神か最悪か

 今日は、澁澤龍彦『夢の宇宙誌』(美術出版社)、『マルジナリア』(福武書店)、『機械仕掛のエロス』(出版社忘れた)。
 死後刊行の『マルジナリア』の「あとがき」は龍子夫人で、これがほぼそのまま、『澁澤龍彦との日々』の最終章になっている。
 ただ最終章の方には、鎌倉のIクリニック(実名が挙げられている)では組織検査にまで出したのに癌が見つからなかったことが書かれている。本人が自覚していて何度も「悪性のものではありませんか」と尋ねたにも拘らず「大丈夫」と言われ続け、それでも一向によくならず、何度か病院も変えた。結局大学病院で癌と判明し、「もっと早く来ればよかったね」という本人の一言に万感を覚える。何故これほどの人間に、こんな風に最悪がよってたかったのか?
 しかし、『都心ノ〜』にて本人も「肉体が精神に追いついた」と書いている通り、彼は死の少し前に、大掛かりな手術によって、元々繰り返し描いてきた「肉体のオブジェ化」を遂に自らの身体で成し遂げた。しかも、気管切開によって、鎖骨と鎖骨の間に一つ穴を持つことになった―――そう、彼が憧れその生涯をエッセイにも小説にもした少年皇帝エラガバルスのごとく、成年の儀式として穿たれるそれのごとく、ありえないはずの「穴」を。
 理想の死だったかもしれない、でも、人の死に理想の死などあるのだろうか、と夫人は書く。本当にその通りだと思う。けれど神様も精一杯彼のために色々なことを死ぬ直前に叶えてあげて、天に連れて行ったようにも思える。最後まで不思議な人、いや、生前に自ら作り上げた不思議なイメージが、死の直前に遂に本物になったと言うべきか。