先週末のレックス・スタウト

 先週後半はスタウトのネロ・ウルフもの他を立て続けに行く。これも、自前の本の読み直し。
 『赤い箱』、『ラバー・バンド』、『毒蛇』。
 やっぱりウルフとアーチーはいいね。
 しかし、ウルフはビール好きで、車で来た人(というか、アメリカ社会は車当然なんだけど)にも勧めちゃうというシーンは、偶々ちょうど今問題になっていることなので出てくると気になりました(勿論作品の質とは無関係のことですが)。
 外国の小説、というか、多くの外国には、「酒を飲んで運転してはいけない」という観念がないですね。車で来ている人にビールを勧めるなんて普通だしなあ。映画なんかではモロに「呑みながら運転する」シーンまであるしなあ(「ブエノスアイレス」…)。でも、本当に、お酒は飲まないに越したことない、つーか人間として当然。この問題も、この先世界的傾向としてはどうなっていくのか。(外国のこととはいえ、あからさまに「お酒を飲んだ後運転する」というシーンがあったら、今後翻訳なんかも気をつけた方がいいような気もする…ってそれじゃ戦前の検閲時代に逆戻りか?)
 『腰ぬけ連盟』も持ってるのでいずれ読むとして…『ネロ・ウルフ最後の事件』はちょっと…
 著作リストを見ると、邦訳が抜けてるのは大体中期ぐらいかな?しかしそれでいて何故最終作だけが早い時期にちゃんと訳されているのか。謎だ。
 エラリイ・クイーン『恐怖の研究』。実はホームズが切り裂きジャック事件を捜査していたが、公表はされなかった…という設定。いわゆる未公開原稿もの。その原稿をエラリーが読み、ホームズと共に犯人を推理する。
 同、『緋文字』。これは作中でエラリーが泣く作品。彼は泣いたり悩んだりする探偵のはしりですが、どうも最近の日本ではその亜流で作者が悦に入っているだけのようなものもある。この『緋文字』は、言うまでもなくホーソーンの同名のタイトルを借りて、不倫と嫉妬を扱った殺人事件。中心となるカップルはエラリーの秘書ニッキーの親友という、普通なら探偵は「通りすがり」なのに、珍しく、非常にドメスティックな話だけに、エラリーの悩み方も自然に描かれています。そして真実が見えた時のエラリーの焦り。読ませ方もうまい。本当に、エラリーがいなかったらどうなっていたことやら。これは全作中でも特に、何度読み返しても犯人に怒り心頭に発する作品。女の敵ですわね。