昭和、だが…

浅羽通明澁澤龍彦の時代 幼年皇帝と昭和の精神史』(青弓社

澁澤龍彦の時代―幼年皇帝と昭和の精神史
 澁澤龍彦の読まれ方(「いかに消費されたか」)と、「彼は何故それを書いたか」を通して「昭和」という時代を眺める。かなり示唆に富む本だがいくつか物申したいこともあり、しかしそれには時間がない。それに、考えてみたら私は、昭和は終わり10年ちょっとしか生きていなくて、平成の方が既に長い。人生のほとんどが「昭和」である方々とは違って、今のところ昭和を昭和として括る必要を感じないのだった。それでも、最初から豊かな時代に生まれ育った世代の分析を澁澤殿の読まれ方、ファン層の変遷などによって行う試みは、著者曰く結論を目指したものでなく一つの物語、だとしても面白い。前半、なかなか納得できる意見もあった。
 興味深いのは、結末近く、澁澤殿の晩年の小説作品については、筒井康隆の批評を引いていること。この批評が実に鋭い。「澁澤文学私論」というこの文章、何という単行本に入っているんだろう。大体全部読んだはずなのに、読んで忘れてしまったのか、それとも単行本未収録なのかわからない。ちなみに、筒井康隆は『虚人たち』で、澁澤殿と同時に泉鏡花賞を受賞している。前にも述べたが、筒井殿は龍子未亡人から、生前の澁澤殿の書きたいものと筒井殿の作品はとても似通っていたと聞いたそうだ。生前交流がなかったことが悔やまれるそうだが、それはファンも同じである!
 そして、同じく小説作品が「心境小説」である、という意見。納得!そう、「私小説」に似ているが実はそこから最も遠い―――自在―――メタとフィクションの自由な反復横跳び―――な作品は、正に「心境」である。

出口裕弘澁澤龍彦の手紙』(朝日新聞社

澁澤龍彦の手紙
 「病室でじかに彼の口から―いや、筆談で聞き知ったことだが、晩年、山田風太郎の作風にひとかな共感を寄せていた。ことに、この人の明治開化ものが気に入っていたようである。『幻燈辻馬車』『明治忠臣蔵』『明治バベルの塔』のような小説を、彼自身、狙っていたと思う。広く読まれる異色作家、それが彼の、ある時期からの目標だった。」(13頁)
 これは別に晩年に(「日本回帰」と誤って評されていたことも含め)澁澤殿が急にメジャー化を狙ったわけでは勿論ないだろう。晩年の彼の幻想的かつ常に古典作品を下敷きにした小説を見れば、その構成法というか小説作法は山田風太郎に似ていなくもない。従ってこうした彼のひそかな狙いは、想定内だと思う。
 ちなみに、この本で知ったのだが、山田風太郎に『魔群の通過』(SGA851様強力プッシュの)という作品があるが、同名の短編が既に三島由紀夫にあった。山風は三島殿も結構意識していたのだろうか。

三島由紀夫豊饒の海』四部作

春の雪奔馬暁の寺天人五衰
(画像は参照。『春の雪』と同じデザインのあと3冊があり、それが一番新しい版です)
 『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』(いずれも新潮文庫)。細かいことは措くとして、普通に面白かった(笑)先が気になって気になってどんどん読んでしまった。むしろ今時、同じ骨子のエンタテインメント小説もありそう。コメントにも書いた通り、仏教の思想が入っており(これに物凄く凝っていたというエピソードが澁澤殿関係の本にある)、しかもこの作品の最終回を脱稿して著者はあの市ヶ谷に向かった、という正に遺作。色々批評も乱れ打ちだろうから詳しくは述べない。ただ、結構ラストが裏切られるというか、言いたいことは何となくわかるけど、結局前の3冊は何だったのだー、という気もする。
 起承転結の転にあたる『暁の寺』の南国風景、何となく、同じく白鳥の歌となった澁澤殿の『高丘親王航海記』を思い出した。
 この『暁の寺』が、件の、澁澤殿がモデルという「性の千年王国(ミレニアム)を夢見るドイツ文学者」今西康が登場する1冊。うーん。出口前掲書ではかなりこのキャラクターが批判されている。前にレビューした高橋たか子『誘惑者』の「松澤龍介」が見事に澁澤殿の本当に言いそうなことを書いているとしたら、この今西康は、やはり澁澤殿に三島殿が言いたいことを言わせたに過ぎないように思う。出口前掲書は、これを「(澁澤殿が)最も信じていた人間からの裏切り」とまで言う。確かに、ちょっと澁澤殿の趣味ではないことを滔滔と述べているし、やっぱり三島殿の趣味ですね。そのくせ、三島殿も「あれは見れば誰だって澁澤君だとわかってしまうでしょう。だから(小柄ではなくて)長身にしたの」(出口前掲書)とは、性質が悪い。「澁澤殿観察」が表面に留まっているというか、澁澤殿が三島殿を理解したほどには、逆はなかったということかなあ。しかし澁澤殿はいつもの調子で、これを批判はせず、「私は(三島殿ほどには)全く血みどろ趣味ではない」とやんわり反論するにとどめている。うーん、こんなキャラにされたら誰でも嫌だろうなあ。でも、「貴族的な挙措」の中で「きたないことを言う」ことを好むとか、もろもろの文章表現は、澁澤殿が正にそう見せようとしていた自分の像を描いたものとすれば正確だから、やっぱり性質が悪い(笑)
 そっか、これだけ映画化されてたんだ(笑)主人公清顕(うーん、申し訳ないけどツマブキ君よりもっと美しい!)の友人が本多ではなく「高岡」になっているのも何となく…
春の雪