『幻妖 山田風太郎全仕事』(一迅社・一迅社ビジュアルMOOKシリーズ)

幻妖 山田風太郎全仕事
幻妖 山田風太郎全仕事ポストメディア編集部

一迅社 2007-03-26
売り上げランキング : 338595


Amazonで詳しく見る
by G-Tools
 これも、下の記事の本と同時に買った本。
 山田風太郎作品の資料的ムックって、他に何かあったかも。あった。でそれにも未収録作品が収録されてる。
 この本は割に新しいので(出たのは昨年の4月)、データが新しいことと、違う作品の忍者の架空トーナメントというお楽しみ企画、未収録インタビュー、そして未収録短編「魅入る」が見所。まあ私は一覧表、資料的なものはこれまで買っていなかったので、偶々これを買って、売らないで持っていようかな、というぐらい。データに抜けがある、という指摘もあるようなので、リンクをクリックしてAmazonレビューをどうぞ。
 あと、借りたのか借りてないのか(特に、タイトルや収録作品に微妙に違いのある短編集)わかんなくなっちゃった本もいくつかあるので、この本のデータと、借りた本のリストをいずれ突き合わせてみるつもり。

 未収録インタビューでは、「性についてどう思うか」と訊かれ、御大は「滑稽なもの」と答えている。表面的にはその時の恰好について主にそう言っているようではあるが、実際にはやはり、彼が到達した死生観による答えだと思う。死ぬも生きるも愛するも憎むも、身体で愛し合うのもその身体を斬り殺すのも、全ては巡り合わせで、大した違いなんかない―――けれど、なのに、生と死の間の1本の線は、やはり余りにもくっきりとしすぎている。あの無数の死、避けられないはずの死を逃れて平均寿命まで生きてきた日々。このどうしようもない葛藤と、その先にある諦観と、韜晦。
 自分の知識をひけらかすどころか、どうしてこうもひねくって、所謂文壇からはその実力を誤解されるようなものばかり書いてしまうのだろう、とは、少なからぬ山風ファンの心情だと思う。この「性は滑稽」というのは、山風の辿り着いた一点を端的に表現した言葉だろう。
 心にはある確かな何かを持ちながら、感情に溺れることをよしとせず(或いは根源的に恐れ―これは早くして味わった両親の死に発していると思う)、突き放してしまう性分。でも、突き放さないと文章というものは書けないと思う。本来溺れて溺れ切ってその中に浸り切ってもいいようなことにまでついつい顔を引いて突き放してしまう所は私にもあるので、何となくわかる。
 このムックを読みながら、隣の子供用の椅子ですーすーすーすー寝ている子供を見て、何であれっぽっちのことで、こんな、細〜い髪の先から足の指まで揃ったちゃんとしたのが出来てくるんだろうな、とやっぱり思った。御大は、女性の身体の中で9ヶ月経つとちゃんと人間が出来上がってくることに非常な不思議と神秘を感じたことを何かに書いていらしたが、女性から見てもそれは不思議としか言いようのないことで、あれっぽっちのことと、あれっぽっちの期間と、あれっぽっちのラスト3日(足掛け3日かかった)で、こんな精巧にできたミニチュアがこの世に出てくるのだから、こんなことは幾ら考えても答えなんかないので、滑稽というのも一つの言い方ではある。