フルヘッヘンド復権―パトリック・ジュースキント、池内紀訳『香水―ある人殺しの物語』(文春文庫)(読書日記) 香水―ある人殺しの物語パトリック ジュースキント Patrick S¨uskind 池内 紀 おすすめ平均 人知を超えた嗅覚怖い・・・ グロテスク・・・ でも読みたくなる。香りという感覚を本では味わえないけれど。匂いからは逃げられないストーリーも面白くてAmazonで詳しく見るby G-Tools

 昨日、職場でドイツの週刊誌『FOCUS』最新号をめくっていて、遂に映画が出来上がったという記事を見たので(読めた、ではない(笑))。
 原作であるこの小説は、大学に入った頃、今から10年以上前に読みました。確か化粧品の雑誌で紹介記事を読んで面白そうだったので、すぐ買ったのです。
 記憶が曖昧なので、このたび文庫本を借りて読み直してみました。邦訳の初版は1988年で、現在は2003年刊の文庫のみ。文庫版あとがきで、訳者の池内氏が、「映画化の話が進んでいるという」とお書きになっていらっしゃるのが、この映画のことでしょう。
 作者はドイツ人。1987年世界幻想文学大賞受賞作品。ドイツ80年代最大のヒット作で、世界累計200万部は売れたという。ところが、超寡作な作家で、売れなかったいくつかの短編の後、戯曲「コントラバス」で認められた後は、この『香水』を含む3作!しか出版されていないそうです。
 汚猥と悪臭の中に生まれ、異常なまでに鋭い嗅覚以外は何も持たず、「におい」にとりつかれ、「におい」に生き、そして「におい」によって滅びた男の一大奇譚。
 においがここまで人を支配さえしうる、ということを白日の下に曝した、においを扱った小説としては空前絶後のもの。
 実は目で見た情報よりもずっと多くのものを、我々は鼻から得ているといいます。まさしく、「目に見えるもの」に頼り、信じすぎて、不当に貶められた「鼻」と「におい」を主人公にした、いい意味でのワンアイデア・ジェットコースター一代記。
 時代とテーマゆえに、グロテスクな描写になるのは避け難いし、タイトル通り、美女を殺してその「におい」を集める殺人者の物語です。色々と気づいて面白いこともあります。しかし、思わず引き込まれてしまう詳細な描写と、人を食った調子の訳文で、読む側はどよーんと入り込んでしまうことはなく、あくまでもさらりと読めて、むしろ読後感は「痛快」なほど。異様な主人公が異常な理由で犯罪を続け、最後の1人の犠牲者の親の執念で捕まる、なんてのも、昔話によくあるパターンですし、全体に、小難しいテイストではないところがいい。こうした印象は初読でも再読でも変わりませんでした。

 18世紀フランス。醜い孤児グルヌイユは、闇の中でさえも、においを辿って迷わず歩くことができるほどの嗅覚の持ち主。しぶとく生き延びた彼は、やがて香水作りに天才的な才能を発揮し、世間を渡り歩く。
 だが、何と肝心の彼自身には「体臭」がなかった。
 彼の最初の乳母も、長じてから知り合う人々も、何のにおいもしない彼を不気味がり、忌み嫌う。
 「においがない」とは、かくも怖ろしいことであるのか。
 「においがない」とは、「存在しない」ということなのか?
 その代わりにか―――彼が初めて女性を「美しい」と意識したのは、その「よい香り」ゆえだった。
 「みんな知らないのだ、魅力の秘密が無類の美しさにあるのではなく、唯一そのたぐいまれな匂いのせいだということを、まるで知らない!」
 彼はその、女になる直前の少女を殺し、そのにおいを嗅ぎ、完璧に分析し「知った」時に、無上の喜びを味わう。
 やがて、彼はにおいを移し取るための完璧な方法を開発し、うら若く美しい―つまり、よい香りのする―女性を次々と殺害しては、そのにおいを集める。皮肉にも、「においのない」彼は、犬に吠えられることもなく、易々と犯行を繰り返す。
 裸にした身体に、綿密に調合した動物の脂肪を厚く塗り、布でぴったり包んで6時間。奪い取った服と刈り取った髪からも後で匂いを抽出する。
 25人の乙女を殺し、出来上がったのはまさしく「究極の香水」。
 だが25人目の美少女の殺害の後、犯行はあっさり露見し、彼は逮捕される。勿論、彼ゆえの欲望など、誰も理解しない。
 そして、衝撃の(と、書くしかない)ラスト。
 衝撃過ぎて、却って寓話的。