4/14 死せる骨、生ける人を?―内田康夫『遺骨』(文春文庫)

 遺骨 (文春文庫 う 14-6)
遺骨 (文春文庫 う 14-6)
 重い話。
 だから、貸し出し期限が迫る今日まで手をつけずにいた。
 確か『風葬の城』か『崇徳伝説殺人事件』のあとがきにあったと思うのだが、同時期の作品だったはず(すぐに記憶が…)。『崇徳』が老人介護の問題であり、この『遺骨』は臓器移植を巡る問題だ、とそのあとがき読んで、嫌だなと思いつつも、これまたお兄ちゃんと光彦のコアな会話があるという情報をキャッチし(笑)、借りてしまい…それでもやっぱり嫌で…期限がもうすぐなので読んだ。
 予想通り重くて、私も光彦と同じ気持ちで読んだ。元々、(あくまでも日本における)臓器移植の法制化には大きな疑問を懐いていたし、技術を持てばそれを使いたいがために人をも犠牲にするという特権意識に対しては嫌悪感を持っている。
 確実に核心へ近づいていく弟と兄は、当然利害が一部ぶつかってしまう。兄は勿論弟の正しさも知っているが、歯止めをかけざるを得ない。しかし結果として何度となくこの兄の配慮が弟を救っているのだし、弟の結論は兄が誰よりも支持するのだ。
 それにしても―――
 終盤の光彦の台詞は、随分思いつめたものである。
 年下なので、おいおい、33歳ぐらいでそんなに思いつめるもんじゃないよ、と思ってしまうのだが、勿論この台詞は作者のものである。(失礼ながら)もう結構なお年になられた。この『遺骨』といい、近年の作品は正に「後期の大傑作」になるものだと思う。(本当に、エラリー・クイーンの執筆歴を見るようである!)
 作者にも、愈々覚悟のようなものが大きくなっているのだろうと思う。でも、若くても、自分の死に様について覚悟しておくのはいいことかもしれない。
 ちなみに私は、「提供しない」という意思表示を遺言状なりエンディング・ノートなりでしておくと思う。臓器を取りたいがために「死んだこと」にされるかもしれない、という不安はやはりある。しかしこの問題についてはまだ一概には言えない。この作品も、法制化に反対なのではなく、誰が決めるかということについてフィクションの登場人物を使って指弾しているものなので(毎度うまいですな(笑))、余り深刻に受け取りすぎてもいけないだろう。
 あ!そうだ今回は、最初の方の伏線には気づいた!(プロット決めないで書く作家なので、作者自身にも気づいてない”伏線”かもしれないけどね。)