これぞ演出。〜NPOみんなのオペラ「魔笛」(おでかけ日記)

 ※この記事は、以前やっていたブログ「興味と妄想」のこの日付に書いたものです。コピー&ペーストです。また、このオペラの演出家であり声楽家NPOみんなのオペラ主催の岡村喬生様ご本人からコメントを頂きましたので、それも再掲させて頂きます。
 (以下コピペ)
 日曜日に見てきました。非常によくて、うまくまとめられないのですが、忘れないうちに。
 この「NPOみんなのオペラ」については、クリックしてリンク先をご覧下さい。
 今回のチケットは7,000円(公開ゲネプロだと3,000円!)。絶対値として高いか安いかはともかく、現状で、10,000円を切るオペラなんて滅多にありません。しかも大好きな「魔笛」です。この演目がこのホールにかかるのを待ってました。知って即電話予約でした。
 クラシックといえば呼ぶ側の無能力をいいことに海外のプロモーターに吹っかけられてチケット代が高い現状を考えると、日本人によって少しでも良質(台本の改訂、わかりやすい演出なども含めて)のオペラを安価に提供していこうという試みは、まだ発展途上とはいえ期待が持てます。芸術をいつになったら「見せてやる」じゃなくなるのかと思ってますので、この団体がもっともっと有名になっても、「チケット代を抑える」を最大の目標にして欲しいと願うばかりです。
 (特にクラシックを)安くてもあまり質を落とさずに楽しむ一番の方法は、「河岸を変える」ことです。ちょっと目先をずらせば、そこそこいい団体は結構あります。また、ショバ代が安ければ当然チケットも安いわけですから、そこそこの公会堂にそこそこのものがかかってくれて、気張らずに見られるのは有難いことです。(しかも今回の「ティアラこうとう」(江東区公会堂)は割と有名で、「TVに出てる人」も結構来ます)
 「高かったのに全然わかんなかった」が一番悲惨なパターンですから、特にこの不景気かついつまで経っても舐められっ放しの日本クラシック興行界に対しては、我々の側で智恵を磨くしかありません。
 今回の7,000円の内訳は、1,000円(団体の努力に期待料)、1,300円(演出の親切設計に感動料)、400円(ホールが手頃で見やすくてラッキー料)、300円(交通費がかからなくて嬉しい料)、4,000円(歌手の皆さんに結構偉いぞ料)です。プログラムが体裁の割には1,000円というのはちょっと高いですが(もっといい作りで1,000円切ってるのもあるぞ…)、中身もそこそこ充実してますし、こういう「付属品」を除いた本体(チケット)を安くするための「ご祝儀」と考えておきましょう。
 さて、内容ですが、
 ★「無理のない前日譚を設定し、思い切った解釈も含め、従来にない演出によって、それ自体で完結し疑問なく楽しめるおとぎ話・寓話として完成させたのは見事」
の一言に尽きます。
 「魔笛」というのは、「モーツァルトの音楽でもっている」ことで有名なほど、上演台本のまんま上演したらわけのわかんない話です。
 いつのどこともわからない世界(一応主人公が「日本の王子」だったり場所が「エジプト風」だったりしますが、当時の見世物的芝居なのでそのへんは適当でよろしい)。
 途中でいい側と悪い側は入れ替わるし、肝心の魔法の笛と魔法の鈴は誰のもので何のためにあるのかは結局わからないままだし、対立する二集団=夜の女王の一派とザラストロ(高徳の僧、というか要は宗教集団の長?)一派の争いの原因も不明。
 出てきた問題のほとんどが全く解決されないままにとりあえずハッピーエンド。
 (そもそも、オペラそのものが、ご存じの通り、話は突飛だわ大抵は主人公かヒロインは死ぬわ、ありえない話ばっかりなんですが、「魔笛」の場合は、そういうツッコミ的な部分を除いて、単純に、わかりません!)
 いくらこの作品が好きでも、全く知らない人に説明しようとすると不可能、という困ったオペラです(笑)
 その上、はっきりいって、海外・国内のどんな演出でも、こうした、見終わって残る疑問点を、上演している時間内に解決しようという試みは皆無です。語られていることの色々な部分や、含まれた要素(例えばフリーメーソンの思想や儀式、音楽など)を演出家が自分流に解釈し表現していくのが主流であって、最終的には観客に委ねるしかないのが現状。 
 しかーし!
 個人的には、この、「あとは自分で考えて」が大嫌いでありまして(笑)、特にフランスの映画とか(笑)、そんな「ゲージュツ」「アート」なら要らんわい、なのです。
 特に最近は、「観客に考えさせる」のではなく「実は作った側もわかってない」んじゃないか、と思われる作り手も多いことには非常に不愉快であります。プロならば、「作った側もわかってない」は一番やってはいけないことです。わかってて伝わらないのと、初めから努力を放棄しているのは違います。
 ですので、作るからには、見せている間にちゃんと全ての要素にケリをつけてくれて、スッキリ帰れるものに出会うと大変に清清しいのです。たまには、作り手、見せ手の責任感を感じるものを楽しみたいのです。
 今回のタイトルが「これぞ演出。」なのは、上っ面のことだけではなく、ここまでやってこそ「監督」「演出」なのだな、と思わせてくれたからです。前述のように、自分流に理解し解釈し表現するだけでなく、更に一歩踏み出して、観客には充分舞台の上だけで完結し満足して帰ってもらう。これですがな。
 今回の「魔笛」は、ツウぶった人に言わせればいちいち説明が多すぎだの流れを殺ぐだの子供っぽいだのという意見もありそうですが、ギリギリの線で成功していると思います。
 初めてオペラを見る人にもおすすめです。 
 「魔笛」は「オペラ」といいつつも、ドイツ語であり、厳密には「歌芝居(ジングシュピール)」。イタリア語で、宮廷の委嘱を受けて作られ正規のオペラハウスで上演された…というものではなく、モーツァルトの旧友である興行主の依頼で、ストーリーも当時似通ったものも続出したファンタジー、大衆劇場で主に庶民を相手に人気を博したもの。企画・興行主で脚本、主演をつとめたシカネーダーとモーツァルトの交流史、当時の大衆芝居についてはプログラムにも割としっかり載っている通り。確かに当時は、オペラがある一方、当然イタリア語などわからないドイツの民衆は、ドイツ語で、当時の俗謡なども取り入れた歌入りで、面白おかしく、派手な仕掛けやスペクタクルで耳目を楽しませるお芝居を楽しんでいました。「魔笛」にも、冒頭では大蛇が登場し、三人の童子は飛行船に乗って登場などなど、見世物的要素はふんだんにあります。但し、音楽は相当にハイレベルで、いやに高尚な歌詞やメロディーから、大衆ウケしそうな俗謡っぽい歌まで幅広く、話がわからなくても充分に観客を圧倒するに足ります。(当時宮廷外でこれだけの歌が歌える初演メンバーだったというのもすごい。)
 そういう作品なので、「おちゃらけちゃいかん!真面目にできるはずだ!」という作り方と、「いや、難しく考える必要はない、おもしろおかしけりゃいいんだ!」の両極端になる危険を常に孕んでいます。ヨーロッパの舞台でも、舞台デザインも衣裳もごくごく正統のファンタジーならまだよし、やったら難しく解釈したものもある一方、何かよくわかんない派手なだけのものもなくはない。そして、前述のように、どれも、わからない部分は解決する意志ゼロ。
 今回は、その中間というか、まさに親切設計、作り手が甘えない、おとぎ話だけどちゃんと疑問を残さない、いい出来でした。
 既に述べた見事な点(★)を具体的に言うと。

 (1)上演方法(ハード部分)
 原語歌唱+日本語台詞+ナレーション(語り)
 歌まで日本語でされると流石に音楽性としてどうよ、と思いますので、私はこのパターンが一番好きです。
 全部原語じゃなきゃオペラじゃない!という向きもあるかと思いますが、イタリア語「オペラ」と違い、語りの部分にメロディーがついている(レチタチーヴォ=叙唱←これは日本語不可能…)タイプではなく、地の部分は台詞による芝居なので、これは日本語にしてもいいと思います。
 今回は、序曲の前に、この団体の主宰者、演出、脚本を担当したバス歌手・岡村喬生さんによる前日譚のお話と、登場人物紹介があって、序曲の間に、「物語が始まる直前」のことがパントマイムで表現されます。陣営は2つですがそこそこキャラも多いので、説明があると、初めて見る人にもわかるでしょう。
 で、上演中にもタイミングよく、ここはこう言っているのです、こういう歌です、というナレーション(語り)が入ります。岡村氏のブログにもあるのですが、オペラは大抵は字幕が出ますが、確かにこれは初めての人(全くCDのブックレットなどを読んだことのない人)には忙しくてキツイ上に機材が高い。かといって、ナレーションも、よほどうまくやらないと観客の気持が切れてしまう(私が見に行った京劇ではミョーに浮いたアナウンスで、見事に邪魔だった)。
 どこに挿入するか、実際どういうスピードで喋るかという両方のタイミングが難しい試みで、もうちょっとここでも要るんじゃない、という所も、1ケ所だけ歌とかぶっちゃった所もありましたが、まあ許容範囲でした。
 説明が入ることで、歌の部分は、
「歌つきのパントマイム」
として見ることが可能。これはとりあえず割り切ってみましょう。それに、オペラには声の表現力と同時に演技力も勿論必要ですから、演技で伝えてくれれば外国語のわからなさも補われるというのも現実。
 今回のように、説明ありなら、あとは身振り手振りとメロディーで何となくわかるので、全くCDも聴いたことのない人が、
「何て言ってるのかな〜〜〜」
と考えながら結局音楽も楽しめない、ということがありません。また、モーツァルトの音楽はまさに、
「歌とは言葉で表現しきれない感情を音楽で表現するもの」
という原点そのものであり、聴いていれば、それだけでも、人物がどんな感情を伝えようとしているのかちゃんとわかる。心配なのか、決意なのか、怒りなのか、恐れなのか…。ここはこういう感じね、と歌を聴いていればいいのです。

 (2)演出(ソフト部分)
 とーこーろーがー、この肝心な部分は、詳しく書いてしまうと営業妨害になってしまう(笑)ちゃんとチケット代を払って頂かないと(笑)なので具体的には書けませんが。

 ・魔法の笛と鈴が「今現在誰のものであるか」を、「男でも女でもない天使」(=原作では「三人の童子」)のものである、と確定することで根本的な矛盾を解決。
 女王の亡夫である王が死を前に、笛と鈴を中性である天使に預けた、という設定は秀逸。(ちなみに、この国にはこの死んだ王の他に王子タミーノの亡父もいるわけで、何か適当に王様が棲み分けているようです)
 従来の原作のままの演出では、物語の時点ではどちらの陣営のものか、いい道具なのか悪い道具なのか不明だった笛と鈴。これを、一貫して「天使のもの」とすることで、「あくまでも女王は天使からそれを奪って(前日譚)タミーノとパパゲーノに与えたのであり、本来は天使自らがそれを必要とする者にだけ貸し与えるもの」とした。よく考えてみたら、どちらの側の陣営も(例えばザラストロや女王自ら)使う場面はない。女王側から派遣されたタミーノとパパゲーノ、作り手である王と女王の娘でザラストロ側にいたパミーナが使うだけなので、この解釈とも矛盾しない。
 途中で「(ザラストロに預かられちゃったのに)何で天使がまた持ってて2人に返してくれるんだよ!」という謎が解決されるのは勿論、「人智を超えた力を持つもの」「本当に必要な時にだけ使うべき不思議なもの」という性格がはっきりして、ストーリー全体も締まる。そして最後には再び笛と鈴は天使の手に戻る。
 更には、従来、魔法の笛の音色に喜び踊るシーンにしか使われなかった「動物たち」を、前日譚も含め、常に両陣営と天使と使い手(タミーノ、パパゲーノ)の間で笛と鈴を仲介する存在として利用することで、「何でこの人が持ってるんだよ!」「何でここで戻って来るんだよ!」という従来の細かい疑問を解決。

 ・ストーリーの大枠を「世界(物語の中の)の継承の物語」とすることで、ハッピーエンドに必然性をもたせることに成功。
 男女両方がいるザラストロ一派と、女性だけの女王一派(女王と三人の侍女しか出てこないのだが…)の争いがそもそもどーしてなのか…はともかく、あくまで寓話的な争いであり、「両方揃ってる方がよい」
ということで、双方の男女(タミーノとパミーナ)が結ばれることで彼らに世界を委ね、最終的「手打ち」に。カーテンコールでザラストロと女王が「仲直り」するという演出は割とよく見かけるのですが、まあ今回は自然だったかな。女王の側にも女だけであることに言い分はあるんでしょうけどね。
 冒頭、タミーノに秋波を送る侍女たちが「男性を見たことがなかったから」という説明はナイス。実際、顔がさほどかっこよくない歌手でも物語の中ではハンサムということに…というありがちな現実への言い訳…じゃなくってっ!その後のストーリーの中でも、女だけ集団の女性の、男性への憧れ、ということで、後の仲直りの伏線になっているのだ・・・多分(笑)
 でも、いくら母親に多少問題があっても、その娘をさらってくるのは充分人権侵害だと思うけど(笑)そのへんはどうやっても解決不可能(笑)

 ・原作に繰り返し表れる差別的部分(勿論、お話なので目くじら立てることもないのですが)を、割と解決。
 原作で、人種差別むき出しな扱いをされているモノスタートス(ムーア人=黒人)について。従来パミーナへの「邪恋」であったものを、「本当に好きなのよ」にし、報われない哀しさにし、かつ、人種差別的表現についてはどうするのかなと思っていたら、去っていく彼に対してザラストロの「ひねくれ者!」という台詞で解決し、人物像に深みを持たせている。あの集団の中で彼に対する嫉妬や差別があったのは確かでしょうが(ザラストロ自身がではないが)、差別されていることで彼自身もねじけてしまった部分、を指摘することで、単なるお約束的な黒人ネタとして放って置く従来の演出からは一歩前進。
 あとは女性差別的部分については…あくまで、両派の寓話的争いということで…

 ということで、「あれはどうだったの?」「なんでそうなったの?」「あれはまずいんじゃない?」ほとんどナッシーン!で安らかにお帰りになれます(いやホントに、原作のままやられるとわかんないところだらけなですよ)。
 次回再演をお楽しみに。

 以下、個人的感想とツッコミ。
 ・歌手陣では、夜の女王が素晴らしかった。音程が正確だし(音楽性云々はまず音程を正確に取れた上での話です!)、高音部も期待以上。特に、最高音は外国の有名歌手でも申し訳程度ということもあるのに、あれだけちゃんと出ているとは…是非是非、歌い続けて欲しいですね。
 ・やっぱり童子童子のまま、無性というか中性でいい気がするんですが。(あと個人的には、天使であっても女性が歌っては声の上ではやはり女性。ボーイソプラノの方が正に男でも女でもない感じがはっきりするので好み)
 ・パパゲーノというのは権威と関係なく生きている人なので、冒頭、タミーノと出会って、あっさり「王子様ですか〜」とひれ伏すのは…あれはやはり「君は誰だい?」「人間だよ。君は?」「私は王子だ。」「王子って何?」のやりとりがイイので、変えて欲しくはなかった。
 ・歌の中にも敢えて台詞を挿入する最も顕著な例が1幕終り近くのタミーノのアリア、「何と力強い音色」。これは…うーん。Unsonst,unsonst…としょげたところで、自分の笛の音に思わぬパパゲーノの笛の応えがあったことでDas ist Papagenos Ton!と元気になるところがたまらないので、その後に、オペラらしく2つの笛の応答といういい作りになっていることもあり、あんまし説明的な台詞が入らなくても、あそこだけは歌だけ聴かせてくれた方が効果が高かった気がする。
 ・終盤近く、パパゲーノが「死んでやるぅ〜」いじけていると、都合よく、綱のぶら下がった木が現れる…という、従来は笑いを取ることで誤魔化していたシーン、これを、最初の方にパパゲーノに「パミーナからほどいた縄」を持たせておくという伏線にしたのは上手い。もしかして初めてじゃないかもしれませんが。
 ・修業に向かうタミーノとパミーナが別れを惜しむシーン(2人+ザラストロの三重唱)、最近の演出では2幕初めの方に移動されることが多いですが、本来の位置にあったのがよかった。元のままでもやはりおかしくない。曲順の移動は、やっぱり必要ない。
 ・タミーノとパミーナの再会直前、2人の騎士の二重唱がどばっさり削除で、2人の僧とタミーノの会話で済まされてたのは大ショック…(T_T)この二重唱、めっちゃカッコイイやないですか〜!!これは今回一番のショックやった…。(歌詞の内容も結構重要かと…)
 ・あと、パパゲーナが早いうちから出ちゃうのはちょっと…わかっちゃいるけど、初見の人には楽しみを残しておいてよ。
 ・わかりにくくなるからでしょうが、夜の女王の亡夫から(何故か)ザラストロに譲られた「七重の太陽の輪」はスルー。まあこの部分の台詞は削られることも多いし、OKでしょう。しかしこれって一体何なんでしょう。
 というところで、おしまい。

9/17 岡村様よりのコメント
貴方のような魔笛を知り尽くした方が居られるのにびっくり!演出をお褒め下さり感謝、恐縮!貴重なご意見を有り難う御座いました。次回の再演に反映させます。来年の浪曲風・新モノオペラ「人情歌物語 松とお秋」、再来年の改訂版「蝶々さん」ーー世界初の原作の日本誤認改訂ーーも是非ご高評下さい。

お返事
ご来訪有難うございます!恐縮です。
もうまったく、海外の有名歌劇場など見ることもできず、ちまちまとモーツァルトのオペラを楽しんでいる者でございます。
下町に引っ越してきてから、地元の公会堂が東京ではそこそこ名の通ったものであるのを幸い、見たいものがかかるのを待っていたところに大好きな「魔笛」です。お金はありませんがBSなどで放映されるたびにチェックはしているので、見られる舞台はできるだけ見たかったので幸運でした。
魔笛は、海外の歌劇場の公演をTVで見ても、毎回毎回、手を変え品を変えても所詮表面ばかり、どうして話をわかるようにしようという気がないの?と思っています。
未だに舶来志向な日本人にとっては、「オペラはわかりやすくちゃいけない」というような固定観念もあるでしょうから、どこかしらから必ず批判は出ると思うのです。でも、こういう試みは、あって当然と思います。
いつになく長々とレビューしてしまったのは、このところ、「作り手」と「受け手」の関係、つまり、作り手のこだわりと、受け手に対する誠意の兼ね合い、これを考えさせられることが最近多いからです。面白いけど何か終わり方が曖昧な小説。広げておいてあとは放り出す「芸術」。どうせ完全版を後で出すからというハンパな映画。
個人的な趣味かもしれませんが、受け手に媚びろというのではなく最低限の義務は果たして欲しいと思うことが増えるばかりなのです。
ですから、強引にではなく、しかし、舞台の上のことは舞台の上で完結させた最初の演出ではないかと言える今回の魔笛は大変快適でした。有難うございました。

9月16日のブログ、拝見しました。大リーグ中継延長は残念でしたね!いつか再放送しないものでしょうか。一つの舞台を作り上げる姿というのはどのような団体でも非常に迫力があり惹かれます。
また機会がありましたら舞台を拝見したいと思います。これからも(安くて)いい舞台をお願いします。

12/29 岡村様よりのコメント
今年最後の小生のブロッグにもう一度書きました。どうかご笑覧ください。岡村喬生
http://www.takao-okamura.com/

お返事
岡村様から、またコメントを頂きました(^^)
旧バージョンの方に頂いたので、こちらに転記させて頂きました。
またどうも有難うございます。
岡村様のブログ「岡村喬生のオペラの話とちょっとした話」はこちら。
12月29日の記事です。
http://blog.livedoor.jp/opera_okamura/
この公演のDVDも完成したそうです。A組、B組両方収録です。お得かも。
NPOみんなのオペラ」ホームページでどうぞ。
http://www.takao-okamura.com/index1.htm
こちらのサイトが、所謂「荒らし」に遭ったとのこと(岡村様ブログより)。大変でしたね。
大したお力にもなれませんが、読み返して頂けたのは光栄です!

本当に、とても「通」などではなくてむしろ「痛」で(^^;)モーツァルト好きで「魔笛」が好きなだけです(あと、「皇帝ティートの慈悲」も…)…。