死屍累々
昨日は、無謀な「決勝T進出」を当て込んで、昨日が発売日になっていた色々な商品や漫画雑誌の死屍累々といったところ。
今日は、電車の中で、人が読んでいるスポーツ紙を覗いてみれば、ほぼ批判が優勢。
スポニチだったかで、
「サッカーバブルが弾けた」
と某解説者が語っていたけど(だから私が前から「あのバブルが異常だった」って言ってるやん(笑))、経済のバブルと一緒で、バブルを煽ったのも弾けたと言い出すのも同じ連中だってのが問題なんだけどね。
目一杯煽ってた「解説者」が、今更「やはり一対一に強い選手を」「個々の力があるのもいいがチームの中で貢献できる選手を」なんて言っているのには笑える。(その点昨日のハイライト番組でのO田元監督は問題の根本を衝いていてよかった)
「選手過信したジーコ監督 自主性尊重、「時期尚早」」
http://fifaworldcup.yahoo.com/06/jp/060623/28/6sx9.html
(一番煽ってきたA日系記事の目一杯の良識アピール?)
4年前、国内リーグ10年やそこらの国が決勝T行けたら「何かおかしい」と思わなきゃ。
私みたいな素人だって、
「あれ?サッカーって、日本がこんな簡単に上へ行けちゃう程度のスポーツだったか?」
と疑問に思ったんだから。トルコ戦での謎のスタメン変更がなければあの一試合には勝てたかもしれないが、結果的には16強止まりぐらいでよかったと、私は今も思っている。
国内にさえ、自国開催自体「時期尚早」という意見もあったのに(決定後、そう漏らしたFIFA幹部もいたという)、「とにかくやってしまえば強くなる」という根拠のない意見が通って(まあ独裁ですからね)無視されたことも忘れてはいけない。
歴史は必ず、新参者にビギナーズラックを与えるのだと、あらためて思う。
維新10年やそこらでやった日清戦争や、その後の日露戦争と、国を滅ぼしかけた太平洋戦争との関係と全く同じである。今回の敗因も、フィジカルの弱さとか決定力とか選手選考のおかしさなど、末端のことは色々言われているけど、全ての根は1つ。
「新参者の癖に世界をナメた」
これに尽きる。日本というのはどうも一度叩き潰されるまで自分のことがわからない国らしい。
ニッカンかサンケイにあった、「今回のクロアチア戦が、アウェーのW杯で挙げた最初の勝ち点1」という指摘は鋭い。
リッティの「自国開催以外に気持ちが入らないのに勝てるわけがない」「監督は感情に左右されずベストメンバーを選ぶべきだった(具体的には、監督と感情の入れ違いがあったというDF某選手)」という意見も正しい。
まだまだだってことは自覚した方がいい。
しかしまた今度は、「南米式は駄目、ヨーロッパの監督を招聘して組織のサッカー」なんて、ただの揺り戻しが起きつつあるらしい。問題はそんな単純なものじゃないのに。
どうして外人監督に拘るのかはわからないが、既に1人に絞られているという候補が誰なのか、有力とされる2人のうちどっちでもいいが、確実なことは、日本は又全員「基礎練習」からスタートということだ。