前項の続き

 好きな人は好きだが、関係ない人には全く持って関係ない、それはどんなことでも同じである。
 幕末とか、新選組とかでも。
 昔、一緒にアルバイトをしていた女性が流山から通っている(交通費の出ないバイトで!)という話になり、
近藤勇の…」
と言ったら、「よく知ってますね〜!」と驚かれた。今は、かの地はどっちかというとマツモ○キ○シのお膝元として有名だそうである。
 ある年、父方の祖母と京都に祇園祭を観に行った時。京都入りしたのは山鉾巡行の前日、つまり宵宮で、その夜、旧暦6月5日は勿論池田屋事件であり、「新選組同好会」なる人々が浅葱色の例の恰好に身を固めて八坂神社に向かって歩いていくのが、ホテル(八坂神社の向かいだった)の窓から見下ろせた。だがその彼らに目を留める通行人は誰もいなかった。
 …そんなものなのである。
 自分が好きなものはみんなも好きだ、と、何かを好きである余り思い込み、それで周囲に迷惑をかける人間が多いことを思うたびに、自戒の意味もこめて思い出す光景である。
 前述の赤間さんの母方のルーツは多摩だそうであるが、私の母方の祖母も青梅に住んでおり(つまり私の母も多摩方面出身である)、昔々、「あそこには新選組のお墓があるねえ」と、どこかについて(多摩のあたり)について言っていたけれど、当時は何のことだかわからなかった。この、お墓、というのは正確には勿論遺体の埋まっていないものである。
 日野や八王子という地名には、青梅にしょっちゅう行っていた関係上、馴染みはあるが、それだけである。しかも八王子は通るが、日野は通らない気がする(私が日野に最も近づいたのは八高線に乗った時だったか…!?余り記憶が正確でない)。ちなみに私にとって八王子と言われると、子供の頃にサ○ーランドの波のプールで溺れたことだけである(これも聞いた話で、私自身は憶えていないのだが)。あと、日光東照宮八王子千人同心の記念碑を見たぐらいか。今は八王子と言えば、高速道路が凄いことになっていてびっくりした(圏央道だっけ)。
 第一次ブームのきっかけとなった司馬遼太郎燃えよ剣』を読んだ時、しょっぱなのシーンで出てきたのが「分倍河原」だったのは面白かった。電車で青梅に行く時、登戸から南武線に乗ってこの分倍河原を通っていたのだ。あの場面の土方と沖田が身近に思え、つまり一気に作品に入り込めたのは分倍河原のお蔭である(その後、鎌倉の「幕末」に足を突っ込んだ時にも、鎌倉街道分倍河原こそは、重要な古戦場としてまた私の前に現れた)。
 とりとめもない記憶だが…
 私にもルーツとしては全く関わりがないわけではないのだが、まあそんだけという…
 ちなみに、私が、一昨年日光、昨年会津に行ったのは、全くの偶然である。