再読、そして海

回想の渋澤龍彦
回想の渋澤龍彦

 いや〜。本当に、愛されているなあ。澁澤どの。
 特に、若い頃、それこそ10代20代から彼を知っている人の思い出話はやっぱりイイし、後年の知り合いでも実に色々と澁澤像を伝えてくれる。
 戦後、まず彼は鎌倉の小町に住んでいた。家族と同居していたのに友人がしょっちゅう出入りしていた。
 「澁澤君は一人で由比ヶ浜材木座の海岸へ行くのが好きでね。和服の着流しで、いろいろなものを拾ってくるんですよ。着物が似合ったな。」「ふいと見たら、猿の骸骨が窓のところにあるの。『これ、なに?』と訊くと、『材木座の海岸で拾ってきた』と言うんです。」(大塚譲次)
 材木座
 私にとっても、記憶にある最初の「海」はここである。(本当はもっと前に別の海岸があるのだが小さすぎて記憶にない。)
 祖母が逗子に別荘を持っていたので、小学生の頃は毎年夏と言えばそこに泊まって、材木座の海で遊んでいた。と言っても、子供心にもきったねえ砂浜できったねえ海だった。もうその頃にはさんざっぱら本で海というものを知っていたから、「日本の海」の汚さに夢は壊れた。それでも仕方ないので砂浜で遊んだり浮き輪でばちゃばちゃやっていた。
 ああ、その20年前、同じ砂浜を、澁澤龍彦がそぞろ歩いていたのだ!(その当時はちょっとはましだっただろうか)
 よく似合う着流し姿で。(そう、実際『新文芸読本 澁澤龍彦』で写真を見たが、20代30代の彼はいかにも文士風で、本当によく似合っていた。彼はきっと”最後の高等遊民”なのだ。)
 勿論小学生の私が知るわけもないまま、子供時代は過ぎた。
 自分の「海」の原風景が彼にとって大きな時間であった場所であった…とは、正直、嬉しい(それが何だといえばそれまでだが個人的にはこういうのがね〜)。
 逗子と鎌倉は近いから、逗子に行ったついでに鎌倉で遊ぶこともあったし、長じてからも鎌倉にはよく行った(最近の小町通りはすっかり原宿と化したのが残念である)。
 小さい頃に八幡宮に連れて行かれた後、中学生の時、自分の意思で初めて行ったお寺は北鎌倉の東慶寺。何とそこが、彼の葬儀が行なわれたお寺だった。しかも、その葬儀から5年と経っていなかった。(お墓はほぼ隣のお寺にある)
 つい数年前、結婚前の相方と初めて鎌倉に行った時は、八幡宮の奥から北鎌倉へと下っていって、まだ紫陽花も何もない明月院にも行った。とても雰囲気のいい所である。周囲の住宅街は、狭い道が舗装されていなくて、まだ道路の脇に溝があって、街灯も頼りなくて、昔風の、酔っ払って帰ってきたら危ないような静かなところだった。こんなところにいつか引っ込んで暮らしてみたいと思った。そうしたらまた、まさにそのあたりが、彼が死ぬまで住んだ北鎌倉の家だったのである。趣が今も変わらないのは当たり前で、著書によれば、鎌倉時代の高級住宅街だったそうだ。
 知らぬ間に、鎌倉のドラコニアには何度となく足を踏み入れていたのだ…
 また、大塚氏の「着物が似合ったな。」の後には、
「とにかく一人になることが好きでしたね。かといって、みんなが来れば喜んでいたからね。」
と続く。このあたりは「考える人」にとって、矛盾しているようで全然一人の人間の中では矛盾していないという面白さと、単純に、いかにも都会人らしいところでもある(申し遅れたが彼は一応母の実家・芝で生まれ幼年期を東京で過ごし、続いて埼玉の深谷と、東京駒込で過ごす)。ものを考えるのは絶対に一人でないといけないとわかっている。でも人嫌いではなく、大勢いれば騒いだり眺めているのは好き。個人主義がきちんと身についていても、完全に一人になってしまうのは嫌で、人に囲まれている空気も好きというのは都会育ちの人間に共通する。また、人が周りでワイワイやっていて、加わらないで眺めているだけでも楽しいという点も私と同じだ。
 などと思っていたら、本当に、後ろの方である方が(誰だっけ)「話が早くて」「竹を割ったような所があって」「江戸っ子という感じ」「(正確には)山の手だから東京っ子」と仰っていた。
 そう。東京っ子。都会っ子。一番の特徴はまさに「話が早い」ということ。これの極端な例が、落語に出てくる「早飲み込みのおじさん」で、うまいとこついてる(笑)
 暗いこと、しみったれたこと、野暮なことが嫌い。派手なこと、明るいことが好き。貧乏は苦ではない(というか、江戸期の江戸には、身分制度がはっきりしていて身分間の移動はありえないため、「不公平感」は今ほどなかったらしく、比較対象はあくまで同じ身分の中の「ちょっといい暮らしをしている奴」―高橋克彦杉浦日向子『その日ぐらし』にそういう旨の説明がある)が、「貧乏臭い」ことが嫌い。澁澤氏も、ネクラではなくむしろ明るい方だったという。書斎派とネクラは違うのである。頭ん中で人の何十倍もの考えを考え、弄んでいても、別にどこへも出かけないわけでもなく、人嫌いでもない。本当にこの人は典型的な東京人である。全く私と同じだ(但し頭はカラッポだ)。
 他人から見れば無理矢理と見えようが、私にとっては十分に必然性のある偶然だったり共通点である。やはり、出会ってみてすぐに親近感を覚えるような相手とは、必ずいつか出会う運命なのだ。
 丁度鎌倉の海がまた見たいと思っていた頃だ。余り暑くならないうちに、お墓参りを兼ねてまた行ってこようか。初夏の海、というのは、何とも輝かしいイメージのあるいい言葉だ。