マイクル・コナリー『天使と罪の街』(講談社文庫)

 天使と罪の街(上) 天使と罪の街(下)
 予約してたのがやっと届きました。前作『暗く聖なる夜』とさほど間のない邦訳で、嬉しい限り。
 さて、今回は、分量(昔の文庫なら1冊です!)の割には忙しいです。
 ロス市警ハリウッド署の刑事・ハリー・ボッシュシリーズ第10作でありながら、作者唯一のノン・シリーズ『ザ・ポエット』及びFBI心理分析官テリー・マッケイレブシリーズ『わが心臓の痛み』『夜より暗き闇』、合計3作品の続編と完結編を兼ねるという大仕掛け。3本の流れが1つに…とも言えるし、ボッシュ以外はここでもうおしまい!という力技とも言えます(テリーは結局作者に殺されたんだよねえ…)。(『バッドラック・ムーン』他のヒロインも変名で出ているらしいのですが、そっちを読んでいないのでわかりませんでした。)
 訳者あとがきでも解説でもしつこく言われている通り、絶対に、『ザ・ポエット』を先に読んでおいて下さい。この作品は犯人のとんでもない意外性が全てなので、犯人の正体が明かされているこの『天使と罪の街』を先に読んだらもう『ザ・ポエット』は楽しめません。
 また、テリーのシリーズも本当に素晴らしいので、できれば先に読んでおいて欲しいです。テリーとボッシュのコンビは感動的でした。
 そして、流石にここまで来ると色々過去の話もあるので、未読の方は是非第1作からどうぞ。
 この『天使と罪の街』では、まず、テリーの死に不審を抱いた妻グラシエラが、前作から私立探偵となったボッシュに捜査を依頼。一方では、やはり死んでいなかった”詩人”が再び姿を現し、かつて彼を撃ったFBI捜査官、レイチェル・ウォリングを狙う。テリーの残した手がかりからボッシュはある地点に辿り着き、FBIがレイチェルをオブザーバー(つまり、呼んではいるがのけ者)にして極秘に進めていた”詩人”の捜査とぶつかる。
 徹頭徹尾一匹狼のボッシュと、”詩人”事件での捜査方法を巡って左遷されていても意気軒昂なレイチェルは、共にFBIの捜査に不満を抱き、手を組む。いわば、死んだテリーが結びつけた2人が共演し、ボッシュ・シリーズの「枝」を終わらせるわけです。といっても、勿論こういう2人なので、最後まで緊張は消えません。
 ”詩人”は相も変わらず狡猾で、連続殺人事件で自らの能力を誇示しながら、レイチェルを誘う。しかし遂に今回はボッシュの出番。何かこの2人、怖いもんないです(笑)
 今回はそんなにプロットが入り組んでいるわけではないですね。一応最後にオチと言えるようなものは用意されてますが。
 プロットがどうというよりは、オールスター・キャストによる、完結前の「ため」、「常連さん向け」の感が強いです(繰り返しますが、できるだけ多くこれまでの作品を読んでおいて下さい)。
 そして、夢の共演を果たしたレイチェルとボッシュの関係と、それぞれの人間性の描写の素晴らしさ。悪と戦うとはどういうことか?悪とは何か?正義とは何か?あくまで屈しない、彼に好意を抱かない人からすれば傲岸不遜にさえ見えるかもしれないボッシュですが、強さと同時に弱さ、人間としてもとても繊細で正直な心を持っています。そういう彼の戦う姿が私は大好きです。
 このシリーズが「現代最高のハードボイルド」と呼ばれる魅力は、やはりボッシュにその99%があるでしょう。
 今作の最後では、ボッシュは元同僚の誘いを受け、ロス市警に復職します。やっぱりボッシュは「刑事」でないと!と思う私としては嬉しいです。2つの支流が本流に繋がり(テリーは死に、レイチェルとも恐らく今後二度と会うことはないでしょう)、ボッシュには再び新たな旅が始まる。
 ボッシュと元妻の関係は、果たして最後には元に戻るのか?この家族にも幸せになってほしいです。(いや、元奥さんあんまり好きじゃないんで、納得行かないけど(笑))
 このシリーズが12作で完結するという噂が本当なら、残るは愈々あと2作。惜しい気もしますが、だらだらやって「まだ?」と言われるよりは、このコナリーのことですから、見事な完結を期待しても裏切られることはないでしょう。私としては、ボッシュが最後まで生きていてくれさえすればいいんですが。
 非常な人気作品なので版権は高いそうですが(そのせいで出版社も扶桑社、早川、講談社と代わっているんだそうです)、日本でも売れ行きがいいせいか刊行ペースも安定しているし、訳者の古沢嘉通さんも、入り組んだストーリーだし凝った言い回しも多いこのシリーズをよく訳していると思います。こういう風に原作の刊行ペース通りに翻訳する姿を、東○○紀にも見習って欲しいものです(『砂漠で溺れるわけにはいかない』の訳者あとがき、図書館の本でなければ切り取って捨ててましたね。創元も、後生大事に抱え込ませておかないで、さっさと別の翻訳家にすればよかったのに。本編の興を殺ぐようなあとがきを書く訳者よりは、多少トーンが変わろうが真摯な人の方がいいです)。
 ただ、本当に、最近の作品はすぐに上下巻になっちゃいますね。昔の活字の大きさなら間違いなく1冊だったのに。まとめて1冊にして厚くなってもそんなに値段は上げられないのでしょうが、分ければ正に2倍になりますし、上巻を読めばかなりの確率で下巻も買いますから、上下巻というのは夢の作戦。やっぱり今は本が売れないからこうするしかないんでしょうねえ。(Amazonカスタマーレビューにも同様の意見が。やっぱりみんな思うよねえ…)
 最後におまけ。
 上巻109ページ。ボッシュが、テリーの残したデジカメの画像をチェックしているシーン。

  カメラマンの画像は窓の奥にある展示物に比べて、小さすぎ、はっきりしていなかった――展示物は本の山に囲まれ、キルトをはいた男性の等身大写真であり、”イアン・ランキン、今夜来店!”の文字も記されていた。(略)書店に電話して、イアン・ランキンが来店した日を調べればいいだけだ。

 ぶはははは(笑)そりゃ確かに、ランキン、アメリカでもサイン会やるだろうけど、等身大写真ですか(爆笑)しかもキルトですか!(スコットランド人だからね!)いや、キルトは本当かどうか、もしかしたらコナリーのイタズラかもしれないけど、いずれにせよランキンが勝手に出演させられてます(笑)
 ランキンのジョン・リーバスシリーズも読んでいる人には、こたえられないですね。私もそうです。
 実は、前作の訳者あとがきによれば、ボッシュ・シリーズがエドガー賞の候補に挙がった時、コナリーは自分が審査委員長(だったかな)であるため自らノミネートを辞退したということがありました。委員長自身は投票には関わらないらしいのに。そして、この年(日本の某女性作家がノミネートされたことで、一般のニュースにもなった)に『甦る男』でエドガー賞を受賞したのが、他ならぬランキン。私はずっと、ボッシュとリーバスは似ていると思っているし、両方のシリーズを読んでいる人は皆さんそう思われるのではないでしょうか。勿論、元祖はボッシュ。英国と米国の、両親の違う双子みたいな2人。多分、このランキンの”出演”は、コナリーからの親しみの証、エールではないかと思ってます。ランキンの方も勿論、コナリーへの相当なリスペクトがあってもいいので、もしかしたら今度はお返しに、リーバスシリーズにコナリーが登場するかもしれません。
 また、テリーシリーズの『わが心臓の痛み』は、クリント・イーストウッド監督・主演で映画化されており、今作では、「テリーの体験をモデルにしながら、映画はストーリーが違う」とか「興行成績がよかったとはいえない」とかチクチクとやってたり、テリーの葬式に「イーストウッドもヘリで駆けつけた」というお遊びもあります。その他、ボッシュシリーズでは、映画の看板が『わが心臓の痛み』のものだったりと、余裕たっぷりなお遊び(宣伝?)も楽しみの1つです。
 ザ・ポエット〈下〉 ザ・ポエット〈上〉
 わが心臓の痛み〈上〉 わが心臓の痛み〈下〉
 甦る男―リーバス警部シリーズ
甦る男―リーバス警部シリーズ