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 廓正子『なにわ華がたり 中川絹子 桂米朝と一門をささえた半生記』(淡交社)
なにわ華がたり―中川絹子 桂米朝と一門をささえた半生記
なにわ華がたり―中川絹子 桂米朝と一門をささえた半生記
 落語家の奥さんと言えば、働いた経験もなく家の中で頑張って切り盛りしている、というイメージがあったのですが、この絹子夫人は全然違うんですね。広い意味で言えば「良妻賢母」には違いないのですが、大きな問屋の跡取り娘で、邦楽や日舞を仕込まれながらも、OSK(大阪松竹歌劇団)の男役スターとなり、戦後は踊り子でレビューを率いて巡業、米軍キャンプ巡業をもこなしたという、あの時代の人にしては大柄な身体も相俟って、いかにもスケールの大きな女性です。
 米朝師匠と知り合ったのは、1人で巡業をしていた時の、移動に使われていた貸切バスの中。むしろ師匠の方が、今もですが、学級肌の二枚目。あの頃としては遅い、2人共30を過ぎての結婚。ところがこの2人、では師匠が大人しくしている家庭なのかと思いきや、お互いポンポン言い合って喧嘩もする。息子3人に恵まれた後は再び夫人は踊りの師匠としても活躍を始める。何とも時代を先取りというか、本当に、生まれた時代が信じられないような、自分をしっかり貫く人ですなぁ。所謂「家の人」であるおかみさんも多いけれど、こうして揉まれてきたタイプもまた、家の中をしっかり取り仕切り、大量の(大勢の、ではなく)弟子孫弟子ひ孫弟子(米朝一門は約60名)の「大ママ」に向いているのでしょう。
 まあとにかく、ちょっと(いや、大いに)「デカい」おかみさんの話でした。
 林えり子清朝十四王女 川島芳子の生涯』(ウェッジ文庫)
清朝十四王女―川島芳子の生涯 (ウェッジ文庫 は 3-1)
清朝十四王女―川島芳子の生涯 (ウェッジ文庫 は 3-1)
 時々こういう本を読む。川島芳子の本を読む。そしてやっぱり不思議だなと思う。そういえばドラマ化を機会に、思うところをまとめてブログの方に書いたのがもう約1年前になる。
 この文庫版は出たのが2007年10月と最近だが、元の本は1989年の『仮装』だった。そうかそうか。確か『仮装』では手に入らなかったのだ。偶然だが同じものにやっとぶつかったことになる。
 なかなかよく書かれた本だった。川島芳子と親交があったらしい老人からの聞き書きという「演出」と、当時の関係者への聞き取りを織り交ぜたスタイルだが、これと、あとは上坂冬子男装の麗人 川島芳子伝』ぐらいが、結局未だに一番まともなものではなかろうか。
 巻末解説は村松友視(示+見)。『男装の麗人』の著者、村松梢風の孫である。この小説は、フィクションでありながら裁判の証拠にされ、芳子を死に追いやった一因となった(血統主義である以上死刑は免れなかったにせよ、当時の中国の状況の異常さを示すものではある)。こうした経緯を知っている人間で、梢風に責任がないと思わない人間はいないだろう。孫・友視も本人も近年、『男装の麗人』なる作品をものしている。この解説によれば、祖父は非常に責任を感じていらしく、『男装の麗人』については語らなかったそうだ。また、面と向かって「川島芳子を殺したのはお前だ」と詰られたこともあったという。これには、申し訳ないが私は得たりと快哉を叫んだ、というところである。
 しかしいずれにせよ、フィクションもまた命を縮める道具になってしまうような生き方はしない方がいい。締めくくりの山口淑子のインタビュー(これも、前掲上坂著書及び、『李香蘭 私の半生』を読んだ人には特に目新しくはない)の最後、
「ご自分で悪いほう悪いほうに変えていってしまわれた、そんな感じがしますね」
が全てだろうと思う。