加藤徹『西太后』(かたい編2)

 (3)史料の常識・非常識
 こうした、やっと出てきた(といっても、それは人間における基準で、歴史研究において100年なんてのは正に始まりです)新しい西太后像を構築するのが、当然、「史料」です。
 中国という国は、その周辺の国々が記録を持たなかった時代に既に王朝を確立し、歴史書を書きまくっていた「文字の国」。記録がない時代のアジアの各国史は、必然的に中国の歴史書に頼ることになります。ゆえに、「アジアの記録番」と呼ばれます。
 古代ですらそうなのですから、中世近代になればもう、それこそ膨大な量です。中国史の研究は、「古代は想像力、近代はイデオロギーと体力」と言われます。古代は所謂漢文の歴史書から自分で想像できる余地が多い。後の時代になればなるほど、とにかく史料に目を通す体力と、多少強引にでも理論を作ってまとめるイデオロギーが必要である。私の研究は後者も後者、恐らく史上最も記録の量が多い時代です(イデオロギーはないけど。ついでにいうともう近代になると漢文と白話文(=会話文)が混じってるので死ぬほど読みにくい)。
 清朝なんていえば、一人の官僚の名前が出たとして、公文書でその人の人生を全部辿れるぐらい、何もかも記録してます。当然、西太后の、彼女自身はもとより、彼女が後半生決して語らなかった家族の歴史なども、調べれば疑問の余地なく明らかになっちゃうわけです。本書でも、初めて、彼女の生地や生い立ち、太平天国の乱で命を落とした父といった事実が明らかにされました。そうなるとつまらないのが、あくまで正史はつまんない派の「歴史ファン」ですが、ほっときましょう。
 ところが、そうした、西太后についての、最初っから出てくりゃいい史料がまともに読まれ整理し始められたのはごく最近だそうです。今でもそうだし当然私が卒論修論に使った先行研究や日本と中国の研究書は、正史よりも面白おかしいゆえに広まった俗説に基づいたものばかりでした。論文を書くとは事実と俗説をより分けることだったと言っても過言ではありませんでした。まあ正史というのは、真面目に整理すれば稗史(ウソ)よりもはるかに多いというのもありますが。
 本書では、従来彼女の「悪事」とされてきた事件を一つ一つ、信頼できる史料に基づいて事実ではないとします。夫帝、皇后(通称東太后)、息子同治帝、その皇后、甥光緒帝など、彼女の周りで人が死ぬとみんな毒殺にされるんですが(笑)ちゃんと当時の記録を読めば、自然死であることがわかる。また、色々なことが、事件でも何でもないこと、事実でない言い伝えであることがわかるわけですね。
 だからこそ、逆に、本書によれば、彼女は「今が旬」。同じく本書によれば、中国では、記録というのはその人の生前はもちろん伏せられるし、他人が無遠慮に(という意識があるようです)「研究」を始めるには、100年ぐらい経ってからが丁度いい、という慣例もあって(さすが中国…(--;))、まさにこれからなんだとか。楽しみであります。そういえば、李鴻章だって子孫は小さくなって暮らしてたそうですが、最近では再評価の動きも高まっているようです。何が起こるかわかりません中国。50年後ぐらいに、思いっきり体制が反動化して、西太后が再びカリスマになっている可能性だってあります。人物評価なんてそんなもんってことで、気楽に行きましょう(アレ?それは次の記事では?)。
 事実が浮かび上がってなお面白い―――それが歴史の本当の面白さで、そのことをこそ教えてくれるのがすぐれた歴史研究書というものです。 
 (4)中国政治とオンナの秘密
 本書によれば、西太后の「野望」とは、
「息子に尽くし抜かれて長く贅沢な余生を過ごすこと」
だったのだそうです。
 見本は、乾隆帝の母后。
 豪邸。大旅行。美食。毎年豪華な誕生日祝い。観劇。劇団4季のミュージカルを集団で見る。明治座。K流ドラマに号泣。(一部不適切な表現が)
 つまり、典型的なおばちゃんです。
 この高齢化社会において、ほぼ女性のみが享受しているバラ色の老後であります(正しく彼女の場合「長生きも芸のうち」)。
 私も常々、この人は非常に女性的な考えの人だなあと思っていました。行動パターンや決断の根拠が、きわめて女性的。はっきり言っちゃえば、場当たり的。
 女傑というと男性性を兼ね備えた野心的な女性、と思われがちですが、彼女の場合、どこからどこまで女だったように思います。呂后則天武后ではない。本書でも、さっさと息子に実権を渡して(そもそも夫が早死にする自体大抵の女性には計算外)悠々自適の余生をたっぷり楽しみたかったらしいことが明らかにされています。
 洋務運動を最初は支持して途中でやめちゃったのも、国政についても長期のビジョンなんかなかったから。彼女が超悪玉とされる日清戦争だって、これは正史にもありますが、単に自分の還暦の大祝賀行事(昔は他に娯楽もないし、国家事業で!)の時に戦争をしたくなかっただけ。結局戦争になってしまって規模縮小。
 彼女は女性でありあくまで第二夫人だったので、夫帝の死後も政治は文字通り野心的な大臣たちに牛耳られていたし、公式にはことごとに東大后と差をつけられ、正式の「帝母」である彼女と皇帝(息子)が組めば抵抗できなかった(このあたりは前述のシステムの確立されすぎのせい)。彼女が発言力を持ち始めたのはクーデター成功後、更には自分に都合のいい家来だけを身近に集めてからで、本当の独裁は晩年。まあ普通の女性ではありますが、年を重ねれば、後期の独裁ではそれなりにやってたみたいです。
 既に述べたような、現代中国政治の原型を、彼女は意識してではなくあくまで本能的にやった。いかにも女性らしく空気を読むのが上手く、感情に任せてやってたら、たまたま周囲の環境がそれにマッチしていてうまくいった。これが彼女の本質であるということを本書は述べています。必要以上に貶めても褒めてもしょうがない。彼女ていどに振り回されてしまう時代の方が異常だったのであって、もし彼女が乾隆帝の后だったら出番はなかったろう、という本書の表現はうまい。
 男同士なら血を見るような政争も、最初のクーデター(夫が任命した野心的な重臣を根こそぎ処刑)も、無抵抗の状況を作って逮捕して処刑。そのクーデターに功績のあった恭親王(夫帝の異母弟)を失脚させるときも、始まりは感情的なもので、当日は大ヒステリー。しまいには親王が泣いて謝っておしまい。う〜ん。周りが大変だな〜(笑)
 でも、こうした、「男だったらこうだけど、彼女だったからこうなった」という具体的な例を挙げてくれているところが、本書の非常に面白いそして優れた点の一つ。
 そもそも、本書で史実の彼女を丹念に追ってみると、あらためて、「たまたま」の多い生涯だとわかります。
 後に彼女が自己演出で作り上げた像を全部剥がしてみれば(この、自己演出に長けているっていうのも正に女性の本能!)、残るのは、地道な官僚家庭に生まれ、激動の時代に家族の悲劇も体験し、妃選びにたまたま合格した、不美人ではないが絶世の美女でもなく、馬鹿でもないがさほど才気煥発でもない女性。たまたま身籠り、たまたま皇子を産み、たまたまその子が唯一の皇子で皇帝になった。クーデターはかなりたまたま成功した(これも始まりは感情的な対立)。少なくとも息子に続いて幼い光緒帝を擁して再び政権の座につくまでは、節目節目に幸運な偶然が働いています。
 実際に、息子同治帝が成人すれば引退したし、肝心のその息子が親政開始1年ちょっとで死んでしまうと、次の皇帝は甥。これが息子代わりだったらしい。彼が親政を始めると、今度こそ隠居しようと思ったら改革をめぐって彼と対立。現代風にいえば「開発独裁」(効率的な経済発展のためには独裁もやむなしとする1950〜80年代に生まれた国。従来の体制を残したまま西洋の技術のみを導入する「中体西用」。本書より)を進める西太后に対し、光緒帝は洋務派の意見を容れて体制そのものを変革しようとしたがクーデターは失敗、光緒帝は幽閉され、一派は処刑されあるいは海外逃亡し、康有為らが日本で書いた西太后攻撃文書が、先に述べたトンデモ流用額なども含めた、現代まで信じ込まれている「史料」となっている。
 本当の排外運動は結局のところ改革、体制打破に繋がってしまう。だから排外パワーは利用はするけれど最後にはつぶす。あらら。これも最近…
 ちなみに、日本においては、同じ「西洋の衝撃(ウェスタン・インパクト)」(中国近現代史では必ず習う言葉)を受けても、中国とは違って体制そのものを変えて対応した「ソフトな開発独裁国」であり、これが中体西用とは似て非なる「和魂洋才」であった。「体」は見える形で残さねばならないが、「魂」はいくら見た目を変えても残っていればいい。端的には、セーラー服に辮髪の清国兵と、ザンギリの日本人の差。(以上本書より)
 本書の明確さは、これまでにもあったけれど無理矢理な弁護としか受け取られないことが多かった「彼女によって却って清朝は延命した」という考えを、きわめて伝統的な中国王朝のシステムから見直した上で正しいとしていること。
 そのシステムを、本書では「甘い汁の循環」とします。これは百皿が並んでも実際にはほとんどが家来に下げ渡される「皇帝の食卓」に象徴される、国を挙げての「たかりの構造」。常に周囲が権力者の「おこぼれ」の分配にあずかることが折りこみ済みの実に中国的システム。西太后の贅沢も、彼女一人のためではなく、諸外国に、清朝からはまだまだ甘い汁を吸えると思わせるためのもの。この循環を絶やさぬ限り、改革派がどんなに頑張っても、清朝を倒せない。大規模な工事も対外的には役に立つし、日清戦争前の流用も、まずはまとまった金にあちこちがたかり、更には、船を買って外国に銀を払うより国内に落としてくれた方がいいから。(本書より)
 うーん。中国って国は不思議だし、底知れないですね。最近の認識としては200年前止まりでも、やっぱり貫禄、老獪さを感じます。(今だって、賄賂は当たり前だし、たかりの構造は変わらない気がする…。)
 特に最後の10年が、前述の通りの、プロトタイプが凝縮されているそうです。彼女の死後たった3年で本当に清朝が崩壊してしまったのですから、彼女の時代はまさに最後の中国、そして最初の中国だったのでしょう。
 ちなみに、当時、彼女の贅沢にも国民からは怨嗟の声が上がるでもなく(いつも恨まれていたのは彼女の周囲の男性や、彼女が倒した政敵)、「まああの人もしょせん女だから」で許されていた部分がある…という指摘には「へぇ〜」でした。結局彼女の方が民衆のニーズに合ったということでしょうか。実際、義和団事件の後西安に逃げる彼女が輿の中で居眠りしているのが見えると、沿道の人々が、「あれ、太后様が居眠りをしておられる、もったいないことだ」と彼女の苦労を慮ったそうです。(何か、高座で居眠りしても客が大人しく待ってたっていう落語家みたいだぞ…。)晩年も、甥を幽閉した冷酷な女帝というよりは、息子同然の皇帝に裏切られて可哀相、という世論の方が強かったそうな。
 どおです、このしたたかさ。粘り。待つとなったら徹底的に待てる姿勢。
 本来、政治って、すごく女性的なものなのかもしれませんね。男らしい政治家ってある時ポッキリいきそうだし(笑)女性っぽいしたたかさのある人の方が生き残るのかも。今の某国首相も、言うことがハッキリしているからって男性的かっていうと、むしろ逆とか…?
 「あとがき」によれば、この人って、「好き嫌いは別として、中国人にとっては、非常にわかりやすいキャラクター」なんだそうです。彼女のような立場の人間がわかりやすかった、ということは、いかに外の人間は、王家とか政治とかというものを、自分たちの理解できるようにしか理解してないかってことですね。つまりは、勝手にわかりやすいワイドショーに変えちゃってるということ。彼女については、これまで、研究者でさえそうした「わかりやすさ」に流されていた、という失敗の研究史があるわけですが。
 彼女の度外れた、でも美食や豪華ファッションといったわかりやすい方向性の贅沢は庶民の憧れの的になることを計算の上でやっていたものだそうで、何だか女性の暴君というよりはエヴァ・ペロン=エビータを思わせます。エビータもまた、憧れの高級ファションをまとい、諸外国にアルゼンチンを宣伝して回った(実際には国がひどい状態だったことも西太后と同じ)。西太后は、同じことを国内で諸外国に対してやったわけです。人目を意識した時の行動のうまさというのは女性に特有のものかもしれません。女性の方法論ってあんまり変わらないんですね。また、彼女が義和団事件での北京脱出にあたって珍妃を井戸に投げ込んだ(これも諸説ある)のも、その政治的背景などは知られず、「皇室でも嫁姑は大変なのねー」という受け取られ方をする。これって…今の日本、特に女性週刊誌の世界と全くおんなじですよね。
 現代中国にも、「西太后の好んだスイーツ」だの、「健康食品」だの「美顔グッズ」だの「化粧品」だのの、「西太后印」が溢れているんだそうです。なんだかんだいいながら、彼女は、生涯を懸けて「わかりやすく有名になる」ことで時代を背負って立って、現代にまで生きているんですね。(私、たまたま「西太后印の美顔ローラー」北京で買ったし!(笑))
 無理矢理わかりやすい話に持ってきたわけではなく、納得できる本書の結論として(漠然と悪女、暴君だけど誰も逆らえなかった、というイメージではなく、実証の上で)、やっぱりカリスマだったということになりましょうか。
 今の「カリスマ主婦」なんてぇのは、みんな「ミニ西太后」である、といえるのかもしれません。
 最後に、先行研究を挙げておきましょう(一般書のみ)。
 ブランド、バックハウス 藤岡喜久男訳『西太后治下の中国 中国マキャベリズムの極致』(光風社選書)
 サブタイトルでもわかる通り、カス中のカス。
 Amazon.jpの書籍紹介(広告のまま)もどうかしてます。
 これも入れなきゃいけないぐらい、まだロクな研究がない。
 読んではいけない。
 引用されている「歴史書」のほとんどが偽書(著者が作った架空の書物)。
 おまけに、著者が西太后の愛人だったという大嘘話つき。
 どこが忠実なんだか。
 イギリスでベストセラーになったというのも、タブロイドなお国柄でスキャンダラスな内容が受けただけ。オリエンタリズムですな。地上から抹殺すべし。
 スターリング・シーグレーブ『ドラゴン・レディ』(上・下)(サイマル出版会
 かなりまとも。今回の『西太后』が出るまでは最もいい本。でもAmazon.jpに扱いがない。
 『西太后治下の中国』の誤りを正しているのは勿論、公平に彼女の実像に迫ろうという
 初めての試み。今回の『西太后』のあとがきによれば、今年中国語版『龍夫人』が刊行されたそうです。
 濱久雄『西太后』(教育社歴史新書)
 悪くはないが、時期が時期だけにまだ参考史料が古いもののみで、従来の西太后像を出ようとしてちょっとしか出ていない。史料で論じている部分と、海軍費流用など、既に通説が流布しているものについてはその通説をそのまま引用している部分の差がはっきりしている。逆に今から見ると、この当時での研究の限界がよくわかる。
 今となってはあくまで参考にしかならない。
 あら?だからこれらってことよ、これから!(笑)
 やわらか編に続く。