・日本ヘラルドの商売も、この三部作のトピックだった。いくつか私の知る限りで挙げておく。
 第1部の字幕問題。原作を読んでいない人間に字幕を依頼したこと自体、既にこの作品の高度な文学性と精神性を理解していなかったということだ。既に前科の多い字幕翻訳者の「またか」であった。一時は監督と脚本家も怒りを表明し、監督の「彼女は降りたんじゃないの?」という外国メディアでの発言に日本ヘラルドは慌てた
 一部のオタクファンが騒いだかのように受け取られもしたが、問題の本質は字幕翻訳者に作品に対する尊敬の念がゼロだったということだ。
 とうとう、猛反発を受けて、最初からそうしておけばよかったものを、第2部字幕は一度原作の共訳者・田中明子氏(初版を一人で翻訳された天才・瀬田貞二氏は既に他界)が目を通すこととなり、やっと冒頭に「字幕協力・評論社、田中明子(原作の共訳者)」のクレジットも入った(字幕への抗議運動を主宰する方も試写会に招かれるなどして意見を出したそうだ)。
 私自身は、確かにヒデエ字幕だなとは思ったが、ここまで問題が大きくなるとは思っていなかった。(まあT田字幕のずさんさに慣れちゃってたというのもあるけど。「グラディエーター」でも大間違いやらかしてるし。弩砲は「カタパルト」じゃねーよ!)
 一連の字幕問題の動きを見ていると、本当に、「・・・この会社には、本当に一人も、原作読んだことある奴がいないのか・・・?」と思った。「言葉」の素晴らしさを除いたら、この物語の魅力は半減どころではないのだが、そんなこともまったくわからず、ただ機械的に訳した字幕は大顰蹙を買った。
 (原作が日本で愛されている理由は、国文学の専門家である瀬田氏の訳文によるところが大きい。翻訳の出来を左右するのは外国語ではなく母国語の能力である。オックスフォード大学英文学部教授である原作者の、言語への愛を見事に汲み取り、しかも日本語として美しい名訳を、意地でも無視するかのような字幕には、怒るファンの気持ちもわかる。)
 ただ、「映画の字幕がひどくて物語がうまく伝わらない」即ち「原作の価値が落ちる」ということではないだろう。映画を見てつまらないと思われて原作を読む人が減るとしたら確かに残念ではあるが、好きになる人は字幕がどうあれ好きになるし、映画を見て原作を読破したという例は数限りない。あまり原作を心配しすぎるのもどうだろうとは思う。原作の力を信じよう。
 この字幕問題と関連して、「言葉」の問題では、タイアップした角川書店の、大会社としての横暴さも垣間見えた。
 何と第1部のポスターにもチラシにも、原作『指輪物語』の「ゆ」の字もなく、まるで原作などないかのような扱い。角川の関連書籍のみが記載されている。
 これに比べれば、良書を出版し続けている、原作の版元・評論社などは、「まあ在庫がはければいいかな・・・」程度の感覚、という謙虚さ。本当に第1部でのあの原作の扱いは何だったのだと思う。
 字幕同様に、第1部の関連書籍では固有名詞の明らかな誤訳が見られた。一体どうして、原作のある映画の関連書籍を訳すのに、訳者が原作に目を通していない、せめてちょっと調べる程度のこともしていないとバレるようなミスがあるものをそのまま出版できるのか?これには流石に、ファンをナメるなよと思った。素直に原作を読んでいれば、あるいは評論社に一言言って参考にさせてもらえば済むことだ。大会社のつまらない意地のせいで却って余計な手間もかかったのだ。これも結局、映画のラストに「原作 指輪物語は評論社より刊行されている」旨のクレジットと、関連書籍にも第2部からは巻末に、評論社、訳者の協力を得た旨記載された。 
 本当に、どちらの問題も、最初っから、ごくごくフツーの筋を通せば良かっただけなのである。実にバカらしい手抜きと意地でしかない。
 まあこういったメディアミックスというのは、最初に筋を通すかそうでなければあくまで突っ走るかどっちかだという面はあるから、後でもめ始めてから、実際に対応に当たった人は苦労しただろうとは思う(私も最初の会社にいた頃には同じようなことがあった)。最初に頭を下げてしまえば結局は楽だったのにと後で思っても、最初はそうもできない気持ちもわかる… 
 また、映画に話を戻すと、第3部前売券の初日購入者にのみ配られる、イライジャ・ウッド来日イベント(芝・増上寺で行なわれた)の入場応募ハガキの数が、売り場によって明らかに偏り、昼にはもうもらえなかった所もあれば、大量購入者からネットオークションに出回るという事件もあった。もっとまずかったのは、ファンからの抗議を受けた日本ヘラルドが、何と応募をネットでも受け付けてしまったことである!買った前売券の枚数は自己申告。これでは応募し放題である。今の世の中、こんなのってアリか?
 私はたまたま普通に昼前ぐらいに行って2枚買えて、ハガキも2枚もらえて、公式サイトの伝言板でいきさつを知ったのだが、確かに「ネット受付」には正直呆れたし腹も立った。これでは買いに行った意味がなくなったではないか。当日イベントに殺到したファンの中に、不正申告した輩も混じっていたのではないかとどうしても思ってしまうのは後味が悪い。 
 こうした色々な問題もあって、日本での公開は実は万々歳ともいかなかったのが実情だろう。
 作品としては、とにもかくにも監督の原作への愛が溢れた、一解釈としては素晴らしいものであったが。