お掃除は人任せ〜加藤徹『西太后』(やわらか編3)

 ええと…前の記事同様、本の内容を知りたい方は、ひとつふたつみっつ前の記事をご覧下さい。(何か男性にはつまらない記事が続いちゃって済みません)
 紫禁城
 の、話をします。
 あれ?本のレビューじゃなくなってる?
 まあ、ちょっとは関係あるってことで。(写真をお出しできないのが残念です。当時はデジカメじゃなかったもので)
 西太后は当然ながらこの城の住人でした。
 私も旅行で北京に行きました。紫禁城故宮博物院)にも行きました。
 覗き見…
 お掃除が大変そう。
 というのが一番の感想です。
 広いから当たり前だろう?
 いやいや。
 小さい。
 え?広いだろう?確かに、東武ワールドスクエアで見た時は、他の歴史的建築物との比較であらためてでかいと思いました。
 しかし、でかい建物はでかくても、北半分、つまり居住区域は、部屋がものすごく小さく区切られているんですね。本当に、10畳間8畳間って感じで。天井も低い。開放感は全然ないです。
 かの名君乾隆帝の書斎、なんてのも、皇帝の癖に隠者趣味があった人なので、草庵を模して、6畳もないぐらい小さいですよ。
 建物と建物の間の中庭だってでかくはないし、すぐ塀だし。日当たり悪っ。
 「何でこんなに広い敷地の中でこんなにせせこましく住まな あ か ん の?」 
と、クエスチョンマークが頭上に点滅致します(古)
 区切りが細かいということは角っこが多いということで、掃除が大変(だからそれ以前に広すぎるだろ)。部屋の角ってイライラするじゃないですか!
 天井の梁の上だとか!柱だとか!掃除するところ一杯ある!家具多いし!
 自分の家と比較するのもどうかと思いますが、我が家は、掃除の手を抜くために、あまり家具を置いてないです(笑)

 でも、紫禁城の居住区って、どの部屋もかわいいんですよ〜。
 こぢんまりしてて、そこにぎっしり家具が詰まってて、全部かわいい色使いで。
 ちっちゃいソファがあってちっちゃいクッションがあって、ちっちゃい窓は格子が文様になっていて、皇帝のお部屋vでさえベッドなんか小さくてとてもお妃とオタワムレになれる状況ではありません(笑)(窮屈だっただろうな…。)
 絨毯の色とか、ベッドに何枚も重ねたお布団の色もぜ〜んぶかわいい。
 特にサテン好きの女性にはタマランでしょう。
 一つ一つを女性向けのアパートとして貸したら喜ばれそう。
 ちっちゃいからすんごい落ち着くし。すみっこの小さいソファに座ってみても、ちっちゃいベッド(壁にはめこまれた形になっている)に入ってみても、ものすごいほっとするだろうな〜。
 特に私は小柄なので、狭い場所の方が落ち着きます。昔に生まれてちょっと住んでみたかったような。
 考えてみたらですね。清朝王族の満州族というのは、草原を駆け回っていた騎馬民族です。
 なのにこぢんまりした部屋なのは、ひろ〜い草原なのにテント暮しだった貧乏性が抜けないのか、それとも、過酷な自然の中で安らげるのはテントの中だけなので、そういう精神がしみついているんでしょうか。
 大変な仕事をして戻ってくる部屋というのは、誰にとっても小さい方がいいのかもしれません。

 あとは、北京はとにかく冬寒いですな。丁度私達が行く少し前に雪が降ったらしく、紫禁城のあちこちで、「ここの雪はもう一冬中解けないだろうな…」という日陰に残った雪を見ました。建物が多いから日陰も多い。日当たりも悪いけど、部屋は狭い方が暖めやすい。
 ちなみに、紫禁城自体を作ったのは、明の永楽帝です。この人は元々北京を含む北方に封じられた王(燕王)で、甥の皇帝を殺して帝位につき、都を南京から自分の本拠地北京に移しました。一世一元の制を定めたのもこの人です。その後、紫禁城は増改築がされて、清朝の頃に完成したそうです。部屋の区切り方がいつ頃からのものなのかはよくわかりません。
 ま、非常に、貧乏性な人向けのお部屋が並んでます。一つ分けてもらえないでしょうか。
 全部で部屋数は9999、といいますが、誰かが実際に数えたらそんなにはなかったそうです。ま、「99年租借」「白髪三千条」「後宮三千人」と一緒ですかね。

 また、置いてあるものが。
 貴石細工の花の盆栽みたいなやつとか、からくり時計とか、細かい部分が一杯あるものばっかりで(笑)今はガラスケースに入ってそのケースが埃かぶってるのですが、当時はこういうものの掃除って、いちいち毎日細いブラシかなんかで埃落とさなきゃいけないわけでしょう。
 「宮女がうっかり壊しちゃったりしたら、宦官にあーんな折檻とかこーんなお仕置きされちゃうのねキャー
とか思ってました(馬鹿…)。
 また私事ですが、ワタクシはこういう掃除がめんどくさいものは一切置きません(笑)
 なので、居住区を歩きながら、
「ああ、こんな細かいもんばっか置いてんじゃねー!!!」
と人ん家ながらちょっとイライラしてました(笑)
 逆に言えば、こういうものをばっかんばっかん飾っておける大きなおうち、っていうのがまさしくステイタス・シンボルなんでしょうね。外国でもやたらマントルピースに物を沢山飾ってて、使用人が掃除したりするお屋敷ってありますよね。
 ああ自分、精神が貧乏だよ!(笑) 

 この紫禁城滞在時間は約3時間、正門から入って裏門から出る、ほぼ「通り抜けただけ」コースでした。あちこちで小さなテーマ展示をやってたりしたし、まともにいたら一日はかかるんですけどね…
 結局印象に残っているのは小さな部屋の可愛さと、一番裏門に近い、お妃様(これを中国人ガイドがずーっと「オヒサマ」と言っていた…)と皇帝がお散歩をしたという皇帝個人のお庭(奇岩や亭や花壇があって面白い)ぐらい。
 ちなみに、ここを見渡そうと思ったら、裏山である景山公園に登られること。ここから見る紫禁城の黄色い甍は最高でございました。

 後宮の様子や、西太后の晩年の西洋趣味の時期の、各国大使夫人を招待してのパーティーの様子は、たまたま読んだばかりの吉屋信子西太后の壷」に描かれています(『西太后の壷』及びアンソロジー運命の法則』(文春文庫)所収)。
 故宮博物院の写真(そーだ、今は故宮博物院なのだった)
 http://www1.bbiq.jp/isao6kgh/chinakokyu/menu.html