そういう季節

 今週はそういえばおでかけが続いた。
 一昨日は子供の10ヶ月検診。昨日は図書館の子供用おはなし会。今日は児童館の0歳児クラス。社交の季節なのである。ばかばかしい。
 子供を抱っこして「アンパンマンの歌」に合わせて輪になって行進なんて、軽く羞恥プレイだろ(笑)。大事な人には見せられない姿だぜ!
 今日は、昨夜『絡新婦の理』三、四が届いたという図書館からのメールがあったので、児童館に行く前に、反対方向にある図書館に行った。昨日私が図書館を出た1時間後ぐらいに届いたことになる(図書館間の本の交換便は夕方に着く)。これまた無駄な行き違いだった。
 児童館から帰り、子供は母が溺愛していたので、『絡新婦の理』を読む。
 何だかわかったようなわからないような結末だった。
 そもそも冒頭に京極堂と犯人の会話を置いてあり、それを読めば犯人はわかるのである。犯人わかっててこの長い話を読むのは精神衛生上よくないな(笑)。楽しみは、京極堂が正にどう「落とす」かということになるのだが…結論を言えば、ちっとも落ちてないんじゃ(笑)。
 この、冒頭で犯人をほとんどバラす、という構造についての定説は、「最後まで読むとこの冒頭に戻りたくなる」ということである。確かに、犯人の動機は結末ではなくこの冒頭に書かれているのだ。
 が…
 返しちゃったから読めないよ〜ん(泣)
 記録を見ると丁度1週間前に一、二を読んでいる。後半を今日読むにもかなり記憶が曖昧になっていて困った。
 しかしリアルでこの「分冊文庫版」を買った人は、1週間どころか1ヶ月!も待たされたのである。前半2冊の1ヶ月後に後半2冊を出すという鬼なことをしております講談社(笑)
 ま、保険で借りといた1冊版もじき届くだろうから、その時敢えて読もうかな。
 さて、先に借りていた『塗仏の宴』6冊の貸出期限まで、今日を入れて9日。流石に今夜は寝かせてくれ、ジョゼフィーヌ