本なんてどう読んだっていいじゃないか!―井狩春男『返品のない月曜日』(ちくま書房) 井狩春男『本屋通いのビタミン剤』(ちくま書房)

 取次店勤務(後この取次店は倒産)の著者による、本を「売る」仕事の裏話。本を「書く」「作る」と「買う」の間に不可欠の存在ながら(というか、取次&委託制というのが本独特の販売方法だからだが)余り知られていない業界の話ということで、概ね面白かった。
 面白かった…のだが、ただ、1つだけ許せない記述が、後者にある。

 こんなビジネスマンを知っている。たとえば喫茶店でお得意さんと商談していたとしよう。相手が中座し、電話をかけようものなら、すぐさまバッグから本を取り出し、読み始めるのだ。乗り物の中では無論、食事中も、トイレの中でも、ふとんに入ってからも、ずっと本を読み続けるのである。それでも、仕事をしながらであるから、一日にやっと一冊、というところだ。なんと言おうか、気の毒にさえ思うのだ。もっとサラッと本とつき合えないものか。
 この男の気になる読書の場として、”風呂に入りながら”というのがある。これはもうあきれるばかりだ。
 (中略)
 本を見ながらエアロビクスをしたり、子供にアイウエオを教えるのもいいだろうが、風呂の中で、というのはどうだろうか?

 まず、私は風呂の中で本を読むことを非常に楽しみにしている人間なので、腹が立ってしょうがなかった。今日はシャワーじゃなくてお風呂を沸かしてゆっくり1時間ぐらい入るぞ、というのは楽しい気分だ。何故なら、中々忙しく、湯船に浸かることができるのがせいぜい週末、そして本が大好きだから、そういう楽しみの時間は本とこそ共有したいからである。食べることも大好きだから同様であり、1人での食事は必ず本を読みながらになる。不思議とメシもこれで美味い。
 そう思うと、前半にももう腹が立って腹が立って、正直、著者の所にナタ持って怒鳴り込みに行きたくなった(笑)。
 流石に打ち合わせの最中に本を取り出すのは社会人としてまずいと思うので、これはまず除外しておこう。乗り物の中で本を読むのも著者自身の読書の場でもあるから、これはここで批判しているわけではあるまい。
 ただ、1人での食事中にや(勿論お行儀の点ではよくないが、あくまで1人の時なら趣味の範疇であろう)、布団の中で本を読むのが、どこがいけないのだろうか?
 しかも、著者自身が、「仕事柄本の虫のように思われているがそうではない」「1冊読むのに3、4日かかる」と公言しているような人間なのだから、尚更、本が好きで好きで仕方のない人間の本の読み方に文句をつける筋合いはない。
 こう、何かをする時のやり方を「こういうのはおかしい」と決め付ける人間が一番嫌いである。
 著者が、自分が好きな本というものを仕事にし、それをネタに本を書いて儲け、好きに本を読んでいるのだから、それでいいではないか。何で人の本の読み方にまで「サラッと本とつき合え」などと言われねばならないのだろうか。
 こいつにかかったら、「病院の待合室で本を読む」のも、「サラッと本とつき合って」いないことになるんだろうな。1時間2時間待つのが当たり前の場所で本を読んで時間を潰すのもきっと、著者にとってはNGなんだろう。今の私や、本が好きな人で、定期的に病院に通ってもいる人にとっては、あそこはむしろ、堂々と本が読める貴重な場所なのに。
 アンタと違って、みんな本が好きでも仕事にはしてないし、誰にも、好きな時に好きなように本を読む権利があるのだ。それに、世の中には、アンタが文句をつけるようなやり方でしか本を読む暇のない人間もいる。そんなことに思いが及ばないのだろうか。
 こいつの理屈でいくと、忙しいビジネスマンと、主婦には本を読む権利がないことになる。
 本を仕事にしているうちに、本の読み方にまで眼を光らせるようになるとは、とんだ思い上がりである。