インドの人は知っている

 例によってどんどん飛躍していく話。
 数日前から、図書館の新着図書コーナーに、プログラミングの「Ruby」の本が置いてある。
 プログラミングって、どうしてPearlとかRubyとか宝石なんだろう(笑)
 「ルビを振る」の「ルビ」の語源が本当に「ルビー」であることは、ルビ版シャーロック・ホームズの記事でも書いた通り。
 女性の名前にも、ルビーちゃんというのは小説にも結構あるが、パールちゃんとかエメラルドちゃんとかは聞かない。
 私にとってルビーちゃんというと、カレーの展示を某所でやった時に、実演のアルバイトをお願いしたインド人の女の子(14、5歳かなあ)が、ルビーちゃんと言った、彼女である。
 短い間で、拙い英語(と言っても、エリートなお父さんの仕事の関係で来日した彼女の場合、日本語はカタコトだが英語は流暢なようだった)と、ほとんどは身振りでちょこちょこお話もしたのだが、唯一「意志の疎通ができた」と思えたのが、
「パール判事」
の話題だった。
「オー、ジャッジパール!」
「そうそう、ジャッジパール!」
 今は日本でも、「パール判事」と聞いてわかる人も少ないかもしれない。しかしインドではまだかなりの有名人のようである。
 かの「プライド 運命の瞬間(とき)」の冒頭は、1946年8月16日のインドだった。
 パール判事が、自らの主張が受け入れられず、口惜しさの余り風呂場で水を何度もかぶるシーンもあった。
 この映画は、興行成績初登場2位という快挙だったのだが、某「○様のブ○ンチ」の映画コーナーでは、10位から順番にコメントしていた映画評論家(コメンテーター)が、この映画だけすっ飛ばして1位のコメントを始めたので、唖然とした記憶がある。
 こういう映画について一言も言えずして、何がコメンテーターだ?(当時はこ○た○つこだった)
 日本の映画評論家なんて、まともに様々なジャンルの映画の勉強する気なんぞなくて、どうせ誰でも見るハリウッド映画を適当に褒めて儲けさせるだけの人間しかいないんだということを痛感した数分間だった。