福沢一郎『知られざる藤沢周平の真実 待つことは楽しかった』(清流出版)

知られざる藤沢周平の真実―待つことは楽しかった
知られざる藤沢周平の真実―待つことは楽しかった福沢 一郎

清流出版 2004-12
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 図書館の本棚で見つけて「ふり」で借りた。なかなか「ほほぅ」だった。
 一言で言えば、「藤沢周平にとって故郷とは何だったのか」。結論は、彼にとって故郷とは自然や風土ではなく、追われるようにして出てきたその故郷に残る「人」―もっと言えば、数人の「女性」であった。単純に、故郷のあの山があの空が、ではなかった、ということ。
 核心は、公式年表には載っていない(但し、弟さんの『兄・藤沢周平』という本にはある)、最初の夫人との死別から最後の夫人との再婚までの5年の間に、短い間結婚していた2人の女性の存在。とはいえ、この本が大手出版社から出ていないからといってトンデモ本と思うなかれ。文春文庫『藤沢周平のすべて』を作る過程で、筆者は関係者へのインタビューを担当しており、そこから派生して生まれた本。よって、これらの新事実も今後は「公認」となっていくと思われる。
 下世話な言い方をすれば、あの透明感溢れる作風、構成美そのものの文章の書き手であっても、やっぱり聖人君子ではなかったのだなぁ、である。
 しかし、本当に、不幸な再婚と再再婚も、夫人たちには申し訳ないが、この本全体を読むと、やっぱり不運だったのだと思う。(藤沢先生の故郷であったのは、故郷出身のこれらの再婚相手ではなく、結核発病で引き裂かれた婚約者と、教え子の女性である)
 それだけ、いかに、若き日の結核が藤沢先生の人生を決めてしまったかということである。教職の夢を断ち、故郷での人間関係を崩し、兄弟仲さえ危機に陥れた。そこへ、結婚後たった4年での夫人との死別(それまでただでさえやたらと習った先生が死んでいくという不運の持ち主!)という更なる不運が襲い掛かり、その延長上に再婚問題のゴタゴタ。そりゃ、いくら教師時代に女生徒に人気があったってかつての教え子にいきなり電話して「結婚して」はやばいでしょ。甘いというか。それに、初めっから「家の切り盛りと娘の面倒を見てくれるお手伝いさんみたいな人」を妻として探すというのは、いくら昔でも虫が良すぎるんじゃないかと思う。しかしそれでも、東京で東京出身の、ぴったりな人が見つかる。最後の最後で幸運を得て、69年の人生の後ろほぼ半分を、やっとこさ作家に専念できた。
 が!彼の死病となった慢性肝炎は、何と、結核で入院した時の院内感染だった(お嬢さんの著書による)。
 どこまでも結核に祟られていたと思う。
 うーん。不運だ不運だと思っていたが、本当にやたらと知り合いに死なれる人だし、自分自身での混乱もあって、人間関係ではまずい面も出している。
 そうしたことを明らかにしながら、筆者は、藤沢先生の作風を「暗い日々から生まれた”耐える女”の小説」ではないとする。それが、サブタイトルである「待つことは楽しかった」の意味である。「ほほぅ」であったのはこれだ。暗いのにどうしようもなくどこか明るい、藤沢先生の「市井もの」の秘密。
 私も、文壇で評価が高い(らしい)、藤沢先生の歴史もの、武家ものよりも、好きなのは市井ものの短編集である。
 しかし、私も、藤沢先生の小説やエッセイは全部読んだのに、ふるさとに関するエッセイを、筆者ほどきちんとは読んでいなかったなぁ。
 でもって、やっぱりまた市井ものが読みたくなったりもした。