あいづ・そうかつ・4・喜多方1

 会津12_2喜多方駅全景mini.JPG
 えー、前の記事と続いているといかにも私が田舎ものを馬鹿にしているように見えるかもしれませんが、あくまで、地方が悪いと言っているのではなく、この記事は、いちいち普通のことに驚く私の常識のなさをあげつらうものでありますので、そのあたりをお含みおき頂きたく。
 さて、やっと喜多方。
 レンガ造りのレトロな駅…がっ!!!
 ……周り、何もない……
 駅前いきなりタクシーの駐車場。
 駅からまっすぐ北に伸びる通りも、何かさびれてる…
 いや、「さびれてる」というのは都会モンの感覚であって、ここは元々こうなんですね(ここに限らず会津全体が…)。
 今は情報化社会です。例え実際にはどんな場所であろうと、一旦ルートに乗れば、その地名は簡単に全国区になります。
 そ・れ・が・いけないんですな。
 だから私なぞはついつい、「全国的に有名な観光地」=「高い建物が一杯の繁華街」をイメージしてしまいます。(実際、東北でも仙台や金沢は駅前は立派だし、相方によれば同じ福島県でも郡山はとても開けているそうですが)
 この喜多方でビックリ、そしてこの後、会津でもビックリします。
 でも、これが普通の街なんでしょうね。普段の私の遊び場が六本木とか渋谷とか銀座とか異常なだけです。(注:東京生まれ東京育ちなので、一番最初の遊び場は小学生の時、渋谷でした。ここだって昔は今に比べればずっと静かでしたけどね。)
 東京で私が見たことがあるこういう街は…青梅とか?駅をちょっと出て青梅街道を西に歩くとこんな感じ。(でも青梅は駅前は開けてます)
 高い建物なんか1つもなくって、歩道がまだブロックで覆った溝(どぶ)で。そういえば東京の都会でもうどぶなんて見かけないよ。電信柱だってないし。
 そして、喜多方は「蔵の町」と言いますが、駅からいきなり蔵が並んでいる…ということはありません(蔵が並んだところはあるようですが、地図で見ると駅から一番遠いあたりです)。
 よく見ると、普通の2階建ての店の2階が蔵、とか、家の隣に蔵、とか、ちょっと裏へ入ると蔵、とか。
 昔の街並みを思いっきり再現しました!!!っていう、何百メートルかの道を中国地方で見ましたけど、そういうんじゃなく、ホントに人が住んでる町ですね。
 おいおい、人が住んでるから町なんだろ(^^;)。ホントに何でこれを珍しがるかと。自分の精神構造を本気で問い直したくなります。
 この町は、ぶっちゃけ、いっぺん大火で焼けちゃって、「おお、蔵なら燃えないっ」ってんで一斉に蔵にしちゃった、っていう町。「蔵がフツー」という町。
 なので、「駅からいきなり落ち着いた蔵の町」をイメージしていた人はちょっと肩透かしを食らいます。
 ある意味、喜多方でも会津でも、本当に、一生懸命「観光地」として人を呼ぼうとはしているけど、実際には交通も不便だからあんまり人は来なさそうだし、かつ、町自体もまだ観光地じみていない、というのが実情。
 でも、そこがいいんだろうなあ。前にも書いたけど、「観光地化」っていうのは、一番その土地らしい特徴をなくすってことだから。
 ちなみに、会津に行ったという話を上司にしたところ、鉄道マニアでよくそのあたりにも写真を撮りに行っていた彼は、喜多方が、
「陸のアイラ島
と呼ばれていることを教えてくれた。確か、スコットランドの沖、アイルランドの北にある孤島。
 しかし、こうも言っていました。会津に赴任した人は、まず寒さに泣き、不便さに泣き、しかし最後は離れがたくなって泣く、と。内容2つまでは違いますが、やっぱり3つめは「離れがたくて泣く」の、3つの「泣く」が、若松城前のお土産屋さんの壁にも書いてありました。
 確かに、冬の寒ささえ除けば、失われた日本(といっても、失われたのは都会でだけですが)があるのかもしれません。
 私も、何より、「普通の町を歩く」ということに、驚くほどの安らぎをおぼえました。
 ビルなんか、ひと〜っつもない町。
 見上げれば広い広い空。遠くに山。
 普通に、おばあちゃんが毛糸の帽子かぶって買い物カートや乳母車押してます。
 雑貨店から出てきたおばちゃんは、普段着に、割烹着タイプのエプロンです。
 観光客が来る町ではありますが、なーんにも変わらず普通の人たちがいます。
 私が住んでいる所だって普通の町ですが(でもマンションが林立してる)、こういう、昔の東京にならいくらでもいたおばちゃんお婆ちゃんは余り見かけないのです。
 地方の町に行くと、それが見事なまでにいますね。これが普通なんでしょうね。
 本当に、都会ってどうなっちゃってるんでしょうね。
 統計上では、お年寄りは凄く多いはずなのに、それを「視界から排除」することによって「おしゃれな生活」は成り立っているのだろうか?
 うちの近所はマンションだらけだけど、公園はあり、小学校はあり、スーパーはある。確かに人は生きている。でもやっぱり、普通の町で普通の恰好をしてあるがままに動いている人たちに生活感を感じる。じゃあ「生活」って何だろう。
 そんなことをつくづくと考えました。…が、都会に帰るとまた飲み込まれて記憶は薄くなっていくのです。
 逆に、観光地ってのはそうした生活感をなくそうなくそうという方向に行くもので、ここまで生活感に溢れた町が果たして観光地でいいのかと。
 観光地なんて名乗らない方がいいんじゃないかと。
 でもそうしたらこの良さを誰も知らないと。
 そういう矛盾に、常につきまとわれた旅でした。
 さて次は愈々ラーメン。