六本木・って

 ちなみに、いずれ書くつもりで原稿も写真も用意してあるのだが、六本木というのは、それこそ、ミッドタウンのある外苑東通りから1本裏道へ入るだけで、何十年もほったらかしの木造の廃屋もある。新しいビルがどんどん建つ一方で、こういうものを一向に取り壊さない。ごみごみした路地は、マジで、すぐ近くに大通りがあるのになかなか復帰できない不思議な迷い道(そもそもこのあたり、旧麻布竜土町は明智小五郎の事務所があったと比定されているので行った)。そういう路地から3方向に、ヒルズ、ミッドタウン、国立新美術館が見上げられる。
 東京生まれの私には、そういう、
「相対的に谷底になっている場所」
から見上げる方が、そこに住むよりもよっぽど楽しい。
 地面に立っているものは何であろうと大切なのだと知っている。
 自分の足がどこを歩いているのか、ずっと昔から知っている。
 そういうことが嬉しくなるから。
 五木寛之の中編「野火子」に、超お金持ち姉弟が、高層ビルの自室から、地上の貧民街の暮しを、それこそ家の中まで、高倍率の望遠鏡で眺めるのが日々の楽しみというシーンが出てくる。
 ヒルズの脇っちょの小さなタイ料理店の窓からヒルズを見上げていた時、
「逆『野火子』だな」
と思った憶えがある。
 ただバカ高い場所に家を持っただけで、偉くなったような気になる時代が日本にも来ているのだなあ。(いや、バブルの頃からか)
 でも、どこかから東京に来て何を手に入れても、東京生まれの東京育ちという歴史だけは金では買えない。