井上祐美子『海東青 摂政王ドルゴン』(中央公論新社)

 

海東青―摂政王ドルゴン (中公文庫)
海東青―摂政王ドルゴン (中公文庫)井上 祐美子

中央公論新社 2005-09
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 お久しぶりです、ドルゴン様、そして清朝の、異民族の名前を無理矢理漢字で表記なさる方々。
 私は俗世に戻って久しい身ですが、皆々様の魂魄は、今でもあの、遼東の碧空を飛び交っていらっしゃるでしょうか。…
 と、見たこともない青い高い空を想ったところで、こんばんは。
 読む本がなくて、何となく(子供がいて急いでいたというのもあったし)借りたこの本…
 確か、食わず嫌いしてた作家だ(笑)(※御託を読みたくない人は次の※へジャンプ)
 歴史小説というものを私が嫌いだからです。特に、専門としていた中国史を主に扱う作家は嫌いです。
 私は歴史小説は嫌いです。
 歴史家ぶった小説家が書いているからです。
 小説家は歴史家ではありません。
 はっきり言って、歴史小説は、歴史研究の成果を台無しにします。
 だから、短い間とはいえ事実を研究してきた身としては、読んでいて腹が立つのです。
 小説家は歴史家ではありません。
 何十年とかかって証明した事実を、たった数行で誤解させる歴史小説というものが大嫌いです。
 小説家は歴史家ではありません。
 例えどんなに面白い話を書いても、それがただ1つの事実だと思わせてはいけないのです。でも、歴史小説を書く小説家はそればかりやります。勿論、小説を事実と思い込む人間の方が多いことにも問題はあるのですが。
 ただ、エンタテインメントと承知で書く、山田風太郎筒井康隆は、私は好きです。むしろこの2人を好きだといくことで人格を疑われようが望む所です(笑)。いつでも一緒に死んでやるぜ!
 要は、「分を守れ」ということです。
 大嫌いだよ、T中Y樹。
 さて…
 この作家、この作品ですが…
 まあいいや(笑)
 ※食わず嫌いするほどひどい作家じゃなかったな。
 でも、この人の有名な(らしい)、「架空の中国もの」は絶対読まないな。いやわかるよ、色々調べたりしてわかってくると、自分でも架空の王朝とか作ってみたいって気になるのは。こういうのはいわば歴史の二次創作ね。で、二次創作を書きたくなるということは、その元になるものにいかに魅力があるかの証明です。でも、そんな二次創作、読まない。
 ただ、ただの小説ならばいい。
 この、ドルゴンについては…そもそも創作しかできないようなマイナーな題材なのが幸いしたと思う。でも、押さえるべきところは押さえている。まだ「国」になっていない女真族の習慣、ものの考え方、習俗など、よく捉えていると思う。
 そして心理描写も上手い。内容のほとんどは主人公ドルゴンの心理描写なのだが、実にさわやかというか、元々がまだ謎だらけのこの人物を、女真の王を中華の主とするためだけに現れ、そして時が来ればまるで天の配剤のように死ぬという、不思議な偉人に仕上げている。
 ドルゴンは、摂政王という呼ばれ方で有名である通り、政治的才能に恵まれていたことは史実にも知られているが、あくまで家臣と摂政として兄と甥の2代に仕えたとも、皇帝の座につくチャンスを2度逃したともいえる、数奇な人物である。女真を統一したヌルハチの子であり、日本では清朝の2代皇帝として習うホンタイジの異母弟であり、3代目で北京に入城し清朝皇帝となった順治帝フーリンの叔父である。
 私も大学時代にこの人物を知ってから興味を持っていた。研究していたのは清朝末期の海軍についてだが、清朝という王朝そのものが大好きで、関連する本はよく読んだ。ドルゴンは、客観的に見れば、才能はあるのに皇帝になれなかった悲劇の人である。けれど同時に、清朝はこの人なしにはありえなかった。それだけでも非常に気になる人物だ。
 この小説では、ドルゴンは、私の漠然としたイメージとは違い(肖像画とも違うなー)、武力よりも知性の人で、実は父が自分を跡継ぎに望んでいたということも知っており、野望がないわけではないが人の上に立つことは好まない、という不思議な人物だった。『花神』における益次郎のような、本当に、2代目の王を助けて「清」という国を作り、甥の代で北京入城を果たして中華の王朝とする、それだけのために現れて去った人。
 中国では、北京に入った順治帝清朝の初代皇帝とするので、清朝は10代で滅びたことになる。とすれば、正にドルゴンは実際には「清朝の初代皇帝」である。でも、学校で習うのは、ヌルハチホンタイジ順治帝そしてその後3代の隆盛。このあたりに、ちょっと悔しい思いをしたっけなあ。
 父よりも政治力に優れたホンタイジとの愛憎半ばする出会い。ドルゴンは、「自分の考えを一番理解してくれる」と打ち明けた兄と微妙な関係を保ちながら徐々に才能を発揮していく。物語の中枢は、まだ国家というより1つの家でしかない一族(というか大家族…)の中での勢力争いである。ホンタイジの息子で年上の甥であるホーゲ(豪格)は、ことある毎に皇太子風を吹かせ(実際には王の生前に後継者は示されないのが慣習で、これは清朝になっても続く)、ドルゴンに手を焼かせる。このホーゲは、粛親王という王号を与えられていた。しかし武力の才だけを誇る彼に「粛」とはホンタイジも皮肉屋か。そういえば清朝の末期、不遜な振る舞いで知られた息子に道光帝は戒めの意で「恭」親王とつけたという。咸豊帝の異母弟で、兄の死後西太后と結んで権力を握り、やがて失脚するあの恭親王である。そして、ホーゲの王号は清朝の末期になって再び脚光を浴びることになる。「清朝八大世襲親王」の筆頭、粛親王川島芳子の父として(彼女の誕生日って、西暦に直すと今日!!!!)。このホーゲも、ホンタイジの長男なのに皇帝にならず粛親王家の開祖となった、という意味で引っかかっていた人物だ。
 ともあれドルゴンは、そうした一族内の争いを潜り抜け、時には操りながら、徐々に実権を手に入れていく。しかし、中華が近づくたびに頭上の空は狭くなっていく。
 自分は何も変わっていないのに、手に入れるたびにもっと必要な何かがどんどん手からこぼれていく。遅く生まれすぎたために最初から皇帝の地位を奪われ、それでもできるだけ、生きたいように生きてみたいと願い、ひたすらに生きて(文字通り、才能を発揮することよりもまず、常に「生き延びるため」に生きている人生!)、気が付けば10歳にもならぬ甥に代わって国の実権を握っていた。しかし同時にそれは、ホンタイジやホーゲに代わって、幼い甥に邪魔者にされるという新たな危険だった…
 丁度そんな時、ドルゴンはまるで天に呼ばれたかのように(元々身体が丈夫ではなかったのだが)、39歳の若さで病死する。暗殺や処刑ではなかったものの、その死後、待っていたように名誉は剥奪され、再び回復されるまで120年を要した。(順治帝が、さんざん世話になった叔父の死後ひどい仕打ちをして、29で死んだのなんかは正にザマーミロっちゅう気がする。)
 この、ドルゴンの人生とは一体何だったのか、は、読者が考えること、のようだ。
 単なる滅私奉公の「いい人」ではない、でも私利私欲で動くことはない。本当にひたすら、求められた時にそこにいて、生きて貶められる前に去った、風のような人だった。
 淡々とした描写だし、まだ研究の上では未確定事項も多い近代史の人物なので、人物像のどこまでが真実なのかわかりにくいのについつい読まされてしまった。掴みどころのない人物なのだが、とにかく彼が無事に生き延びられるかという興味だけでもページをめくり続けてしまう。大変な生き方だなあ。
 何かを作り上げることと1人の人間の人生を重ね合わせた物語といえるが、そのスケールが大きすぎる。でもこのスケールの大きさこそ大好きだ。
 東北部から出た騎馬民族が、山海関を越え、中華の帝国を奪う…(遠い目)
 高校3年の最初に清朝が好きになって、史学科で東洋史(即ち中国史なのだが)を専攻し、卒論も修論清朝末期を扱った。何故清朝が好きかと言ったら、やはりエキゾチックだったからだろうか…。中華に征服王朝の前例はいくつもあるけれど、最大版図を獲得したこととか、やはり最後の王朝だから現代に一番近いこととか、名前なんかどう見たって漢民族じゃないのに無理矢理漢字を当てちゃってるところとか(笑)、衣装も好きだし(今で言うチャイナドレスは何のことはない、この騎馬民族が男女問わず馬に乗るためにスリットの入った服がルーツである)、大学の先生曰くの「入り婿王朝」(作中にも「中華の文化は甘い毒」とある)として、段々漢化していっちゃう運命とか満州語とか、元々が騎馬民族ゆえの、政治体制や軍事制度の国際性とか…とにかくどうしようもなく好きになってしまった。
 もう、無理矢理漢字を当ててる(ホンタイジが皇太極とかフーリンが福臨とか沢山!)書き方が超カッコイイ!とか、かなりヤバいセンスで大好きなのである。
 だからこの作品でも、漢字無理矢理表記を見るだけで萌える。マジ萌える。
 プヤング!(ペヤングじゃないよ!)エホナラ!ダイシャン!
 うーん。私この、満州のことばの響きが相当好きなんだなあ。
 久しぶりに、大好きな面々と会った。清朝末期を研究していなかったら、多分初期の研究をしていたと思う。それぐらい清朝の黎明期も好きなのだ。
 冒頭に描かれた、「遼東独特の秋の快晴」とはどんな空なのだろう。とても見たくなった。