大徳川展

 行ってきたですよ〜〜〜ん。(行く、って宣伝はSGA851様のところhttp://d.hatena.ne.jp/sga851/20071024でしちょった(笑))
 大権現様ファン、徳川家愛好家としては、これが行かずにおらりょーか!!!
 
 公式サイト
 http://www.daitokugawa.com/
 そもそもこの展示を知ったのは、「暴れん坊将軍」の再放送の時に、地震速報の時に画面の一部がL字型にブルーになって情報が出るのと同じ状態で、この展示の宣伝が出ていたから(笑)。(「尾張は将軍は出さなかったが将軍役者は出した」by清水義範松平健は愛知県出身)
 この展示、某ワイドショーによると、「今日本で一番混んでいる展示」らしいですよ。1日平均6,000人、休日には10,000人が訪れるという…
 これじゃあ、まさか「入場まで○分待ち」とかいう悪夢!?
 なので、本当は子供と一緒に大権現様に出産のご報告に伺おうと思っていたのを泣く泣く断念。(あと、本当はそろそろ子供の首が据わっているかと思ったんですが、まだ据わりかけなので)
 それじゃあ自分が行くのも諦めるかっつーと…そうはいかないんだな(笑)。
 1日6,000人っつったら1時間平均1,000人弱でしょ。あのスペースに1,000人…うーん。でも子供を連れて行かず、相方に見ていてもらうとしたら休日。休日ならば朝一、しかも開館時刻には並んでいなくちゃ。
 と思っていたら、ラッキー、天気予報は雨!って言うじゃないですか!
 よし!明日しかない!!雨の休日、開館には並ぶぞ!!と昨日決意していたところ、夜になって疲労とイライラで子供と大喧嘩(←オトナゲない)。
「済まなかった…」
と母は出奔上野へ。子供は半日ぐらいは相方が十分面倒見られるのでいす。
 疲れちゃって寝坊して、現地に着いたのは10:20頃。広小路から歩いて行く道すがら、人もまばらでこりゃラッキー、と思っていたら、本当に並ぶこともなく入れました。今日は雨のせいか平成館の正面入口は閉鎖で、本館から入りました。本館と平成館が中で繋がってるって初めて知った(笑)
 中は流石に盛況でした。「混雑してきたので最前列の方はゆっくりお進み下さい」と常に係の人が促してました。
 結論を先に言うと、質的には期待してた分の8割。ボリューム的にはまあ満足の部類に入ります。
 質的には…というのは、「大徳川展」と銘打っている割には、「徳川時代全体」というよりは、最初の方の「家康の遺品」と、それ以外の「幕末期の遺品、美術品」にやや偏っていたかなと。でも大権現様遺愛の品々は見応えがあったし、結局それ以外は新しい時代のものが多く残っているのも、当たり前っちゃあ当たり前。それに、確かに、これだけ数も質も揃うと、200年間を完全に満遍なく押さえていなくても、やはり徳川時代というものの全体像は何となく感じられました。
 あと、大権現様ファンとしては、日光東照宮輪王寺宝物館は勿論、久能山東照宮の宝物館も行ってて、そこからの展示品もかなりあったので、実は既に見たことのあるものが結構かぶってるはずなんだけど…久能山なんて行ったの中学生の時だから憶えてないや(笑)。勿論徳川美術館からも名品が来ているので、一堂に会するという点で、今回は得がたいチャンスですね。
 幕末ものでは、家茂公関連の品々が目立ったかな。何たって一番最初の展示品、巨大な金の扇の馬印は、かの長州征伐のために親征なさった時のもの。「大奥」(第1シリーズの1回か2回しか見てないけど)では、葛山さんが演じていただけに(見てないんだけど)、ちょい感無量だったわ〜(笑)
 ボリュームとしては、鎧あり着物あり、最後の方の、姫君の化粧道具やら何やらは流石にお腹一杯になりましたわね〜。この、姫君関連のものもほとんどが和宮のものだから、やっぱり散逸しないで残ってるのは幕末のものだってことだけど(形見分けなどをして、一揃いは残らないことが多いんだそうです)。
 最初が家茂公の馬印なら、展示の最後は「空蝉の袈裟」。和宮が、夫家茂公に凱旋土産として願った西陣織の大きな布は、哀しいことに「遺品」として和宮の許に届く。和宮はそれを袈裟に仕立てさせて家茂公の追善供養に用いた、というもの。和宮の「空蝉の唐織り衣何かせむ 綾も錦も君ありてこそ」という歌に因んだ名前。
 そのちょっと手前に、篤姫和宮の肖像が並べて掲げてあったんだけど、これってとかく確執の噂高い嫁姑なわけで、来年の大河では宮崎あおいvs堀北真希(笑)。
 あと、いわゆる葵のご紋入りの印籠も光圀公所蔵のものが出ていましたが、実際には使ったことがなかったそうな(笑)
 うわー、と楽しめるのは大きくて豪華な展示物なのですが、色々考えるきっかけになるのは地味だけど手紙の類ですね。
 孝明天皇が水戸家に出した密錠(これを水戸家は維新後まで隠していた!)とか、家茂公から孝明天皇への手紙とか…
 一体何が維新で何が逆賊なんだろうと。
 幕府の最初から、幕府と朝廷は決して対立などしていなかったし、むしろはっきりと幕末に徳川家が天皇家に何かやらかしたならいっそスッキリ逆賊で済むのだけれど、実際には誰も逆賊ではないし、徳川家の中でも水戸家は尊攘で。もっと言っちゃえば、幕府に対しては逆臣、朝廷に対しては官軍を称した逆賊こそ薩長という気もする…。(あと、朝廷が源平の昔から無節操だと言っちゃえばそれまでだけどね)
 つくづく倒幕とは一筋縄ではいかない話だとあらためて思いました。
 今でこそ徳川ブーム、江戸ブームって感じだけど、徳川家の方々も、維新後何十年かは肩身の狭い思いはなさったでしょうしねえ。その中でも、いくら今は徳川美術館として整備されている部分も多いとはいえ、膨大な文化財を守り続けていらしたのは本当にエライ!と思います。
 結局日本人って、今でも、皇室のことは何となく尊敬し、「徳川様」のことも、普通に武家の象徴、お家大事、優雅な大名の生活、というイメージで、庶民の立場で漠然と憧れており、ぜーんぜんイデオロギーもクソもない。フツーの人々にとっては、いつだってどっちも似たようなもんだったんだろうな〜というのは、今回、徳川家と天皇家の何となくの関係を見て、よくわかりました。日本人って基本的に無節操ちゅうか、山田風太郎に言わせれば「楽天的」なんだしね。
 「徳川家と天皇家の関係は、和(秀忠の娘和子)に始まり和(皇女和宮)に終わる」という言い方があると説明に書いてありました。
 ま、平和が一番ですなあ。パックス・トクガワーナバンザイ。 
 物販はかなり充実してたな〜。オリジナルグッズが沢山ありました。欲しいといえば全部欲しくなっちゃうんだけどね〜、実際買っても使うかどうかね〜。まあ、お財布に余裕がある方はたっぷり楽しんで下さい。
 私の今回のお土産は、今回のオリジナルグッズではなく、徳川美術館グッズの下敷。三方ヶ原の敗戦の後に大権現様が描かせた肖像画。日々拝んで自戒に励みたいと思いまする。裏側(右の写真)は、徳川本家と御三家の系図になっているので、小説などを読んでいてわからなくなった時に確認するのに便利。
  
 葵のご紋入りグッズはやはり押さえておかなくては、ということで、ハガキサイズのミニクリアファイル。右下は、勿論ご老公様の印籠。私は手帳を使わずそこいらの紙にメモしてはどこかへやってしまうので、これに入れておけば迷子にならないかな…