今週の続き

 佇むひと―リリカル短篇集 本当のような話
 筒井康隆『佇むひと リリカル短篇集』(角川文庫)。先日お知らせした再編集ものの1つ。今年10月。表題作…うーん…せつない…めっちゃせつないですよね、筒井先生のリリカル。
 あとまた、田村隆一さんのエッセイ。
 吉田健一『本当のような話』(講談社文芸文庫)。これも強気な文庫(笑)はさておき、何か憶えてると思ったら『吉田健一著作集』で読んでたよ。
 これは本当に、表現だけで読ませる話ですね(笑)。登場人物は、若い未亡人(元伯爵夫人)とその亡夫の友人の弁護士、シベリア抑留帰りの貿易商と、未亡人の女中頭。しかしこれで何が起こるわけじゃない。何とはなしに未亡人と貿易商は一夜を共にするが何も変わらない。三角関係にもならない。ただただ、異様に教養がある3人の、会話と美食。
 全体に吉田さんの文章というのは、読んだことのある人はご存じでしょうが、句読点がえっらく少ない。10行ぐらいは平気で一文。形式はいかにも「意識の流れ」的。
 解説を読むと、吉田茂を父に持ち、錚々たる海外経験の持ち主である著者は30代で遅いデビュー。小説家ではなく評論家みたいなもので、英国や英国文学に対する深い造詣と理解でむずかしそーな本を書く。しかし、最初の1冊でもう「書きたいことは書きつくした」という羨ましい考えを持ち、何とあとの著作はぜーんぶ「余暇」なんだそうな。
 だもんで、昨日読んだ『旅の時間』、昔読んだ『金沢・酒宴』といった小説も、本当に何も起こらない。ただ見事な描写で主人公の精神世界と自然、生活の一瞬一瞬を鮮やかに見せてくれる。
 意識の流れといえば、プルースト。ちょっと似てるのかなあ。
 最近、余り重い荷物を持てなくなりつつあるので、文庫サイズで適当に厚くて、しかも読み進むのに時間のかかる本を探している。となるとこのプルースト失われた時を求めて』を愈々再読すべき時が来たのか。いや、昔一応ちくま文庫で買って、「通読」って感じで。ストーリーは関連書籍で一通りおさえてはいるんだけど、現物の理解となるとほとんどゼロ。あれって、ほんとうにずらずらずらずらと流れているだけで、1ページ理解するのに10分以上はかかるもんね。これも別に物凄く何が言いたいっていう話じゃなくて、一言で言うと、「富裕なブルジョワの息子に生まれたやや病弱で繊細な主人公が、様々な社交生活を経て、作家になることを決意するまでの話」。徹頭徹尾、回想と社交生活。恋と破局。彼の周囲の様々な恋模様(同性愛を含めた)。
 これ、ちくま=旧井上究一郎訳の後、近年鈴木道彦訳が出てるんですね。これを鹿島茂さんが偉く評価していたけど、私は抄訳版の文庫(フルバージョンは余りに立派な装丁で重くてとても持ち歩けましぇ〜ん)を読んでもちっとも違いがわからず、しかもやっぱり中身はわかりにくい。うーん。とりあえず、読むなら持ってるやつで読んでみます。もーこんだけずらずらずらずらした話なら、訳なんてとりあえずどーでもいーわー。