市川猿之助『演者の目』(朝日新聞社)

 演者の目 (1976年)
演者の目 (1976年)
 4、5日かかったかな…後半スピード上げてやっと読了。
 序文は梅原猛さん。彼の書く通り、これは素人向けというよりやはり歌舞伎役者、あるいは役者さんがじっくり繰り返し読む価値のある本。
 曖昧な芸談ではなく、自分が心血を注いだいくつかの役について、非常に具体的に演じ方(その役を演じる時のハラと、それに合った所作)を書いた本。
 猿之助という役者を知っていて、この本まで読もうとする人なら、勿論、この本で触れられている役柄や物語については一通り知っているだろうから問題はないだろう。「義経千本桜」の三役と、「骨寄せの岩藤」と「黒塚」。(余談だが、「義経」の三役のうち「すし屋」の権太は、清水の「すしミュージアム」に展示物を納入した際、この歌舞伎のCDを苦労して探したりパネルを納品したりしたので、個人的に懐かしかった。)
 実は、少し前に読んだ林英哲『あしたの太鼓打ちへ』で林さんがこの本を絶賛していたのだ。「ここまで書いてしまっていいのだろうか」と。確かに、かなり詳しい。演技を盗もうと思えば盗めてしまうものなあ。
 更に、そうした具体的な記述のあいだあいだに、思わず唸るようなものの考え方が書かれていて、尊敬してしまう。実はこの方の舞台はほとんど観たことがないのだが、表面的なケレンというもの以上の人だということはわかっていた。だって、変えていくこと、応用することは、元がなければできないからである。この人がこれほど自分の道を続けることができたのは、確固たる基本があるからだろうと思っていた。それはこの本で確かめられた。芸はまず受け継ぐことから始まるということが内容の随所に表れている。真摯であり謙虚であり、そして、自分はこうと決めたら貫くこと。
 何が驚くって、この本を書いた時、著者はまだ40前だった。歌舞伎役者で40前といえばまだ本当に若手である。それなのに…。余りにも役柄の解釈が深いし、ものの考えがしっかりしているし、だからこそ、書かれて30年以上経った今、若い歌舞伎役者が読んでも何の違和感もないだろう。
 何事も過去を否定する、自分が一番だと思いがちな生き方をする人たちには、よくよく自分の足元を見て欲しいと思った。自分自身も、まずは自分が幸いにして持っているものを大事にしようとあらためて思った。それは自分がいくつになっても必要なことだと思う。