海の日・うらしま

 1日遅れになったが個人的海の日の思い出。
 勿論、海には行ってない!(笑)
 大学院時代、「海の日」が制定された年に、その「制定記念」と銘打って行われた、「海」をテーマにした美術展で、素晴らしい絵に出会った。それが思い出。多分、海の日最初で最後の。その美術展に行ったのはぴったり海の日ではなかったように思うけれど、海の日が制定されず、また、院での友人が誘ってくれなかったら(君は今でも僕に会ったら、僕のことは「提督」と呼んでくれるかい?)行かなかったわけで。
 その絵。
 山本芳翠「浦島図」。
 http://www.bunka.go.jp/1bijyutu%5Csyusyu/main.asp%7B0fl=show&id=1000002921&clc=1000001891&cmc=1000002905&cli=1000002907&cmi=1000002909%7B9.html
 http://tabloid-007.com/archives/50863509.html
 http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/topics/9811/murata/murata.html
 以下、この絵の普通の解釈とはかけ離れていて、ただただ初めてこの絵を見た時に思ったことである。普通に考えればこの絵は、西洋の影響をモロに受けまくって、日本のモチーフで西洋的表現でした絵、にすぎないのだから。
 しかし…
 小さい画像だとわかりにくいのだが、竜宮から帰る浦島太郎が、はっきりとわかるほどではないが、顔の皮一枚下に物凄い不安を抱えた表情なのである。
 浦島太郎は、何故こんな顔をして地上に帰るのだろう。
 送りについてきた天女ならぬ乙姫も、何故こんなに暗い顔をしているのだろう。浦島太郎と別れるのが辛い?そんな程度とは思えない。
 何となく、戦争に向かっていく(太平洋戦争ではない。描かれたのは、日清戦争の最中、日露戦争の前である)日本を象徴するような絵に思えたのは、当時日清戦争をテーマにした修士論文を書いていたせいだろうか。去り難く後方を振り仰ぐ浦島太郎。しかし日本を待っていたのは、日露戦争どころではない、もっと悲惨な運命だった。この頃で何もかもやめておけば。振り返る浦島太郎。振り返れるうちが華だったのだ。
 …って、考えすぎだって。