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 小西章子『華麗なる二人の女王の闘い』(鎌倉書房朝日文庫もあり)
 言わずと知れたメアリーvsエリザベス。ムフフ、こういう本も好き(笑)
 研究書ではなく、読みやすい読み物なので、読みやすい(としか言いようがない)。この2人の運命ってどちらも同じぐらい陰惨なんだけど、一気に読める。エリザベスから見ればメアリーは対照的にモテモテで実際に3度結婚して、という敵役。また、メアリーから見ればエリザベスは9つ年上の従姉ながらガチガチのエリート女王。どっちから見たってどっちもどっち(笑)。最終的にはエリザベスがメアリーを幽閉の末に処刑することで決着は着くのだけど、勿論勝ったのがどっちであるかも見方次第。この本では、どちらかというと、死に様でメアリーの逆転勝利、という結論。…まあ、読む側にとってだって、どっちでもいい。それにしてもよくもまあここまで、共通点も対照性も死ぬほど持ち合わせたコンビってのがいるもんだ。
 さて、この本の感想とは些かずれるが、私個人としては、「女性による女性(史)の研究」には非常に懐疑的である。
 というか、何で女性だからって、女性(史)の研究をしたがる人が多いのか理解できない。
 出身大学の出身学部の紀要が送られてくると、卒論や修論のタイトルが載っているので一通り眼を通すのだが、毎度毎度女子学生は「ナントカにおける女性史」とか、「ドコソコにおける女性の地位」とか、その類の論文を書くんだねえ。そういうタイトルを見るたびに、「何でかなあ」と思う。
 私、「女性ならではの視点で」とか「女性にしかできない」とか(「主婦にしかできない」とか)、そういう言い方が大嫌いなのだ。
 そういうのは、強みを強調しているようでいて、実は自分をある範囲に押し込めているだけだと思うからだ。
 つまり、「人間」ではなく「女性」という枠に、あるいは「主婦」だの「OL」だのといった枠に。
 むしろ女性の方が率先してそういう枠を気にしないで動けばいいのに…研究の世界でも、何と、「女性による女性(史)の研究」が多いことか。そんなことをしていたら、逆に窮屈なのに。
 わからんのう。私なんざは、むしろ男でもやらんようなガチガチ軍事の世界を専門にしたからなあ(笑) 
 今回のこの本にもあったが、「同じ女性として」なんて言葉が出てくるともう、虫酸が走る。実際、「私は女だから、女性のことは男性よりよくわかる」っていう思い込みは、研究者としてどうだろう。はっきり言おう、問題だと思う。
 勿論、男性が余り女性に関する歴史の研究をしない、というのもあるけどね(やったところで別に女々しくはないのだが、やる人はやっぱりいない)。
 どーも、女性による女性の…というのが、どうしても胡散臭い。眉唾。
 それとも私が余程のへそ曲りだからか…